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六. 策謀

結局三成は大坂に入場することとなり、謀反者とされた家康であったが、しかし彼はまだそのことを知らない。

そして真の反逆者が暗躍する中、策謀の中心に据えられた三成は逃れられない運命に囚われて動く・・

二日間逗留した恵瓊が去ったあと、軍備を早々に整えた三成は軍勢を率いて大坂城に入城していた。


彼らの言い条はつまるところ恫喝であったが、三成がその希望をのんだのは単に嫡男を人質に取られ、自城を囲まれたからだけではない。


恵瓊のことはともかく、公私ともに吉継との交わりが深かった三成は吉継の清心を信じていた。


―豊家がためならこの身果つとも―と強烈な忠義心を心に刻んでいた男である。


その点は不安定で将来性に乏しい豊臣政権よりも、長期的に安定が見込める政権の樹立を最重要に考えている三成とは異なるが、少なくとも吉継は欲に誑かされて動くような男ではない。


とはいえ、吉継との情誼のために家康との約束を反故にするつもりはない。


三成自身が計画し家康を巻き込んだ変事である。


三成は次善の策を模索する。


まずは裏で糸を引く安芸中納言輝元を表舞台に引っ張り出すことである。


根拠なき自信をもって思うがままに世の中を操れると甘い夢に溺れているこの大国の御曹司を矢面に引っ張り出し、日の本の大名を煽り世をかき乱すことは、確かに輝元が望む天下騒乱の絵図を現出させることとなろう。


しかし「毒を以て毒を制する」の言葉の通り、それは世に数多潜む姦物をあぶりだし、これを誅滅する良い機会にもなる。

反徳川陣営に身を置きながら当初の密謀に則して、反乱分子を誅滅する好機を探ることができるはずであると三成は考えていた。

矛盾した話ではあるが事態を俯瞰すれば、それが天下を大乱から守り、自家を守り、吉継を守ることになると信じた。

三成は自分に言い聞かせるようにこれからの策を頭の中に浮かべると、家康に一筆認(したた)めた。

事の行きがかり上家康に敵する立場に就いたと伝えるためである。


この時主君輝元の言いつけで安芸から大坂にやってきていた安芸宰相、吉川広家は恵瓊に呼び出されていた。


よほど人の耳を嫌う話なのであろう。


城外の寺の一室に入った広家は、なかなか姿を現さない恵瓊に苛立ちを感じ始めた頃だった。


「しばらく。」


登場した恵瓊は待たせたことも詫びずにいつも通りの澄まし顔で広家に切り出した。


「宰相殿にはお話しせねばならぬと思うての。」


もともと猛将として知られた父、元春は大の恵瓊嫌いであった。


そんな父に倣って広家も何を考えているかわからないこの妖僧が好きではない。


「何の用でござろうか。」


「まぁ、そうかまえなさんな。」


ぶっきらぼうに答える広家に恵瓊は鷹揚に構えて言った。



しばらくのち、この度の政変の計画を恵瓊から告げられた広家はかっと目を剥いて怒鳴った。


「愚かなことを申されるな。


先年われらが殿、輝元殿は内府公と互いに起請文を交わされ、その中で殿は内府公を父と思うとし、内府公は殿を弟と思う、としている。


その内府公が不在の今を好機とし、それを討伐する軍を上げるのは筋が通らん。」


「筋違い?筋違いとな。


その内府公は公儀を蔑ろにし、自らの権勢をほしいままにしておられる。


これは筋違いでないと?」


広家は言う。


「一口に内府討伐を口にするが、内府公は長く戦乱を勝ち抜いてこられ故太閤殿下と矛を交えた時にはこれを敗っておられる。


当時八カ国を治められ兵、軍備に大きくまさった殿下の軍をわずか三ヶ国の兵をもってである。


現在その威名は日の本に遍く知れ渡っており、その石高においても比肩する者はなし。


これにどうやって対抗しうるというのだ。」


「それほどまでに内府を恐れるでない。


我らが毛利家独軍で当たろうと言うておるのではないのじゃ。」


「わかっておるわ!


分かっておらんのはお主じゃ!」


「我が殿がなぜこの大坂に向かっておられると思う?」


主君の話を出されて広家は言葉に詰まった。


―この者が輝元を惑わしたのだ!


広家はそう直感した。


この時輝元は自ら軍勢を率いて大坂城に乗り込む準備をしている。


「そうじゃ、まずは落ち着かれよ。


よいか。


見ての通り、すでにこの大坂には各地より軍勢が参集しておる。


輝元殿を盟主に内府を討つがためじゃ。


それはまだまだ増えおるぞ。


内府が如何に戦巧者であれ、世の諸侯を敵に回していつまでも戦い続けられるものか。」


黙りこくった広家の様子をみて恵瓊は満足そうに頷いた。


「こは政じゃ。


政は我らにおまかせあれ。


戦では頼りにしておりますでな、宰相殿。」


恵瓊はそう言って茶を勧めた。


「事、相成らぬ事態となったらば?」


恵瓊の覚悟のほどを聞いておきたい広家は恵瓊を睨みながら聞いた。


「もし事が相成らぬ仕儀となれば、愚禿が腹を切ろうぞ。」


言うことは潔いが、恵瓊の態度からはまるで覚悟が感じられない。


―この者、やはり危険に過ぎる!


