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〔ライト〕な短編シリーズ

遺された名曲

作者: ウナム立早


 ぎいっ。


 古い木造りのドアが、あいさつをするように音をたてた。物音を立てずに進む父さんに続いて、僕も慎重に、中へと入る。部屋の中心には、黒く大きなグランドピアノが、窓から差し込む光を反射して、輝いていた。


「さすが、親父が生涯通して使っていた、グランドピアノだ。こうやってみると、神々しささえ感じられるなあ」


 父さんは感慨深そうに言った。父さんが、親父と呼ぶ人物、そう、僕の祖父のことだ。祖父は、有名な作曲家として、世間に知られていた。その作品は、音楽になじみの薄い僕でも、ちまたで度々、耳にすることがあるほどだった。祖父が元気なころは、この作曲スタジオに何度か遊びに来たことがあったし、僕を見ると満面の笑みを浮かべて、即興で音楽を創り、僕に聞かせてくれた。


 その祖父が一年ほど前に、亡くなった。


「まるで、ついさっきまで親父がここに居たみたいだ。この散らかり具合、生前と変わらないよ。優太、お前、ピアノの周りのほうから片付けてくれんか」


 グランドピアノの周りには、すこし埃のついた楽譜が散乱しており、横のサイドテーブルにも、楽譜が山のように積み上げられている。そして、ピアノの上には、古い機械仕掛けのメトロノームが、振り子を大きく左側に傾かせたままで、止まっていた。


「わかったよ、父さん。佳奈は、武志のほうを頼むよ」

「うん、まかせておいて」


 スタジオの入り口にいた妻の佳奈は、ちょうど一歳になる息子の武志を抱いて、リビングのほうへと戻っていった。


 さあこれから、スタジオの遺品整理だ。祖父が有名人であるゆえか、大掛かりな葬式や、追悼コンサートやらで、だいぶ先延ばしが続いたけれど、今日からようやく、取り掛かることができる。


 僕がまずサイドテーブルの楽譜から手を付けようとすると、ほんの少しの揺れで、積み重ねてあった楽譜がどたどたと崩れ落ちてしまった。


「うわ、しまった。こりゃ油断ならないな。……ん? これは……」


 僕は散乱した楽譜の中から、一枚をひろい上げた。


 タイトルにはこう書かれていた。『名曲』と。


 そう、単に名曲とだけ書かれているのである。続けて、楽譜に目を通してみた。そこには、手で書かれた単純な音符が点々としているだけ、音符の『ぼう』や『はた』がよれよれになっており、なんだか本当におたまじゃくしのようだ。


 音楽に関しては少々の知識しかない僕でも、これは名曲と呼ぶには程遠いとわかるものだった。それでも僕は、ためしに、その『名曲』を祖父のピアノで弾いてみることにした。


 バン、ビン、ビン、パン、ポローン。


 第一小節だけ弾いてみたものの、やっぱり単純な音色だ。これならば、僕でも指一本あれば弾くことができる。


「おいおい、優太、遊んでないで手早く進めてくれ。こっちはすぐにでも手伝いが欲しい所なんだから」


 音色に気づいた父さんが言う。父さんの方は古いレコードや録音テープ、CDなどを段ボールに次から次へと詰め込んでいた。段ボールは、すでに三個分にまで積み上がっていた。


「ごめんごめん、すぐ終わらすよ」


 僕はそう言うと、気持ちを切り替えて、段ボールへ楽譜を詰めはじめた。




 夜になって、遺品整理もひと段落がつき、とりあえず今日はここまでということで、引き上げることにした。


「何見てるの? それ、お爺さんのスタジオにあったやつ?」

「うん、ちょっと気になってさ」


 帰り道、車を運転していた佳奈が話しかけてきた。助手席に座る僕が、一枚の楽譜をじっと見つめていたので、不思議に思ったのだろう。


「おじいちゃんは、だいぶ病気が進んでいたのかな……」


 夜までに数千にもおよぶ楽譜を整理していたのだけど、この『名曲』のように、素人目からでも稚拙な印象を受けるものは、これだけだった。だから僕は、この曲は祖父がまともに楽譜も書けないような状態で作られたものだと、推測した。


「じゃあそれは、もしかしたらお爺さんの遺作、ってことになるかもね」

「あり得るね」


 一枚しかないとはいえ、一応は作品と呼べるのだろう。僕としても、この『名曲』には妙に惹かれるものがあった。だから持ち出したのだ。


 自宅に着いてから、僕はネットを通じ、あくまで知人同士の範囲内で、この『名曲』を紹介してみることにした。




 しかし、これが良くなかった。『名曲』はインターネットを発端として、瞬く間に世界中へ拡散してしまったのである。人の口に戸は建てられないというのは、まさにこのことだ。


 どう考えてもふざけてるようにしか見えない『名曲』だけど、これが有名な作曲家の遺作となると、そうもいかない。


 ある評論家は、これは音楽のシュルレアリスムだと言い、またある人は、この曲には何らかの暗号が隠されていると言った。


 ネット上では動画投稿サイトを中心として、異様な盛り上がりを見せていた。いわゆる、バズったというやつである。


 非常に単純な『名曲』は、国籍や人種、音楽への造詣の深さに関わらず、誰にでも演奏することができた。弾いてみた人、奏でてみた人に留まらず、面白半分に適当な歌詞をつけて無理矢理歌ったり、やたら露出の多い服装で踊ったりする人まで現れた。


 挙句の果てに、これは世界平和を促すために遺されたのだと主張する、反戦活動家まで出てきたのだ。


 もはやこれは、祖父に対する冒涜に思えてならなかった。


 もう、いい加減にしてくれ!




