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気が付くとそこは使われていないバスルームだった。
この街――ティル・ナ・ノーグは総市民の半分以上が移民で成り立っている商業都市である。
当然ながら人の移り変わりも激しく、こうした使われない家屋も数多い。
とはいえ、良い面もあるにはある。
まず屋根がある。
空を我が物顔で舞うドラゴンもいない。
海の底から顔を出すクラーケンもいない。
怪物に食い殺される未来がないだけマシというものだろう。
手に持ったキセルを細い指で弄びながら、“その人”はあたりを見回した。
バスルーム、と評したが意外と広い。個人ではなく集団で使うものだろう。
この街には地価と労働力の安さを見込んで支社や工場を建てようともくろむ業者も多い。
皮算用しかできない愚かな幹部によって、操業開始から数日で倒産ないし閉鎖に追い込まれるケースも皆無ではないのだ。
今閉じ込められているのも、そういった廃墟の一つに違いない。
ランタンから洩れる蝋燭の頼りない光。
揺らめく明かりが自らの姿を照らし出す。
まだ手足の伸び切らぬ華奢な体を包む漢服。
自分の故郷にある“キモノ”に似ているが若干の差異があり、何枚も重ね着した内側が純白、重ねるにつれて桃色、朱色と色が濃くなり、一番目立つ外側は血のように赤い。
さらに大きな羽織に袖を通していて、色は闇を吸ったような黒。
その漆黒を踊るのは金糸で刺繡された龍である。
ティル・ナ・ノーグにおいて竜といえば、もっとずんぐりとした威圧的なドラゴンであるが、長空の龍は蛇のように細長く、空を舞い祝福、時には災害をまき散らす善にも悪にもなる意志を持った厄災だ。
角度によって揺らめく光を放つ龍。それは禍々しくもあり神秘性を保っているようであった。
それなりに整った顔立ち。
髪は烏にも似た濡羽色。
口紅は恐怖を濾しとった紫。
そして目に塗られた隈取は木々から命を吸ったような緑。
緑は長空において悪を現す色である。
どこかの人身売買組織の親玉か。
はたまた凶悪なギャングの首領なのか。
揺らめく光が教えてくれるわけもない。
誰に告げるわけでもなく、その人は静かにつぶやいた。
「どげんしてこんなことになっちょるね……」
痛む頭をおさえながら、イオリ・ミヤモトはうなだれた。
ちなみにまっとうな一般市民です。
【メインキャラクター01】
イオリ・ミヤモト(Iori Miyamoto)
creator: 香澄かざな
designer:宗像竜子
(敬称略)