いざ 勝負!
獣人と争って傷付いたタワンが傷口を押さえてゴロゴロと喉を鳴らしてジッとしている。
「大丈夫なのか? 医者に見せた方が」
大雅の心配をよそに、
「こんな辺境な地に病院なんてあるわけないだろう。喉を鳴らして、自然治癒力で傷を癒しているのさ」
ロッチが説明する。
そうか、傷の治療のためか。確か、震動が骨を強化するんだったよな。
「単に喉を鳴らせばいいってもんじゃない。修行を積んだタワンだから治癒出来るんだ」
向こうだと、怪我や病気になればすぐに病院に行けばいいし、良く治る薬だってある。ここでは、怪我をすれば自分自身でなんとかしなければならない。病気になれば死ぬことだってあるだろう。自分がどんな恵まれた環境で生きていんだって思い知らされるよ。……待てよ、それって、強いってことだろ。
精神的にも肉体的にも強靭なタワン。
そう思って彼を見ると、
「俺達と違って、猿人は動きが遅い。ノロマなんだよな」
大雅を見下したようにタワンがノロマ呼ばわりする。
「――この俺が、ノロマだってぇ!」
今までノロマなどと、誰からも言われたことがなかった言葉。
「ああ、ノロマだ。猿人のお前に、こんなことが出来るか」
大雅との力の差を見せ付ようと、タワンが目の前の大木の枝に飛び付いた。
――凄いジャンプ力。俺の二倍の跳躍力がある。
丈夫な枝を鉄棒代わりにクルクルっと回りながら、上の枝を伝って登って行く。そして、次の木へとジャンプして乗り移る。
タワンの動きの速さに大雅は衝撃を受けた。
な、なんだ! あの動き。まるで体操の選手、いや、人間の限界を超えた動きだ。オリンピックで簡単に金メダルが取れるんじゃ……。
圧倒的な力の差を見せ付けられるが、負けず嫌いの大雅は、どこか人間に劣る弱点があるのでなないかと観察する。
跳躍力はおよそ二倍、しかも、瞬間的に最高速度に達する瞬発力。祖先が猫であるってことは、目も凄く効くってことだよな。モノの動きを捉える動体視力も、当然人間よりも上ってことか……。
筋肉を自由に動かすことが出来るしなやか体に、僅かな物音に素早く反応する猫本来の狩りの技術を身に付けている猫人間。
頭は悪いが体力だけは自信があった。そんな大雅の前で素早く木に登るタワン見て、その自信は無残にも崩れ去った。
ドヤ顔のタワンが大雅の目の前で着地する。
あんなに高い所から飛び降りても、僅かな音も立てない。
高い所からの着地能力は猫ならではの身体能力。
認めたくはないが、タワンの動きは忍者そのもの。憧れの忍者が目の前に居た。
「これでハッキリしただろ、お前がお荷物だってことがな」
「俺が、お荷物……クッ……」
怒りがこみ上げるが、事実。さしもの大雅も負けを認めざるを得ない。
忍者の子孫であるというプライドがズタズタに引き裂かれた。
苦し紛れに、「持久力はある」と大雅は言った。
「じきゅう力って、なんだ?」
知識の無いタワン。
「長く続けれる力、ってことかな」
とロッチ。すると、
「走るのは得意。中学の時、陸上もやっていたから、休みなく四十キロは走れるぞ」
自慢そうに大雅は言った。
「四十キロも走るだとぉ。絶対に嘘だ! そんなに長く走る生き物がいるかよ」
タワンが言うと、
「そうだ、馬でも精々十キロしか走れないんだぞ」
ロッチも信じられない。
「嘘じゃない。そのために人間は汗を掻き体温の調節が出来るんだ。忍者は伝令も行っていて、極秘情報を遠くの城主に伝えたりしていたんだから」
「ニンジャだあ?」
聞き慣れない言葉にタワンは首を傾げる。
「忍者とは、武士、いや、権力者に仕えて、情報収集などの諜報活動を行う者。現代でいうスパイかな。忍者は特殊な武術、忍術を使うことが出来、その忍術を駆使して様々な戦いを影で支えたんだ」
