10.助けました
「さて、と……アンナちゃんはどこに……」
女将から聞いたアンナの特徴は、茶色毛を三つ編みにした女の子。
宿を出る時は薄桃色のお洋服を着ていたようですが、その情報は無意味なものになってしまいましたね。
それを思い出しながら周囲を──特に子供に注目して探します。
「あ、あれですかね?」
ちょうど松明の火が届かない位置。薄暗い檻の中に彼女はいました。
酷い有様です。お洋服は全て剥ぎ取られており、薄汚れた肌には無数の細かい擦り傷が刻まれ、大っぴらに開かれた彼女の股からはまだ乾ききっていない血痕が────。
「こんにちは。お元気……ではなさそうですね。私が見えていますか?」
「………………」
アンナの目の前で手をひらひらと振ります──が、反応はありません。
私が近づいたってピクリとも動く気配がないのは、動こうとしないのではなく、動けないのでしょう。──それも当然。彼女の手足は複雑に折れ曲がり、少しでも動けばその体に堪え難い苦痛が襲い掛かるはずです。
「でも、まだ生きているようで安心しました。助けにきましたよ」
「………………」
「周りのゴブリンは全て殺したので、もう安全ですよ。ほら行きましょう?」
「……………………」
「……あらら。これは困りましたね」
ここまで反応が無いとは思いませんでした。
私のことは見えているはずです。しかしまるで見えていないかのように、虚空を眺めている。……これは、もしかしなくても?
『この娘はもうすでに……心が死んでいる』
「そのようですね」
まぁアンナの境遇を考えればすぐに想像がつくことです。
急にゴブリンに攫われ、孕み袋のために純潔を奪われ、更には抵抗できないようにと体の隅々までを壊される。小さな娘には過酷すぎる結末。心が死んでしまうのは当然と言えば当然でしょう。
…………ふむ。仕方ありませんね。
「ヴァール。巻き戻してあげてください」
『…………よいのか?』
「ここで死ぬよりはマシでしょう」
ヴァールは皇竜。
竜族の全てを支配する彼は、人間では到底成し得ないような『奇跡』を引き起こすことができます。
今から行うのは、その能力の一つ。
『時効転化』
それは対象の状態を過去に戻す魔法。
癒すのではなく──戻す。体も記憶も心すらも、その人の全てを過去のものにしてしまう。一般人からすれば「なんだそりゃ」と思うような力です。
傷を癒したり病を治したりする治癒魔法と呼ぶには歪すぎる皇竜の力は、実のところ、あまり気軽に使えるものではありません。
強大すぎる力には、それなりの代償がある。
だって時間を巻き戻せるのですよ?
人智を超える力をタダで利用できるなんて、そんな美味い話はありません。
「もう日が暮れます。さっさと始めちゃってください」
『戻すのは一日前でいいか?』
「ええ」
アンナの状態を一日前に戻す。
その代償は、アンナの一年分の寿命です。
一日戻せば一年。十日戻せば十年。
平均寿命が60くらいの人間には決して無視できない代償になりますが、心を殺すほどの悲劇を綺麗さっぱり忘れ、何もなかった健康状態に戻せるのです。それの代償がたった一年の消費。そう思えば安いでしょう?
「さて、アンナちゃんのことはヴァールに任せるとして……」
檻から出て、ぐるりと周囲を見渡します。
アンナは戻せるとして、他の被害者達はどうしましょうか。
すでに事切れている者は戻せません。なのでこの場に捨て置きます。
問題なのは、まだかろうじて生きている者。彼女達もアンナのように戻すことができますが、果たして、戻してあげたところで私に利益があるのでしょうか。
私は、アンナのご両親からの依頼でここに来ました。
報酬は宿代の割引。それをお互い了承した上で『アンナを無事に連れ戻す』ために私は動いたのです。
正直、他はどうでもいい。
…………とは流石に言い過ぎですが、彼女達まで助けてしまえばちょっと面倒なことになるので、あまり気乗りはしません。
まず一つは、無力な彼女達を引き連れて帰ること。
馬車はないので徒歩です。服も武器も無い状態で森の中を大人数で移動し、私はそれをリシェーラ公国まで護衛する。……考えただけで頭が痛いです。
そしてもう一つは、騎士団への事情説明。
彼女達を助けることになった経緯を話し、その情報が正しいかどうかの調査に付き合わされ、ようやく解放される頃には間違いなく、三日程が経過しているでしょう。
私の言うことが本当だったと分かれば多少の報酬金は貰えると思います。しかし、そこに至るまでの過程が面倒臭すぎる。
という二つの点から、私はあまり手を出したくないなぁ……と思っています。
「せめて、どちらかを除外できればいいのですが……」
『では一旦彼女達をここに放置し、その後、騎士団を送ればいい』
うーんうーんと悩んでいた私に、ヴァールの声が。
振り返れば彼が檻から出てくるところで、檻の中にはすやすやと静かな寝息を立てるアンナの姿が。
「もう終わったんですか?」
『問題なく。それで、他の人間をどうするかだが』
「ええ。ここに放置して騎士団を送るとのことですが、そうする理由は?」
『この力を全員に使うのは我も疲れる。そしてヴィアラも彼女達を連れ帰るのは面倒臭くて嫌だと言う』
「いや別に、嫌とは……」
『そこで一旦、アンナだけを連れ帰り、事情を説明するのだ。それなら面倒事を一つ省ける上に彼女達を助けられるだろう?』
顎に手を当て、考えます。
「なるほど。……たしかに、それならば多少の手間は省けます」
騎士団への事情説明は残りますが、これは仕方ないと割り切ります。
ゴブリンのことを知らせておけば報酬金を貰える上に、騎士団は今以上に警戒度を引き上げ、彼女達のような被害者を出さないようにと今後も動いてくれるでしょう。
なら仕方なく、本当に仕方なくですが……私も少しは働きましょう。
「うん。ヴァールの案を採用しましょう」
となれば早速行動です。
アンナの裸体を毛布で包み、抱き上げます。
「すぐに助けを呼びます。それまで暫し、お待ちを……」
念のために魔族を拒む結界を張り巡らせ、私はその場を離れました。




