改心した元冷酷王子。3年ぶりに東京へ戻る。
『当機は間もなく着陸態勢に入ります。いま一度、座席の位置とシートベルトの確認を──』
俺は美咲からもらった手紙を折りたたむと、内ポケットにしまった。
「……春。手、いい?」
膝の上に戻しかけた左手を、隣に座る遥さんに握られる。
「ごめん、遥さん。起こしちゃった?」
「んん。なんだか着陸って苦手」
俺は遥さんの手に右手を重ねると、
「大丈夫。苦手なものも、怖いものも、辛いものも悲しいものも、これからは二人で分かち合えば全部半分だから」
「ありがと。春」
遥さんが俺に寄りかかる。
俺は肩に乗った遥さんの頭にさらに自分の頭を傾けた。
「いいお友達ね」
「今時手紙なんてね──初めてじゃないかな。こんなのもらうの」
「慌ただしく離れ離れになってしまって、寂しくない?」
「あいつらは東京の大学希望してるって言ってたから、受かれば数年後にはまた会えるし。東京でも新しい友達ができるように頑張るよ」
「友達……男子校じゃなくなってちょっとホッとしてる?」
「まあ、それは。俺もいまでは健全な男子なので」
「ねえ。例の子、もし逢えたらうちに連れてきてね。私もお礼を言いたいから」
「そんな簡単に逢えるかは……まあでも遥さんにはぜひ会ってもらいたいな。それも俺が彼女に嫌われてなければ、の話だけど」
「いまの春なら問題ないわよ。約束ね。連れてきてね。私お料理つくるから。そうだ。どうせならお友達みんな誘ったらどう? 東京のマンションは鹿児島のマンションよりも広いから少しくらい人数が多くても──」
「ちょ、友達って、気が早すぎだってば。一からというか俺の場合むしろマイナスからのスタートなんだし。ねえ、それより東京の遥さんの家ってどんななの? そろそろ教えてくれてもいいんじゃない?」
「ん~着いてからのお楽しみ。春も気に入ってくれるといいな」
遥さんが膝にかけていたブランケットを半分、俺の膝にもかけてくれる。
「俺は遥さんが居るならどんなところでも構わないよ」
「春ならそう言ってくれると思った」
「でしょ?」
どこだって構わない。遥さんがいるのなら。
たとえそれが俺を歓迎しない人物がいる東京だとしても。
俺は遥さんの温もりを感じながら、窓の外に映る夜の帳が下りかけた東京を見下ろした。
◆
「青山タワーレジデンスまでお願いします」
無事空港に到着し、預けた荷物を受け取るとタクシーに乗り込んだ。
遥さんが運転手さんに告げた行先は、なんとも高くて高級そうな建物名だ。
どのくらいかかりそうですか──遥さんの問いに、この時間帯なら十五分もあれば、と返ってくる。
平日だから空いていますからね、と。
遥さんはシートに深くもたれると、機内からずっと着けていたサングラスを外した。
「ね。それってもしかして変装?」
外はもう暗い。紫外線から瞳を保護するため、ではなさそうだ。
「そこまで大げさじゃないけれど、誰かに話しかけられたら春に嫌な思いをさせてしまうかもしれないから」
「ん~。もしかして遥さんって結構有名だったりする?」
スマホで検索しようともしたけれど、万が一ショッキングな情報とかが目に飛び込んできたら、などと思ってしまい結局できずにいた。
こういうことは本人に直接聞けばいい。
「星空灯さん、ですよね」
唐突に運転手が話しかけてきた。
「最近お見掛けしなかったので心配していたんですよ」
元気そうで良かったです、運転手さんはルームミラー越しに笑顔を見せた。
「ほしぞらあかり……?」
聞いたことのない名前に、はて、と遥さんを見る。
「春、それは事務所の社長が勝手に決めたの! 私は本名がいいって言ったのに!」
「え!? 遥さんってほしぞらあかりって言うの? え? 星宮遥じゃないの?」
「はあ……まあいずれは知られちゃうことだからいいけど……」
どうやら遥さんの芸名らしかった。
星空灯──悪くはないけど、やはりピンとこない。
「星空さん、もしかしてお仕事、復帰されるんですか?」
運転手さんが興味津々であることを隠そうともせずに聞いてくる。
「いえ。私はもう引退しましたから」
「『乱れる新婦』シリーズが大好きで、ファイナルシーズンなんて何度観たことか。あれの続編、いつか観られないかなって、いっつも話題になってるんですよ」
乱れる……新婦……だと? 遥さんが新婦……
「ありがとうございます。でも続編はありませんので」
乱れる……新婦……新婦を……遥さんが……
……ごくり。
帰ったら星空灯すぺーす乱れる新婦で検索しなきゃ。