広家は今この妖僧の首を落とさねば、と思うと刀に手をかけていた。


驚いた恵瓊が咄嗟に座を立とうとしたのをみて、広家は冷静さを取り戻し刀から手を離した。


今この妖僧を切ったところで事態は変わらず、生かしておくことで責任を取らせることもできると考えたのである。


いわば保険であるが、行き場を失った広家のその右手は畳の上の茶碗を探すと、おもむろにそれを手に取り


「ふんっ」


と握り潰した。


茶碗を持ったままの拳から滴り落ちる血を見て言葉をなくした恵瓊に広家は言った。


「御坊の首が毛利の御家に釣り合うと申すか?」


再び涼しげにとり繕った恵瓊が


「毛利の家は守りまするぞ、必ず。


主家を思う気持ちはそこもとと同じじゃ。」


恵瓊がそう返すと広家は何も言わず乱暴に席を立った。


広家が表に出るとその剣幕に驚いた供のものが思わず声をかけた。


「いかがなされたので・・」


広家はそれに答えず、憎々しげに独り言ちた。


「おのれが首の重さを測り違えておるわ、


戦を、武家の政のなんたるかを解さぬくそ坊主めが。」




七月十七日


表には豊臣政権の屋台骨であった三成をこの度企てに引っぱり出しそれを広告塔にクーデターを起こさせ、裏では自身の野望が絵図通りに進んでいると信じ切っていた輝元は三万の大軍を率いて、颯爽と大坂城に入城すると家康の留守居衆であった西ノ丸にいた佐野綱正を追い出してそこに入った。


これは秀吉崩御のち三年の間は大坂城に留まり続けるよう、つまり大坂から離れてはいけない、と遺言した秀吉の言葉に背き幼君秀頼の守役を投げ出して大坂を出た家康に代わり、輝元がそのお役を勤めるという意思表示である。


つまり秀頼の後見として政治を看ることを世間に公表したのだ。


それは三成が大坂に入城し輝元を家康に替わる次期執権として迎えると喧伝してからたった二日後のことであり、安芸より海路飛ぶようにやってきた輝元はよほど周到な準備をしていたに違いない。


本丸には増田長盛が入り、その周りには同じく奉行衆の長束正家、前田玄以の姿があった。


これは彼ら奉行衆が上位命令者に位置していることを、そしてその奉行衆が中心となって起こした家康に対するクーデターであることを意味している。


このことは諸大名のみならず家康を除く豊臣政権の幕僚が恵瓊に籠絡されていたことの証拠であるが、事が成った暁には毛利家が天下の主宰者となることまで予定調和とされているのであろう。


―よく手を回したものだ


恵瓊の策謀がここまで大がかりであったことは三成にはついぞ知り得ず、気の進まないながらに名を連ねた企てとはいえ思わず感心させられた。



この日家康を弾劾する十三ヶ条にもわたる条目を記した―内府ちかい(違い)の条々(じょうじょう)―を輝元と秀家の連判で認めた。


これは朝鮮在陣中に秀吉が死去したため、中央の情勢や―内府に政治を任せる―といった秀吉の遺言をよく知らなかった九州の諸侯に対して発せられた檄文であり、家康による―天下簒奪の野望を正し、政道を整える―といった輝元らの唱える正義を裏書きする意味合いがあった。



さらに増田長盛、長束正家、前田玄以ら奉行衆の三人らも―家康が故太閤秀吉の御置目(秀吉が制定し遺した法)に背き秀頼を見捨て兵を挙げた―として連署状を作成、布告した。


吉継は各所に味方を募るための書簡を認めている。



さらに家康に従った諸侯を切り離すため、新たな手を打った。


「今内府の東下に従軍した諸将が身を翻えして大坂に牙を剥くことなきよう、大坂城に置いておる家族を質にとるべし。」


と軍議の席上にて恵瓊が建議し、輝元がそれを許すとさっそくその手はずが整えられた。


また近江から美濃へ通じる愛知川に関を設けて、家康に従い会津に向かわんとする諸侯を京畿に閉じ込め、彼らを自陣営の与党に転じようと計った。



ここに恵瓊が絵図を描いたままに輝元を総大将、宇喜多秀家を副将としたクーデターを具現化したのである。


ここまでの流れを整理すると、会津討伐軍、つまり当初家康が会津討伐をお題目に招集し発した軍勢(以後東軍と呼ぶ)は「太閤秀吉の遺言により幼君秀頼が当主の豊家を支える家康を御公儀(の名代)」とした軍であったが、「家康に替わりに大坂城に入城した輝元が秀頼を戴いて家康に対する弾劾状を発したことで家康は逆賊となり、それに対して輝元は新たな御公儀(の名代)となった」ということである。


