予告告白
──卒業式。
三年間通い続けたこの学校とも今日でお別れだ。
俺の節目を祝いたいと、今日は遥さんも仕事を休んで見に来てくれる。
あの病院の日以来、遥さんとは普通に過ごせていた。
いつも通り会話をするし、家事も教わっている。
おかげでできることが増えた。洗濯機の回し方、洗濯物の干し方、たたみ方。野菜の切り方、煮物の味付け、揚げ物の温度。
遥さんは、単色だった俺の生活に彩を加えてくれた。
だが、一人で熟せる家事が増えるたびに、遥さんがいなくなった時のことを想像してしまい、その都度胸が締め付けられる。
そんな想いを隠しながら、俺は遥さんとの毎日を送っていた。
◆
式は思いのほかあっさりと終った。
ほとんどの生徒はそのまま高等部へ進むため、今生の別れも少なく湿った空気はない。
高等部は校舎が違うだけだ。会おうと思えば教職員ともすぐに会えるし、友人たちとも十日後にはまた顔を合わせるんだから思い入れも特にないのだろう。
俺なんて秘密の園に飛び込むんだからな。
学校帰りにお友達とカラオケぇとか、クレープ食べたりぃとか、夢が広がる。
あ、お友達の家にお呼ばれぇからのお泊り会ぃとかもあるかも。楽しみぃ。
男子校最高。
講堂を出るとすぐに美咲に肩を叩かれた。
「やっぱりすっげぇ人気だな」
美咲の視線を追うと、十河さんがえらいことになっていた。
東京に転校するからか、同級生からも下級生からも囲まれ、目を白黒させている。
と、遠巻きにこちらを見ている女子生徒に気づく。
「春っち、どうするの?」
省吾が俺の腰をツンツンつつきながら「僕たち外そうか?」とニヤける。
「もう俺たち必要ねぇもんな」
「お役御免、ってとこじゃね」
俊哉と正信にも脇をつつかれる。
っと、正信痛い。ちょっと痛いって。お前のそれ一子相伝の拳だから。おい秘孔突くな。破裂するぞ。
「どうするもなにも、今日は十河さんだけって決めてるから」
なんてカッコつけてみるけど、あれ俺目当ての女子じゃなかったら赤っ恥もんだからね。
みんなそこんところわかってる?
「おーおー。余裕だね。せっかく女子と喋れるようになったってのに」
「ほんとだよ。これから出会いがなくなるんでしょ? 男子校って女子いないんでしょ?」
美咲目当てかもしれないだろ。お前、頭頂部以外はイケてるんだよ? 自覚無い? 悪い意味で。
あと省吾。お前は秘密の園の文化祭に招待してやるからちょっと勉強しろ。んで素敵な恋が見つかるといいね。悪い意味で。
「お、おい! 遥さんがいるぞ! や、やばくね? うお! スーツ姿! やばくね? あのふくらはぎやばくね? 腰のくびれパネェ! 遥さんパネェ! つか俺のこと見てんじゃね?」
「おお。今日も遥さんは決まってるな」
ほんとだ。遥さんだ。
ほえぇ。俊哉じゃないけどスーツ姿似合ってるな。うん。やっぱ綺麗だ。
講堂から教室へは校庭の脇を通る。
式を終えた父兄の方々は校庭で待機しているのだが、そこに遥さんを見つけた。
俺より先に正信が見つけたのがなんだか気に入らないが。
遥さんはシンプルな紺色のスーツを着ていた。
決して派手ではない色の長い髪は、片側にまとめて胸の前でカールさせている。
俺の好きな髪型だ。
髪型もだが、俺はあの髪の色が好きで(特に風呂上がりの濡れているときの色)、何色なのと質問したら、ヘーゼルベージュよ、と教えてくれた。そんな色があるなんて、おしゃれは奥が深いのだった。
遥さんの背は俺より低いが、女性の中では高い方だし、スラリとしているからとても目立つ。
今も父兄と生徒からの視線を一身に受けている。
えへへ。あのひと、俺の知り合いです。
俺は遥さんに手を振り返すと、遥さんも嬉しそうに手を振ってくれた。
えへへ。あのひと、俺の知り合いです。
綺麗なお姉さん、好きじゃない人います?