「それがどうした。じきゅう力がなんの役の立つんだよ!」
森の中では持久力は役に立たない。
ただ単に長く走るより、木々を伝って動き回るのが有利。
「ノロマが居たんじゃ迷惑なんだよ! どッか行けよ」
一人じゃ、この世界では生きていけない。仲間が必要だ。ここは頭を下げて、と大雅は考えるものの、
だが、俺にも意地がある。忍者の子孫である誇りが。あいつ、武者修行をしているんだったな。だったら――。
「じゃあ、勝負だ! お前の得意な剣で。俺が勝ったら仲間に加えてくれ」
「正気か? この俺に剣で勝負するとは。結果は見えているがな」
「やってみなければ分からないだろう。俺にも意地がある、誇りがある。ちっぽけなプライドがあるんだよ!」
無謀にもタワンに勝負を挑んだ。
「負けたら、二度と俺の前に姿を見せるんじゃねえぞ!」
言いながら、自慢の木刀を大雅の顔に近付ける。
「ちょっとぉ、そんな勝負しなくても、反対なのはタワン一人なんだから」
フランが慌てて阻止し、
「そうだよ。不利な約束はしない方が。タワンは剣の達人、やめといた方がいい」
とロッチも忠告するが、
「心配ないよ。勝てばいいんだろう」
自信たっぷりに大雅は言った。
仲間に入れるか入れないかの賭け。お情けで仲間に加わるよりも、自分の力で手に入れたかった。
何より、生意気なタワンに一泡吹かせたかった。
「どうやら、意思は固いようだな。じゃあ、俺の木刀を使えよ。負けたとしても、仲間として受け入れるから」
ロッチが言って、木刀を大雅に渡す。
「勝負だ!」
大雅が声を発すると、
「この俺に戦いを挑むなんて、生意気な奴。後悔させてやる!」
鋭い睨みを大雅に向ける。
「俺は忍者、甲賀流忍者の末裔だ。お前なんかに負けては、ご先祖様に申し訳ない」
動きは俺の二倍速い。まともに戦ったんじゃ勝てない。勝てる要素は何一つない。木刀で死ぬことはないだろうが、当たればかなり痛いだろうなぁ。でも、この勝負に勝たなければ仲間に入れてくれないんだ、死ぬ気になればなんでも出来る。タワンは俺の挑発に乗って、勝負してきた。しっかも楽勝気分、勝ったつもりでいる。そこに僅かな隙が生まれる……。
二人が相まみえる。
まともに勝負しては、素早い動きの猫人間には勝てない。だが、
俺は剣道三段。こういう時の、油断した相手の行動は分かる。恐らく、上段から仕掛けて来るはずだ。
大雅はそこを衝いた――。
動きは遅いが、勝負勘が勝る。
『バシィ一ッ!』
一瞬の出来事だった。
大雅の木刀がタワンの右手首を直撃、持つ木刀が地面に虚しく落ちた。
「やった! タイガ君が勝ったぁ」
フランが目をハートにして言った。
勝った! まさか勝てるとは思わなかった。頭で考えるより先に、自然と体が動いた。ここぞという時、俺、実力以上の力が出せるんだな。これって、忍者の末裔としての力かな……。
自分に酔いしれている大雅に、
「フン! 一回だけのマグレだろ」
痺れる右手を何度も振り払いながら、油断しただけ、もう一回やれば勝てるとばかりにタワンは言う。
「そうだ、一回だけだ。だけど、これが真剣だったなら、お前は死んでいたんだぞ」
「クッ……」
唇を噛んだ。
痛いところを突かれ、さしものタワンも言い返せない。
「忍者の極意は、腕力ではなく隙を衝くことだ。生きて使命の完了を報告するまでの術が忍術。こんな所で死ねるか!」
得意げに大雅は言った。
「この俺が、猿人ごときに、負けた……」
痺れる右手を見詰めながらタワンが呟く。
「確かに、俺はお前達と違って動きは遅いだけど、人間としての特性――器用なこと。あと、知識だけは、みんなよりもある。一緒に居て、きっと役に立つぞ」
必死で自分を売り込む。
「そうよ! タイガ君が居てくれるだけで楽しいじゃない」
当然のようにフランが言って、
