64 あなたと…… 最終話
その後、クレアは、以前いた時と変わらず質素で素朴な夕餉を囲みながら、一族の話を聞いた。いつもはこの家の使用人も揃って食事をとるのだが、今日は特別に三人だけでとる。
セスや父のジョゼフは獣化しないが、まれにミハイルのように獣化してしまう者がいるという。
「十歳までに獣化しなければ、一生獣化しないよ。僕は九つの時に獣化してね。一年のうち四分の一は人の姿に戻れない。だから、病気で療養中といってここに引っ込んでいる。跡目を継ぐことになってしまったセスには悪いけれど、趣味の魔道具作りを楽しんでいるんだ」
「趣味だなんて謙遜しないでよ、兄上。とても評判が良くて高値で売れている。そのおかげで領地も潤っているんだから」
確かにクレアもミハイルの魔道具に助けられたことがある。高価なものなのに、また新たに魔力暴走を抑える護符を貰った。その上、二人の結婚指輪も作ってくれるという。ミハイルには世話になりっぱなしだ。
それから、本当は病気ではないと聞いて安堵した。クレアにとってミハイルは大切な家族であり、命の恩人だ。
「そうだ。セス、あの話もしておいた方がいいじゃないか? ファーガソン家の」
その言葉にセスが頷く。
「アーサー・ファーガソン、覚えているだろう」
「ええ、生徒会ではお世話になりました」
クレアが微苦笑を浮かべる。アーサーの親切は独特で分かりにくい。
「あの家も獣人の血を引いている」
「え?」
「アーサーは獣化しないけれどね。この国の高位貴族のいくつかはそうだよ」
とミハイルが言う。さすがにクレアもその話には驚いた。
「そういう家が集まって、年に一度他家には秘密で狩へ行くんだ。もちろん、獣化する者はそのままの姿で」
ミハイルがいたずらっぽくクレアに笑いかけた。
♢
誰もいないサロンで二人は酒を酌み交わす。
「だから、言ったじゃないか。クレアはちゃんとお前を愛していると」
「僕の事より、兄上はどうなの?」
セスが揶揄う口調になる。
「ベスとは、お前たちより少し早くこの秋に結婚する」
「そう、おめでとう。やっとだね」
兄のことばを聞き、クスクスと笑う。
「その割に、彼女はメイドのお仕着せを着たままだけれど」
「ああ、結婚まではきっちり線引きをしたいそうだ」
ミハイルが珍しく渋面を作る。
「彼女らしいね」
そう言ったとたん、弟が珍しく声を立てて笑う。
「そんなに、笑うなよ。やっと一緒になれるんだ」
ミハイルが情けなさそうに眉尻をさげた。身分が違うとこの数年突っぱねられていたのだ。そういえば、不思議とベスも獣人を嫌悪しない。
今、クレアとベスは別室で同じような話をしているはずだ。きっと喜んでいることだろう。微かに彼女たちのはしゃぐ声が聞こえてくる。
「それにしても王家から預かっている魔導書をクレアに渡すなんて彼女を試したのか? あれには王家をも害する多くの猛毒の調合方法が記載されている。禁書だ。ばれたらどうするつもりだったの?」
「まあ、預けた王家も四百年前の話だ。忘れているだろう。それに、何かあったとしてもお前がどうにかするだろうと思っていたよ」
セスは兄のその言葉に不貞腐れる。
「なんだよ。試されたのは僕か」
ミハイルは軽やかに笑いながら、琥珀色の酒の入ったグラスを傾ける。今日はセスも同じものを飲んでいた。
「それと一年以上前のレイノール家の火事の件だけれど。兄上が何かしたのか?」
兄の穏やかな微笑は崩れない。
「どうしてそう思う」
「二階のサロンの窓が吹き飛んだと聞いた。証拠は残っていないが、魔石を使っての付け火ならば、劣等生のエイミーにそんな代物を作れるのかなと……」
兄がにやりと笑う。
「さあ、どうかな。数が揃えばどうにかなるのではないかな? それに何よりも彼女はやるやらないを選べたと思うがね」
そこでいったん言葉を切りもう一度、琥珀色の液体で咽をうるおす。
「私は、九歳で獣化したときに残虐性も一緒に目覚めたようだ。どうもよくないね。一族を傷つける者が許せない。あの家の書斎にはいろいろとまずい物もあってね。燃え尽きて欲しいとは思っていたよ。
それに付け火と決まったわけじゃない。ここは、身に覚えがないと言っておこうか」
セスの瞳が翳る。
「……自分一人で一族の闇を抱え込まないでくれ」
明日から、彼は獣化する。またしばらく人に戻れない。
「安心しろ。一族を陰から支えていきたいとは思うが、抱え込んではいないよ。それにこれは呪いではない。祝福だ。