おや? 誰だねあのお父さんは。
遥さんに近寄るおじさん。
スーツを着ているから式の参列者だと思うんだけど。
ちょっと近いですね指導が必要そうですね。
あ。声かけてる。
む。ナンパか? こんな場所で?
おじさんが手帳らしき冊子を開いて遥さんに差し出す。
なんだ?
遥さんが照れくさそうに、おじさんが持つ冊子にペンを走らせている。
???
おじさんは遥さんに頭を下げると父兄の中に消えていった。
なにあれ。
守衛さんなにしてるの?
俺に見られていることに気づいた遥さんは、真っ赤な顔で『前、前』と校舎の方を指さす。
見るとすでに列が動いていて、俺たちの前方が大きく空いていた。
「ほら。前、進んでるぞ」
俺はいまだ遥さんに視線を向けている友人四人の頭に手刀を入れて正気に戻すと前列に急いだ。
「なあ、遥さんって有名人なの?」
教室に向かう廊下で、さっきの一部始終を見ていた美咲が俺に訊ねてきた。
「ね。あれサインもらってたんだよね。もしかして遥さんって芸能人なのかな」
「じゃないと普通サインなんてもらわないだろ。どうなんだよ春臣」
「アイザカハルカ──っと」
省吾と俊哉も知りたいようだ。
正信にいたってはスマホで調べ始めた。
そういえば俺って遥さんの仕事を知らない。
割と休みに融通が利く仕事っぽいけど、聞いたことなかった。
こんど本人に聞いてみよっかな。
「ん~それらしいの出てこねぇんだけど」
スマホから顔を上げた正信が俺を見る。
「ちなみに遥さんの苗字って逢坂じゃねえぞ」
「え? そなの? んだよちょっと早く言えよ。なになに遥さんの苗字。なに遥さん?」
「それは慎んでお断りします」
「え? は? ひどくね? 鬼畜じゃね?」
あとでこっそり検索してみよ。
先生と、クラスメイトとお別れを言って教室を出る。
遥さんが待っているから早く用事を済ませないと。
今日のお昼は、帰りに遥さんがお寿司をご馳走してくれる約束だ。
──で、校舎裏。
「待たせてごめん。クラスの奴らにつかまってた」
「私も今来たところです。人気者は大変ですね」
「沙月さんがそれを言う?」
「逢坂さんこそ」
刹那の時間見つめ合い、ははは、ふふふ、と笑い合う。
「約束通り来ていただいてありがとうございます。逢坂さん」
沙月さんは春風で乱れた髪を上品な仕草で直す。
「約束は守るよ。それに今日は沙月さんとだけって決めていたから」
俺は随分と暖かくなった風に吹かれるままにいた。
「……」
「……」
にしても視線が多い。
美咲たちには先に帰れって言ったんだけど……
池の中まだ寒いよ?
「気になります?」
よそ見がバレたようだ。
沙月さんも野次馬に気づいているのだろう。
「いまは私だけ見てください」
少し拗ねたような沙月さんの頬は朱が差していた。
「そうだね。ごめん」
お世辞抜きに沙月さんは美少女だ。
女子と向き合えるようになってから、クラスの女子とも他クラスの女子とも他学年の女子とも会話はしたが、その中でも一番綺麗なんじゃないかと思う。
事実、男子の間では一番人気があった。先日、三年分の人気投票なるものを見せてもらったが、二年、三年と沙月さんは一位だったのだ。
ちなみに一年のときの一位と、二、三年のときの二位は十河さんだった。
俺としては女神十河さんが永遠の一位だけど。あ、遥さんは別ね。殿堂入りしてるから。
「それでは、逢坂さん。いまから私の気持ちを告白させていただきます」
そういう沙月さんの声は微かに震えていた。
緊張しているのだろう。
俺だったら耐えられそうにない。
沙月さん、男の俺なんかより全然カッコいい。
初めてだ。
面と向かって、相手の目を真っ直ぐに見て、嫌悪感を抱くことなく告白されるというのは。
自然と俺も緊張してくる。
そして沙月さんはゆっくりと口を開いた。
「私は物心ついたときから男性のことが苦手でした」
それが予告された告白の第一声だった。