 拡散させた根本の原因である僕は、メディアを通して自ら孫であることを明かし、事態の収拾を全世界に向けて嘆願した。


 間もなくして、事態はだんだんと収まる動きをみせていった。しかし、僕の心には罪悪感がくすぶり続けていた。


 ある日僕は、中央のグランドピアノだけを残し、すっかり遺品整理が終わった、祖父のスタジオを訪れた。


「おじいちゃん、ごめん……」


 寂しく佇んでいるピアノを撫でながら、つぶやく。


「大丈夫よ」


 後ろで声が聞こえた、振り返ると、ドアの入り口に祖母が立っていた。


「あの人なら、ゆうくんが失敗したと知ったら、笑って許してくれるわ」

「そう、かな」


 その一言で、僕は少し心が軽くなった。


「そうね、ゆうくんも、もう、知っておいた方がいいわね、あの人の病気のこと」


 祖母が切り出した唐突な一言に、僕はあせった。そう、僕は、祖父が晩年にどのような病気にかかって、どんなふうに最期を迎えたのか、その詳細は聞かされていなかったのだ。


「実は、アルツハイマー型認知症にかかっていてね、病気が進行すると、音楽のことはほとんどわからなくなっちゃって、性格もだんだんと幼くなっていったの。あの人は有名な作曲家だから、この病気のことはなるべく伏せておこうと、そう取り決めていたのよ」

「……僕もあの『名曲』の楽譜を見て、認知症ではないかと思っていました」

「……苦しかったのでしょうね。まだ自分がはっきりしていたころから、ゆうくんに病気のことは伝えないでほしいと、言ってましたもの」


 祖父の顔が目に浮かび、思わず眉をひそめた。


「でも、あの人は最期まで作曲家だった。どんなに病気が進行していっても、僕は名曲を創る、それが僕の、この世に生まれた使命なんだって、そればっかり。むやみに鍵盤を叩いては、楽譜に音符を書きなぐったりを繰り返していた。そして、ある日、ピアノの横で倒れて、そのまま亡くなってしまったわ」


 祖母はふう、と、ため息をつくと、僕を見てほほえんだ。


「あの『名曲』は、きっと、あの人が最後まで作曲に殉じた証なのよ。最後の最後まで尽きない、作曲に対する執念、それがあの曲からは感じ取れるの。たとえ偶然でも、ゆうくんが世界に『名曲』を広めてくれて、あの人は密かに感謝しているんじゃないかしら」


 僕には言葉が無かった。


 祖母は、いくらかの慰めの意味もあって、僕にそう言ったのだと思う。でも僕は、あの『名曲』が、どのようにして作曲されたのか、まるでわかっちゃいなかった。祖父の作曲に対する執念の凄みと、僕の軽はずみな行動への自責で、胸はさらに熱くなった。


「あうー」


 ふと声が聞こえて、ドアのほうを見た。そこには、息子の武志がいた。


「武志!?」

「あらあらたけちゃん、どうしたのかしら」


 武志がよちよちと歩いてくるので、僕はあわてて武志に近づき、抱きあげた。


「こら、またお前は、母さんのところから抜け出したのか?」


 僕に話しかけられても、武志はある一点――祖父のグランドピアノを、じっと見つめ続けていた。


「あら、たけちゃんも、ピアノに興味があるんじゃないかしら」


 祖母の言葉に反応するように、武志はピアノのほうへと手を伸ばした。あそこに行きたいと、訴えているようだった。


「やれやれ、しょうがないやつだなぁ」


 僕は武志を抱えて、ピアノの椅子まで連れていき、優しく語りかけた。


「ほら、武志。これが、ピアノというものだよ。この白いのと黒いのをたたくと、すてきな音が出てくるんだ。武志のひいおじいちゃんも、ピアノのことが、とっても好きだったんだよ」


 武志は、しばらく白黒の鍵盤に見入っていた。やがて、僕の腕から身を乗り出し、両手を鍵盤の上に置くと、小さな手を思いっきり振って、叩きはじめた。


 バン、ビン、ビン、パン、ポローン。


 僕と祖母は、目を見合わせた。その音色は、祖父が遺した『名曲』の第一小節と、寸分の違いも無いものだった。


「きゃっ、きゃっ」


 静かなスタジオの中心で、武志はまるで生涯の友を見つけたかのように、笑うのだった。



-END-

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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