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スタッフの体が影で濡れる。
別の男が覆い被さりに来たのだ。
お、と緊張感のないスタッフのつぶやき。
相手は恰幅が良く背も高い。体格差で押し切るつもりなのだ。
逃げてとイオリが叫ぼうとしたときには遅かった。
スタッフの華奢な体が組み付かれてしまう。密着状態で両肩の動きを封じられていては体術も使えない。
万事休すというやつだ。
――そう、思っていた。
「やる気あるじゃん。給料高いの?」
からかうような、品性に欠けるべらんめえな物言い。
猛禽類のような指がうごめく。
肩は動かずとも腕は回せる。スタッフは相手のベルトをつかみ、さらに襟首をがっちりとくわえこんだ。楽しそうに。
イオリが真っ先に思い浮かんだのは、故郷の体術たる合気道だ。
相手の力をそのまま投げる力に昇華する。小柄な者が大柄なものを制するための武道。
しかしこの密着状態で繰り出せる技などそうはない。
さらに言うならば、スタッフが使ったのは技ですらなかった。
「はああああッッ!!!!」
腹から出した気合が、壁を、天井を、イオリたちをびりびりと震わせる。
ふとイオリは実家の“タイコ”なるものを思い出した。
打ち鳴らすだけで、肌はおろか臓腑まで貫通する力溢れる打楽器を。
スタッフの声には、そんな魂すら煮えたぎらせるようなパワーがあった。
さらに腕に力を込め、大地を踏ん張る。
ただ、それだけで。
男の。
体が。
宙に浮かんだ。
ありえない。
イオリは思った。
成人男性の体重は六十キルトジェム。
相手の体重は優にその倍はあるだろう。
技も何もあったものではない、ただの力任せ。
あろうことかスタッフは、その重量を筋肉にものを言わせてかち上げてみせたのだ。
研鑽だとか技術だとかとは全く無縁な、ただの強引な力任せ。
そんなものがあるように見えない華奢な腕で。
確かに実現してみせたのだ。
ありえない。
不意に思い出す。
故郷の畑仕事を手伝っていた時。
親戚が耕した土から豪快に引っこ抜く大根を。
スタッフが男を地面から引き抜くその姿と、どうしてか重なって見えた。
「落ちろッ!」
そのまま容赦なく男をひっくり返す。
男も例外なくこの世で定められた物理法則に従って、重力に導かれて顔面から床に接着される。
顔を抑えてうずくまる男のみぞおちや下腹部に、スタッフは容赦のない蹴りを叩きこむ。
格闘技なんて洗練されたものではない、ただの喧嘩。しかも妙に手慣れている。
幾度かの乱打ののち、そのまま男はなすすべなく血の海に沈んだ。
残り四人。