セス、獣化できないお前には分からないだろうが、草原や森を駆け抜ける爽快感を味わわせてやりたいよ」
セスが淡い笑みを浮かべる。しばらく愁いを含んだ沈黙があたりを包む。ミハイルがその静寂を破った。
「そうだ。クレアは自分が何者か興味を持たないのか?」
気を取り直すようにセスはグラスに口をつけた。
「彼女は自分の事には興味が薄いんだ。気づかなくても差し支えはないだろう。はっきりと証拠がある話ではないし」
あっさりとした言葉にミハイルは頷く。
「まあ、それもそうだな。それで、お前が以前調べていたエリザは、本当にクレアの産みの親なのか?」
「エリザの子は死産だったという噂もある。はっきりしたことは分からない。エリザは外国で死に、もうこの世にはいないのだから、彼女に魔力があったかどうかは確認できない。出自すらはっきりとは分からなかった。
クレアに聞かれたら、分かる範囲で答えるつもりだけれど、わざわざ知らせることもないだろう。それに彼女が僕らを唯一の家族だと思ってくれたら嬉しい」
「そうだな」
ミハイルが頷く。そのとき、風が窓をかたりと鳴らし、雲を払った。サロンの大きな窓に月光が差し込む。ここに灯はない。彼らは暗闇でもよく見えるからだ。ミハイルの毛がふわりと濃茶から銀色に変わる。時が満ちてきた。五感が研ぎ澄まされ、気分が高揚してくる。
しかし、もう少し、この姿で弟と過ごしていたい。
「クレアのお前と変わらないほどの、桁はずれの魔力の強さ、そして透明度の高い青い瞳。昔、旅をしていた時期に北方の地で見かけたことがある。森に住む争いを好まない、穏やかで美しい種族。クレアにはきっとその血が混じっているはずだ」
「兄上はロマンチストだね。だが、僕もそんな気がしている。彼らは時折、狩られて売りに出されることがあると聞く。
よく無事に僕の元へ現れてくれた」
初めて会ったあの時、セスはクレアの星を宿したような美しい瞳に一瞬で魅入られた。そこに理屈はない。しかし、彼女は俯き、怯え、体を震わせた。拒絶されたと感じ、すぐさま心は絶望に黒く染まる。引き裂かれるような痛みを覚え、あの場で立っていることさえ辛く苦しかった。
その後、彼女を知るにつけ、その感情や思いが上っ面だけのものと気付く。彼女の内面を知れば知るほど引き込まれ、魅了される。どんなに愛しても足りない。いまなお焦がれ続ける。
幾人か候補はいたし、もちろん縁など結ばなくとも金を借りることが出来る話もあった。だが、出会った瞬間クレアに決まる。当主が決めた相手と体裁を繕いつつ、その実、結婚する当人が相手を決めるのがアシュフォード家の習わしだった。
♢
翌年の春、クレアとセスの結婚式は領地で盛大にとり行われた。シンディやジョシュアはもちろん、この国の第三王子と婚約が決まったクリスティーンに、アーサーも祝いに駆け付けた。
先ほどから、領民たちの歓喜の声が聞こえてくる。緊張で足が震えるが、大衆の前に出て挨拶しなくてはならない。セスが温かく愛情のこもった眼差しをクレアに注ぐ。次期領主の結婚を祝福する歓声と万雷の拍手が鳴り響く中、二人はバルコニーへ出る。
大衆を前に、すくんだクレアに差し述べられる手。セスの手を取ると、緊張が嘘のように引いていく。そして、彼の瞳の奥に自分と同じ情念が爆ぜるのを見つける。
幼い頃から、愛されたくてたまらなかった。
愛されると、ふわふわと温かい、そんな気持ちになれると夢想していた。
人を愛することがどれほど心地良く強くなれるかも知らずに、愛されることばかりを望んだ。
無償の愛などあるわけがないと……。本当の愛は、枯れることのない泉のように、こんこんと溢れていく。
クレアは、これから夫となるセスに焦がれている。愛することも愛されることも激しくて切なくて…………愛されているのに苦しくて、離れている間、狂おしいほどに彼を慕う心は、時に苛烈で残酷。
手を繋いだだけで、彼だけに思いは集中し、この世には二人だけしかいない。そんな風に感じた。
晴れ渡る空の下、前を向いて、群衆の前に進み出る。そこには何の恐れもためらいもない。すぐそばに彼がいて、二人の手がふれあっているならば……。
冷めることのない熱に浮かされ、クレアは怯むことなく新しい一歩を踏み出した。
Fin
読了お疲れさまです。最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
たくさんの感想ありがとうございました。
誤字脱字報告、ブクマに評価感謝しております。
おまけ一話(短い過去話)更新します。