一朝にして家康を官軍から逆賊へと貶めた鮮やかな政権交代劇であった。


そして三成らを討ち手として(以後西軍と呼ぶ)官軍はこれから逆賊を追討に向かうのである。


この時点において輝元、恵瓊、そして増田ら奉行衆らはこのクーデターの成功を確信していた。



三成と家康が懇ろであることを知る恵瓊は、着々と進められるクーデターの準備に日に日に三成の表情が曇ってゆくのを見て、


「治部め、内府の元へ奔る方策でも探っているのであろう。」


とその動向に目を光らせた。


―治部と内府の離間を決定的なものにするためにも、もう一手打っておくべきか


そうつぶやくと恵瓊は右筆を呼んだ。


一刻のち右筆が携えていたものは花押(印)のない書状であった。


恵瓊はそれに目を通すと満足そうに頷いた。



西日本から瞬く間に十万の軍勢が大坂城に集まった。


この事実が恵瓊らの策の周到さを如実に語っている。


ここにきて大坂を中心に中立を許さない気風が広がり始め、いよいよ西軍と東軍、天下を二分する図式ができつつあった。


この時江戸にいた家康は三成からの密書で自分に反する勢力がおこったこと、行きがかり上三成がその勢力の中心に立たされたことを知らされていたが、その規模がこれほどまでに急膨張していることは知る由もない。


その間隙をついて西軍は秀吉在世時に政庁であった京の伏見城に向けて出征する。


関ヶ原の戦いの序幕が上がろうとしているのである。



この反徳川で固まった集団に身を置きながら、自らのありようとその策の展開を模索していた三成は閨にあって長く眠れずにいた。


望まぬままに―天下の仕置きを成しうる唯一人―である家康その人を―仕置きされるべき者―とする西軍の中心に身を置くことになったが、揺れる天下の情勢にこれからの行動指針を三成は立てられずいた。


更には人質とされた嫡子・重家のこともあった。


西軍の戦略は伏見城を奪い畿内および伊勢を制圧し、濃尾(現愛知および岐阜両県)に繰り出して数段に渡る防衛戦を張り、西に転進してくるであろう家康を迎え撃つことを構想しているというが、三成にとってはなんとも難しい状況となったものである。


―嵌められたとはいえ、この反徳川勢力に身を置くという選択は果たして正しいものであったのだろうか


吉継と袂を分かってでもわしは内府殿に御味方するべきであったのではないか


重家が人質に取られているといえども、信ずる正義に反しておるのでないか・・


「今、よろしいか。」


物思いに耽る三成を夜半訪ねてきたのは左近であった。


「いよいよ内府と事を構えることになりました。


殿のお心のほどは解しておりまするが、こうなってしまっては致し方なきことにございますれば、会津に、そして常陸(佐竹義宣の領地で現茨城県)に江戸を攻むるべく書状を出されませい。」


家康を江戸に引き籠らせることができればそれが最上であり、そのために今からでも上杉と佐竹に軍を出させて牽制するべし、と言うのである。


左近の言い条はもっともであった。


恵瓊らの立てた作戦は濃尾に防衛戦を張り会津征討を大義とした家康率いる軍勢を濃尾で待ち受けることであったが、それよりも家康が背を向けているうちにその本拠の江戸を目指して可能な限り軍を押し出し関東、東北諸家の軍勢も徴発して家康の本拠・江戸を攻略する積極策こそが上策であろう。


上杉と通謀し兵を挙げさせた恵瓊や増田らは吏僚である。


机上で戦術論を述べることがその能力の限界であり、状況に応じた戦略を組み立てることは到底できない。


だがその策の成功が意味するところは家康の没落であり、三成の企図した策に相違する。


三成は目を伏せ、黙って首を横に振った。



左近が退出してから一刻もしないうちにまたもや訪問する者があった。


小西摂津守行長である。


三成とはかねてより近しい間柄で憚るところなく語り合える男であるが、すでに深夜である。


不思議に思った三成は会うなり


「摂津、おのしはなぜここの不毛な戦いに身を投じた?


安芸に、恵瓊に誘われたからか。」


と挨拶を省いて尋ねた。


木で鼻を括ったような三成の態度に失笑した行長は


「おのしじゃ。


不本意にも戦の首謀者に据えられて苦しんでおろう、と思うての。」


と笑った。


豊臣政権下で同じ奉行衆に名を連ねていた行長はよく知った仲ではあるが、恵瓊らに嵌められた今、その恵瓊らとどのようにつながっているかわからぬ行長の言葉をそのままに受け取ることはできなかった。


難しい顔で黙り込む三成に、


「わしがおのしを支えようぞ。


重家のことも心配は無用じゃ。」


と行長は微笑むと帰っていった。


この商人上がりの男は数字に長けた人物ではあったが政治的野心は薄いはずであり、どうそろばんを弾いてこの政変に参加したのか三成にはわからない。


わからないなりにも豊臣政治の下、共に働いたこの馴染みの顔が気休めでも声をかけてくれると気持ちが幾分か楽になった。


―考えても致し方なし


迷いを断った三成はようやく浅い眠りについた。

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