「いいんじゃないか、仲間は多い方が」
ロッチも言ってくれた。
「猿人、いや、人間としての知識は俺達よりも豊富だろ。この先の旅に、きっと役に立つはずだ」
リーダー格のロッチの推薦もあり、大雅は最下位、五番目のメンバーとして正式に仲間に入れられた。
「で、家はどこだ? どこで寝泊まりしてるんだ」
大雅がキョロキョロと見渡しても、どこにも家らしい建物が見当たらない。
「あそこだよ」
とロッチが上を指差して答える。
大雅が視線を向けると、大木の枝の間に建物らしきものが幾つも見えた。
「まるで、ツリーハウスだな。あそこで寝泊まりしているのか、秘密基地みたいでカッコ良いかじゃないか」
一本の大木を支柱にして作られた木造の小屋。
「向こうの世界ではアウトドアーブーム。地べたにテントを張って寝泊まりするんだけど、木の上だぜ、お洒落だよな」
見上げながら大雅は言った。
「この辺りは、もともと住んでいた住人の居住区。住人はいなくなってしまったがな」
「どうして、こんな立派な建物を放棄したんだ?」
「お前も見ただろう、あの凶暴な獣人を」
「ああ、あれはバケモノか」
と獣人の顔を思い出し、死にそうになった恐怖を思い出す。
「あいつらが入植して来たから、逃げ出したんだろう」
「獣人の巣食う地、いくら生まれ育った土地であっても、命あっての物種。生きてこそ様々なことが出来るんだ、死んでしまえば何もかも無くなってしまうからな」
木の枝に洗濯物が干してある。
「その格好のままだと気持ち悪いだろう」
そうロッチが言うと、パツパッっと木に登って干してある半ズボン(ショートパンツ)を取ってきた。
「あ、俺のズボン」
タワンが不満を口にするが、
「仕方ないだろう、俺のじゃ大き過ぎるし、タイガと体形の似ているお前のが合っているんだから」
「チェッ、俺のお気に入りの服なんだぞ、汚すなよ」
ズボンをもらうと、大雅は大木の裏に隠れて着替える。
全てを見られているのに今更隠れなくても、と思いつつ、フランの前での着替えは恥ずかしい。
「あとは靴だな」
ロッチが言って靴を持って来た。
ふくらはぎまで巻き付く、革ヒモの長いサンダル。しっかりと足を守れて動き易い。
「俺にピッタリ。上下揃って、これで制限なく動き回れるぞ」
「俺の服なのに……」
嫌そうなタワンを尻目に、満足の大雅。
「長い間手入れしてなくて荒れ放題だったのを俺達が改装したんだ。雨風を凌ぐ程度の簡素のものだけどな」
「そんなことはないよ、立派な造りの家じゃないか」
言って大雅は目を輝かす。
当然、建物の中がどんな造りなのか気になる。
そんな大雅の好奇心をあおるように、
「我が家に招待するね」
嬉しそうにフランが言って、大雅を自身の小屋に案内しょうとする。
「なんでフランの小屋だよ。女の部屋だぞ」
「いいじゃない。初めてのお客さんだから、一番まともな部屋に招待しないとね」
むさ苦しい自分の部屋を思い出し、他人に見せる部屋じゃないことをタワンが考え、引き留められない。
「いいか、決して触れるんじゃないぞ、単なる部屋の案内だけだからな」
としつこいぐらいにタワンが念を押す。
「いいじゃない、私の部屋なんだから。ほっておいてよ、もう」
不愉快そうにフランが言って、大雅と一緒に登って行った。
なんだ、あいつ、ピリピリして。ひょっとして、フランのことが……。
「タワンとは? あいつとは、どんな関係…」
二人の関係を、それとなしにフランに聞いた。
「タワンが、どうしたの?」
「あ、いや……」
鈍いのか? あいつの行動を見れば、普通、気付くだろうに……。
何本もの頑丈な枝の上に造られた家。
入り口のドアを開けて中に入った。
女の子の部屋かぁ。ドキドキするな。
当然、フランと二人きりになる。
近くで見ると、メッチャ可愛い~。
