天の原
桂子が突然連絡してきて、銀座で会うことになった。彼女は高校時代の同級生で、早い話がぼくの片想いの相手だった。ひさしぶりに三越のライオンの前で見る彼女は昔より肉付きがよくなっていたが、きれいだった。
彼女が予約したのは地酒のおいしい店ということだったけれど、ぼくは日本酒が飲めないので、麗々しくガラス扉の冷蔵庫の中に鎮座した一升瓶をながめながら、大吟醸と麦焼酎のお湯割で乾杯した。
「日本酒飲めないなんて知らないから、悪いことしちゃったわね」としきりに謝るのだけれど、それはぼくの嗜好を確かめなかったことを詫びると言うよりは、暗に日本酒も飲めないのかと難じているふうでもあり、その辺は十年近くの間に変わったのかなと思った。
変わったと言えばぼくらが通っていた田舎の公立高校で当時化粧なんかする女の子はいなかったから、化粧した彼女を見るのは初めてで、ふわりとした水色のワンピースと相まって華やかな雰囲気を漂わせていた。
ぼくは贈る相手もいないから女性のアクセサリーなんて疎いけれど、ブランド物の高そうなものを耳や首にぶら下げている。シャイニー・ピンクの唇に当たる銘酒のグラスに見とれてしまうと同時に、ふと昼間もこの格好で仕事しているんだろうかという気がした。
お互い田舎で開かれている同窓会にはほとんど出ていないだけに、クラスのみんなの現状といったことで話がはずんだ。田舎の役場に勤めたやつは、一生結婚しないなんて言っていた女の子と結婚してもう三人も子どもがいるとか、医学部を目指していた秀才は今ではIT企業を立ち上げているとか、同級生の消息をあれこれ教えてくれて、とてもおもしろかった。
上品な店なのか焼き鳥や刺身を頼んでも居酒屋なんかよりちんまりとした盛りで、いちいち店員が講釈を垂れてくれる。ぼくは濃い目のお湯割のせいもあって変な具合に酔っていきそうだった。
もちろん初恋の人とお酒が飲めるということも影響していたと思う。金融関係の営業をやっているという彼女の名刺をしまおうとして下に落としてしまうくらいだった。
学生時代の友だちに会うと、ものの十分も経たないうちに当時と同じ話し方になるものだが、なぜだかくだけた調子にならない。そんなことを気にするふうもなく、目を輝かせながら次から次へと話をする彼女の顔を見ながらあいまいにうなずいていた。……
高校時代にたった一度だけど、彼女とデートしたことがあった。地元の小さな遊園地に行くという芸のないことをした。すぐに上がって戻ってくる観覧車、ペンキが剥げて涙ぐんだような木馬が回るメリーゴーラウンド、おしゃべりをやめる必要のないジェットコースター、ヤギやウサギだけの子ども動物園……。
約束を取り付けた前の晩は小学生が遠足に行く前よりも興奮して、彼女のことを考えて生々しい想像をして寝つくことができなかった。頭の中ではいつも桂子と呼んでいたけれど、面と向かっては天野さんとしか呼べず、野球部の部室でタバコを吸っているようなやつらが名前を呼び捨てにするのをひそかに憤っていた。
そんなふうに女の子を好きになったことはそれまでも、その後もなかった。でも、それはデートを成功させるということから言うと、妨げにしかならない。話が途切れないように次から次へと話題を探したり、観覧車から見える海を大げさに驚いて見せたり、ヤギの咀嚼方法について細かい分析を披露したりした。
しかし、実際に考えていたのはゴンドラがてっぺんまで行ったら言おう、ゴトゴトいいながら回るコーヒーカップの中で告白しよう、あのサルビアのお花畑の前で手を握ろう、そんなことばかりだった。彼女は教室と同じようにもの静かで、でもぼくがしゃべっているとじっと目をみつめてきちんと話を聞いてくれた。
「金木犀の香りがするね」と何回か言ったから、彼女がその香りが好きなんだということがわかった。晴れ上がった秋の空を甘い金木犀の香りが輝かしい色に染め上げているような気がして、ぼくはその度に「そうだね」とだけ言って深呼吸をした。
夕方に音の割れた『蛍の光』が園内に流れるときになって、やっとこさ「ちょっと話があるんだけど」と言うことができた。
しかし、彼女は「ごめん。ピアノのレッスンに行かないといけないから。――バスが出ちゃう」と言って、帰ってしまった。バスが遠ざかって行くのを見送りながら、夕陽に向かって駅までぼくは坂道を下りて行った。今日一日がどんなに大きな一日か自覚もなく、何も変わらなかったのに親しくなれたなんて自己満足さえして。
大学に入って上京して、もう彼女と付き合うこともできないようになってから、彼女はぼくが告白するタイミングを作ってくれていたのだ、それを無にしたから帰ってしまったんだと思い当たって、ハチ公前の交差点で立ち止まってしまった。……
彼女の体はきれいだったし、とてもいい気持ちにさせてくれた。でも、彼女の後にシャワーを浴びて、排水口に引っかかった長い髪の毛を見ているうちにぼくはいろいろとわかってきて、暗い気持ちになった。バスルームを出るとタバコをもみ消すのがシルエットで見えて、いろいろ我慢してたのかなと皮肉に思った。
「確実にもうかっちゃうのよ。絶対安全なんだから」
そういう言葉を聴いただけで、彼女が勧めようとしている商品の性格がわかった。今はいろんな法律があって、まともな商品ならそんなセールスはできないことぐらい知っているよ、そう言ってしまいたかった。
ホテルに入って、すぐにぼくに抱きついて耳たぶを甘噛みしながら、サインさせたんだから、もうそんな説明をする必要はないだろ? ……そう言わなかったのは、彼女の良心の疼きが言わせるんだと考えたかったのかもしれない。
桂子の髪を撫でながら、ぼんやりと窓に目をやる。下の方に横雲がかかっていて、東京にはもったいないくらいきれいな月が見える。夕陽はとっくに沈んでいる。金木犀の時季もとうに過ぎている。そんなところまで戻れはしないけれど、なぜ最初にぼくを訪ねてくれなかったのかと思いをめぐらせていた。
天の原思へば変はる色もなし
秋こそ月の光なりけれ
藤原定家・初学百首
天の原思へば変はる色もなし
秋こそ月の光なりけれ
藤原定家・初学百首
この歌は定家が二十歳の時のいわばデビュー作の一つです。ふつうは下の句の「秋という季節が月の光を際立たせている」を称賛するのでしょうけど、上の句との関係でわかんなくなりました。
「思へば」って何? 何について思ってるの? 「思へば変わる色もなし」って、月がきれいなんじゃないの? 変わり映えしないって言ってる? それ、下の句と矛盾してない? ……疑問だらけになりました。
はい、解答です。「思へば」の対象は下の句の内容です。(夏から)秋になったと思うから月の光が人にはきれいに見えるので、そう思ってみると「天の原」(夜空)は変わり映えもしない。散文的に意味を通じさせるとこうなります。
でも、同じはずの風景が季節によって違って見えることってよくありますよね。お正月やお祭りなどのハレの日はそうじゃないですか。
この和歌は理屈っぽいことを言いながら、読む人の脳裏には輝く月が浮かぶという傑作だと思います。
小説との関係ですか? 桂子って月桂冠からの連想で付けました。彼女はすっかり変わっちゃったみたいですが、そうでもないかもしれません。