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しーいーおーに俺はなる


「ダリスお兄様も、明日にはこの家を出ていってしまわれるのね」


 晩餐ばんさんを終え、食後の紅茶を前にして、妹のアオハがポツリとつぶやいた。

 菖蒲色あやめいろの長い髪が顔を隠しているため、ダリスからは表情を伺うことはできないが、むしろ見えなくて良かったと安堵する。


 見てしまったらきっと、後ろ髪を引かれてしまうから。


 若紫色わかむらさきいろ二藍色ふたあいいろ茄子紺色なすこんいろ、よく似た髪色をしたご先祖様の肖像画が壁に並んだ、クラノデア子爵邸のグレート・ホール。

 ホールの中央で存在を主張しているのは、二十人は優に座れる無駄に長いテーブル。その端の方に、ダリスを含めた親子三人だけが座っている。


 グレート・ホールとは貴族の邸宅にある大部屋だ。

 来賓をもてなすパーティーでも、使用人を含む家中の者たちの食事でも、様々なシーンで使える十分な広さを持ったホールなのだが、家族の食事で使うには広すぎる。


「男子の旅立ちはクラノデア家の伝統だ。そんなことを言わないで笑顔で送りだしてやりなさい」


 アオハの独り言に、ダリスとアオハの父――当代の当主であるクラノデア子爵が苦言を呈する。父の言う『クラノデア家の伝統』とは、こういうものだ。


 ――クラノデア家の男子は成人と共に家を出て独り立ちしなくてはならない

 

 持っていけるものは個人の貯金と、クラノデア子爵家の家紋が刻まれた懐中時計だけ。とはいえ、住むところは家具付きで用意されているらしく、なんだか大学生の頃のひとり暮らしを彷彿とさせる。


 この国では十五の歳をもって成人となる。

 今夜はダリスの成人と旅立ちを祝うささやかな晩餐会。

 ダリス自身も五年前に長兄を、三年前に次兄を同じように送り出した。

 もちろん、二人とも今では立派に独り立ちしている。


「心配は要らないよ、アオハ。兄さんたちにもできたんだ。俺にだって独り立ちくらいできるさ」


 妹を安心させようと、ダリスは笑顔でなだめる。

 しかし、アオハは眉を八の字にして悲しそうな顔になった。

 薔薇色の瞳が、涙で潤んでいた。


 やはり顔を見るべきではなかった。

 アオハが悲しんでいる表情に、心がギュッと絞られたような心地がする。


「でも、ダリスお兄様は剣も、槍も、弓もからっきしじゃない。一人で街になんて行ったら、きっとハーネスをつけた半裸の荒くれ者に襲われて、三日も経たずに死んじゃうに決まってるわ」

「決まってるのか……」


 実の妹に、そこまで信用されていなかったのか……。

 確かにダリスは武術は苦手だし、ケンカもしたことがない。

 だからって、ただ歩いているだけでハーネスをつけた半裸の荒くれ者に襲われるような街なの?

 っていうか、ハーネスをつけた半裸の荒くれ者って何者だよ。


「アオハッ!」


 先ほどよりも強い口調で、父がアオハを制止する。

 しかしアオハも、それで黙るほど弱くはない。


「だって、お父様!」

「なにも戦うばかりが生きる道ではないぞ」


 そうです、その通り!

 さすが当代の当主様。我らがお父様。わかっていらっしゃる。

 武術が苦手なダリスではあるが、独り立ちするのに必ずしも武術が達者である必要はない。


「それは……そうなのでしょうけど。それじゃあ、お父様。他の道ってどんなものがありますの?」


 当然の疑問だ。

 さあ、お父様。ここはバシッと言ってやってください。

 ダリスは父の回答を待った。


「…………知らん。クラノデア家は代々、武官を輩出してきた家だ。それ以外の道は、……そりゃ、あるんだろうが。道の進み方を聞かれてもだな」


 ダメだ。クラノデア家には脳筋しかいない。

 思い返せば長兄は武官だし、次兄は冒険者になっている。

 この家には、武の道にしかレールが敷かれていない。


 父の答えを聞いたアオハの薔薇色の瞳が、見る見るうちに涙に満たされていく。


「ほら、やっぱり! ううぅ、このままじゃダリスお兄様が……お兄様が死んじゃうわ。あーん、お兄様ああぁぁ!!」


 勝手に殺さないで頂きたい。

 テーブルに突っ伏して、わんわん泣き出したアオハを見つめ、ダリスは小さくため息をついた。


「泣かないでよ、アオハ。心配は要らないって言っただろ? ちゃんと家を出たあとのことも考えているんだから」 

「本当に?」


 アオハが潤んだ瞳でダリスの目を覗き込む。


 そう。ちゃんと考えてある。

 この世界に生を受けてから十五年、ずっと考えてきた。


 ダリスは物心がついた頃には、自分に戦いの才能が無いことを知っていた。

 脳筋しかいないクラノデア家にあって、戦いの才能がない自分は、この世界でどうやって生きていくべきか。


 ずっと、ずっと考えてきた。

 家から出て、自由に進む道を決めることができる『クラノデア家の伝統』は、渡りに船であった。

 もし武の道を進むしかない人生だったなら……、いや、やめておこう。


「ああ。俺がアオハにウソをついたことがあるかい?」


 ダリスの言葉にアオハは勢いよく首を横に振る。


「だろ?」

「それじゃあ、ダリスお兄様は家を出たら何をするつもりなの?」


 アオハの問いに、父の視線もこちらに注がれているのを感じる。


「俺はここを出たら――」

「出たら?」


 ダリスの心臓がバクバクと脈を打つ。

 社畜として馬車馬のように働かされた前世の自分がフラッシュバックする。

 搾取される人生はもうイヤだ。


「CEOになるんだ!」


 今度は搾取する側に。

 経営者になって、従業員を従える立場に。

 この剣と、魔法と、ダンジョンと、モンスターの異世界で、ビジネスチャンスを掴んで成り上がる。

 それが、ダリスが十五年で導き出した答え。新しい人生の目標。


「しーいーおー?」


 アオハが首を傾げ、父の方を見る。

 父は両手の手のひらを天井に向けて「わからない」とジェスチャーで返す。


 それはそうだろう。

 CEO、Chief Executive Officer、最高経営責任者。

 そんな言葉はこの世界には存在しないのだから。




○Tips


【CEO】

 Chief Executive Officer の略。日本語では最高経営責任者となる。元はアメリカから伝わってきた役職で、日本では社長と同じ用途で使われていたり、社長が役職を兼任していることが多い。

 そもそも『CEO』も『社長』も法律で定められた肩書ではなく、勝手に名乗っているだけだったりする。

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