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アフェール虹彩店は、ティル・ナ・ノーグに店舗を構える洋菓子店である。
主に焼き菓子を取り扱い、時に配送などのサービスも取り扱う。
得意料理はアップルパイであり、特にそのレシピは絶秘の扱いであるとされている。
なので、クレイアが作ったのと全く同じでありながら、クレイアが作っていないアップルパイが目の前にあるのは由々しき事態なのだ。
「どういうことなの?」
ミナーヴァが真面目な顔で問う。
壺の破片が頭にざっくり刺さったままだったが、特に気にした様子はない。
「やっぱりユッカさんに問いただす?」
ミナーヴァがバキバキと指を鳴らす。完全に臨戦態勢だ。
「これ以上変なことしたら展示エリアの花畑に埋めるわよ?」
クレイアに気押されて、ミナーヴァはしゅんと黙り込んだ。つまりイオリの出番である。
「それで? レシピ教えたの」
クレイアは無自覚だけど、ユッカに対してはそれなりに心を開いている。
同じ料理に携わるよしみで教えてしまったのではと考えたのだ。
しかしクレイアは被りを振る。
「教えてない。私のパイ、食べただけだから……」
「食べただけで材料全部把握しちゃったの?」
聞いたことがある。
その道のプロが、動きを見ただけで相手がどんなトレーニングをしているか、どんな癖をもっているか瞬時にわかるように、一口食べただけで原材料や調味料を把握してしまう人がいるのだと。
ユッカがそれに当たるということだ。
そしてクレイアはその事実に気づき、困っているのだ。
そう、困っている。
困っているのだ。怒っているのではなく。
ミナーヴァとイオリはどちらからというわけでもなく目を合わせる。語らずとも、思っていることは一緒だった。
今、サキュバスと人間の魂が一つになった!
料理で一番手間がかかるのは洗いものである。
調理をするたびに汚れるし、三品も作れば倍になる。
今回は色々試しているので洗い物も膨大な数だった。
ユッカは忙殺されていたものの、元々皿洗いからこの業界に入った身であり、むしろ懐かしささえ感じていた。
足音がして顔を上げる。
黒が二人いた。
スーツを着こなしていて、まるでどこぞのエージェントのようである。色付きメガネをかけているので顔はよく見えなかったが、それでも誰かわかるくらいには身近な相手だった。
「ええと、イオリさんと……ミナーヴァさん? ですよ、ね……」
たどたどしい口調でユッカが尋ねる。
彼は極度の人見知りだった。
二人は色付きメガネを外すと、青い瞳でユッカを見やる。
偶然か否か。二人とも瞳は青い色をしていた。
「どうも。イオリ・ミヤモトです。クレイアの治療してました。医学が専門です」
「どうも。ミナーヴァ・キスです。教会で国語と算数を学んでました」
だから何なのだろうかと思いつつ、ユッカは「はあ」と気のない相槌を打った。
背が高い方のエージェント--ミナーヴァが笑顔を振り撒く。目が希望で輝いている。
「ちなみにクレイアさんとはどういうご関係――」
彼女の言葉はそこで止まる。
背後からコックコート姿の少女に飛びつかれたからである。
それは、とある展示エリアのお話。
「パパー。あそこのお花いっぱい咲いてるね。何でかな?」
「あそこに栄養のつくものが埋まってるのかもしれないね」
「そっかー。あはははは」
「あっはっはっはっは」