『春ぅ? 変なこと考えちゃだめよ? 春にはまだ早いから』
「──っ! っう、うす」
遥さんに耳元で囁かれ、思わず二度ほど首を縦に振った。
「着きました」
そうこうしている内にタクシーは目的地に着いたようだ。
俺がトランクから荷物を出している間、名残惜しそうにしている運転手に会計を済ますと、遥さんも降りてくる。
タクシーを見送ると、遥さんが建物の入り口に向かって両手を広げた。
「さあ、ここが私たちの新居よ」
「これ? この建物? ここが入り口?」
「そ。車寄せのね。さあ、入りましょう」
ほぇぇ。すっご。地下に車寄せがあるのか。
遥さんはオートロックの扉を操作すると、すいすいと中に入っていった。
俺もそれに続く。と、ふいに漂うアロマの香りに驚かされる。
「エレベーターはこっち側のを使って。迷子にならないようにね」
到着した鏡張りのエレベーターに乗ると、遥さんはいくつもあるボタンのうち、一番上のボタンを押した。
「45階って、最上階?」
「そう。ねね、春。目つぶって」
「え? め?」
「うんほら、景色を見るときによくやるサプライズ」
「ああ、あれ」
45階からの眺めって、どんなんだろ。
俺は遥さんの指示に従い、目を閉じた。
少しの浮遊感のあと、チン、とエレベーターが止まる。
扉の開く音がして、荷物を持つ反対側の手を遥さんに引かれる。
「そのまま真っ直ぐ真っ直ぐ、そういい感じ。はい、そこでいったんストップ」
遥さんの手が離れる。
ドアのカギを開けているのだろう。
「はい、じゃあ入ります。っと、ここで靴を脱ぎます」
気をつけてね、という遥さんの肩を借りながら靴を脱ぐ。
もこっと柔らかい感触が足の裏に伝わる。
ん、高級そうな絨毯だ。
「まってね、いまリビングのドアを開けるから」
いまいちど遥さんの手が離れたすきに、嗅覚を働かせる。
なんともいえないいい香り。
何年も留守にしていたはずなのに、なんでこんなにフレッシュな香りなんだろう……ん? この匂いは──
「はいゆっくり入ってきて。そのまま真っ直ぐだから」
「や、遥さんの手がないとさすがにちょっと怖い──いてっ! おっと!」
「ちょっと右! そう、そのままそのまま、はいストップ! それでは春さん。ゆっくり目を開いてください」
「んでは、失礼して──」
俺は遥さんの声のする方を向いて、そっとまぶたを開いた。
と、そこには。
「ハッピーバースデーっ!」
声の直後、ぱんっ! ぱんっ! という破裂音。
「うぇ!?」
驚き立ちすくむ俺の正面には満面の笑みでクラッカーを手にした遥さん。と、その後ろに広がる圧倒的東京の夜景。
「春! 16歳の誕生日おめでとう!」
「おめでとうございます」
「え? だ、誰!」
遥さんの声に混ざって、背後から聞こえる声に慌てて振り向く。
「初めまして。灯……遥のマネージャーをしています紫雨と申します」
「う、あ、初めまして。すみません。少し驚いてしまって」
髪を結いあげた、キリリとした女性。
年齢は遥さんと同じか、少し上か。
遥さんだけだと思っていたから、つい油断してしまった。
「遥さんの甥にあたる逢坂春臣と申します。ええと、遥さん、これはいったい……」
俺は遥さんに困り顔を向けた。
「いったいって、春、今日誕生日でしょ? だから紫雨さんに頼んでお祝いの準備してもらっていたの」
なるほど。だからオムレツの匂いがしていたというわけか。
誕生日だとは気づいていたが、まさかこの忙しいなか、お祝いしてくれるとは。
「ありがとう、遥さん。ありがとうございます、えと、紫雨さん……とお呼びしても?」
「はい。どうぞそのように。私は春さんとお呼びさせていただきます」
遥さんの粋な計らいに感動したところで腹がぐうと空腹を知らせた。
「さあ、春。手を洗ってうがいをしたらお祝いを始めましょう。部屋の案内とか、寝る場所とか、荷物の片づけとか、全部後回しね」
俺の三年ぶりの東京暮らしは、嬉しいサプライズで幕を開けた。
そして深夜──。
寝室に用意してくれていたパソコンで『星空灯すぺーす乱れる新婦』と検索をかけているところを遥さんに見つかってしまい心臓が飛び出たことと、『乱れる新婦』ではなくて『ミカエル神父』だと遥さんに指摘され、ほっそい目で叱られたことはまた別の話。
(ほぼ)本編スタートです。
ミカエル神父(Father Michael)
星空灯の作品を代表する人気シリーズ。
神父ミカエルが邪な思考に染まった若者を更生させるダークファンタジー。
神父役を務めるのは清純派若手女優、星空灯(18)。