初めてのことで嬉しくもあるが、どう対応すればいいのかの怖さもある。
部屋中には本が一杯あった。
綺麗に整理された部屋だ。本来、猫はキレイ好きだからな。
「私、記憶力が良いから一度読んだ本の内容はすべて覚えているんだけれど、本自体が好きだから、可哀想に思えてきて捨てられないの。だから、こんなに一杯たまっちゃって」
照れながら言った。
「あれは?」
白く光沢のある布のような物が飾ってあった。
「あれは両親の形見なの」
「そう、形見か……」
形見って……。じゃあ、一人ぼっちなんだな。でも、考えてみると俺も一人、二度と向こうの世界に戻れないんだから。
「私の家は服屋だったから、小さい頃、カイコが沢山いたの。カイコって知っている?」
「もちろん。白い糸を出して、服の材料なる虫だよね。じゃあ、あれは絹、シルク。高級品じゃないか」
「そう。村の名にちなんでムアンシルクと呼ばれて有名だったのよ」
「ムアンシルクかぁ、良い響きの名前だな」
白い光沢のある反物をさすりながら、シルクの感触を確かめる。
読書好きで裁縫もする美女かぁ。ますます好きになった。
大雅のトキメキはさらに高まった。
フランがいたずらっぽくドアの前に立ち、ここから出さないぞ、とばかりに塞いだ。
なんだ?
彼女の行動が分からない。
「私ね、初めてなの、こんな気持ち」
とフランが緊張した面持ちで言った。
――まさか、これって。
大雅がゴクリと唾を呑む。
「私、あなたを見て思ったの、運命の人じゃないかって」
恥ずかしそうに、フランがモジモジしながら目を合わさずに言う。
大雅は確信した。
この子、俺のことが好きなんだな。
「私、タイガ君に抱かれたい。抱き締めて欲しいの」
「だ、抱いて欲しいって……」
思いもしない告白に大雅の鼻息が荒くなる。
いきなりの展開。
俺なんかが、いいのかよ? でも、彼女の方から言ってきてるんだし、なんの問題もない。むしろ、正直な気持ちを伝えてくれて、彼女の気持ちに応えないと恥をかかせてしまう。
と大雅は思う一方、恥ずかしさもある。
一糸まとわぬ俺の姿を見られたんだ。今更恥ずかしがることはない。
自分に言い聞かせ、もう、どうなってもいいと大雅は思った。男は、こうして大人になるんだと。
「俺も、俺もだよ。こんな素敵な子から告白されるなんて、今まで生きてきた人生で初めてだ」
「す、素敵だなんて……。タイガ君とちょっと容姿が違うし、顔が黒ずんでいるのよ、お世辞にも綺麗じゃないでしょう?」
「そ、そんなことないよ! 耳の位置が違うだけで俺と全然変わらないじゃないか。それに、それに可愛い。その可愛さ、アイドル級だ。俺も初めて見てビビッって電気が走ったんだ。あ、電気って分からないか?」
天にも昇る気持ち、浮かれる大雅だが、
「でも……」
フランの言葉に現実に引き戻らされた。
「でも、触れることが出来ないんだよな。それじゃあ、愛を育ませられないじゃないか……」
「そうよね……」
「でも」「でも」
と同時に言ってフランが続ける。
「あくまでも、昔からの言い伝えよ。タイガ君を見ていて、私となんにも変わらないんだもの」
「じゃ、じゃあ、触れてもいいんじゃないか。今まで色んな物に触れたけど、何も起こらなかったぞ。人間限定だなんて、デマじゃないのかな」
人間が触れると消滅する。そんなことは信じられない。
彼女の方から勇気を出して告白してくれたんだ。親しくなりたい、もっと近くで愛を育みたいんだ。
そんな強い思いで、ロッチの忠告を無視して触れようとする。
試しに、ちょっと、ちょっとだけ……。
興味本意に大雅とフランはお互いの指を触れる。
指先が触れた瞬間、
「わー!」
「ウワーー!」
それぞれが悲鳴を上げる。
指先の強力な磁石に吸い寄せられるように、大雅とフランは引き込まれた。