63 秘密
クレアが実家の惨事を知ってから数か月が過ぎた。彼女は笑顔を見せ、周りを心配させまいとしている。
セスは、クレアの気分転換にと街へ誘うが断られた。誘いを断られるなど初めてのことだ。クレアなりに喪に服しているのだろう。
そんなある日、セスが卒業研究の為に閉じこもっている研究室にクレアが思いつめた様子でやってきた。
「セス様、お願いがあるのですが……」
クレアのお願いなど珍しい。なんでも叶えてやりたかった。クレアはとても言いづらそうにしている。セスはクレアに茶を飲ませ、一息つかせた。
「大変申し訳ないのですが、実家があった場所に行ってみたいのです」
そのお願いに、セスは柔らかい笑みを浮かべる。
「分かった。いいよ。週末に一緒に行こう」
あっさりとした承諾に、クレアはほっとした様子を見せる。
だが当日セスがクレアを迎えに行くと硬い表情だった。心配そうなセスに気付き無理に微笑む姿が、痛々しい。
整然としていた街が、だんだんと雑多な雰囲気になってくる。下級貴族の住まう街に着いた。
手を繋いで馬車を降りる。クレアは記憶を頼りにゆっくりと道をたどり、レイノール家の屋敷跡に近づいていく。彼女の恐れが、震えとなって伝わってくる。
そして、一角を曲がったその先には……。
「あら?」
クレアが目を瞠る。
「父が買い取ったんだ」
セスが淡々と言う。
クレアは焼け焦げて痛々しい、惨事の爪痕が残る跡地を想像していたが、そこには優しい木漏れ日が落ち、草花の芽吹く美しい広場があった。小鳥のさえずりが心地よく耳朶を打つ。クレアはしばし呆然とした。
「セス様、これは……」
「母の発案でね。木を植えて、草花を育てたらどうかと。まあ、実際に動いたのは兄だけれどね」
セスが心配そうにクレアの様子を窺うと、彼女の頬を涙が伝っていった。
「あ、あれ。気に入らなかった?」
焦るセスの声にクレアは強くかぶりを振る。アシュフォード家の人たちの優しさと思いやりが心にしみた。彼らはどこまでもクレアを守ろうとしてくれている。今の彼女はいつも大きな愛に包まれていた。
その後、二人は市民の共同墓地へ向かった。貴族としての墓を持たなかった彼らはここで眠っている。最後は庶民として弔われた。
木立の中にある綺麗に整備された静かな墓地でクレアは安心した。
二人で花を手向け、祈りを捧げ、別れを告げる。しかし、墓地から出ようとしたところで、苦い罪悪感がこみあげてきた。本当にこれでいいのだろうか……。
クレアは立ち止まり、もう一度墓地を振り返る。
「私だけが、生き残ってしまいました」
抱えてきた思いがポツリと漏れる。一度は引いた痛みが、苦しみが再び押し寄せてくる。
一緒に足を止めたセスを見上げる。するとクレアを包み込むような深く温かい眼差しに出会った。
「セス様、私……幸せになっていいのですよね?」
震える声で告げると、
「あたりまえじゃないか」
そう言って抱きしめてくれる、大切な人。
――彼とともに、ずっと。
♢
月日は経ち、とても大切にされ、愛されたクレアの心の傷は完全に塞がることはないが、少しずつ癒えていく。
セスは卒業後、王宮魔導士団に所属するとともに、魔法院の研究室にも入ることとなった。クレアは、学園に残り、調合の研究を続けるべく研究員となる道を選んだ。ただ、彼女の希望で、毎日ではなく週に三日ほどとなる。忙しいセスと出来るだけ一緒に過ごしたかった。
卒業まであと少し。そして一年も経てば二人は夫婦となる。
今日は一緒にタウンハウスに来ていた。セスが図書室で本を読んでいると、聞きなれた足音、微かな衣擦れが響き、ぱたりとドアが開く。
「セス様……」
「クレア、もうそろそろ二人きりのときはセスと呼んでくれないかな」
微笑ながら振り返る先に最愛の人がいる。
「あ……はい。セス」
真っ赤になってもじもじする。出会った頃から、恥ずかしがり屋なところは変わらない。
セスは彼女に向き直ると手を取って、並んでソファーに座る。
「何か話があるんだね」
クレアはその言葉にコクリと頷く。
「はい、実は前に話した、その……惚れ薬の作り方が載っていた魔導書のことなのですが、持ち主に帰そうかと」
「そう、別にいつでも構わないと思うけれど。君はその本を研究に使わなくてもいいの? 随分と貴重なものだと思うが」
クレアがゆるゆると首を振る。
「あれは人に見せてはいけないし、きっと私が持っていてはいけないものなのです」
賢明な判断だった。持っていることがばれたら、彼女はきっと危険にさらされる。出会った頃とは違い、クレアは自分の意見を持ち、自分の意思で判断し、それをはっきりと言葉にするようになった。だが、相変わらず、気弱で臆病で可愛らしい。
「分かった。場所が知りたいんだね。次の週末一緒に行こう」
とうとうこの時が来たかとセスは覚悟を決めた。
♢
ともすると眠くなりそうなある麗らかな日、二人は出立した。王都から、しばらく馬車で揺られた先に、懐かしい屋敷が見えてくる。一時はあそこで暮らすことを夢想した。
数年ぶりでベスが迎え入れてくれる。
「ベス様、ご無沙汰しておりました。その節はたいへんお世話になり、ありがとうございました。お礼が遅くなり申し訳ございません」
クレアが懐かしさと嬉しさを噛みしめながら挨拶すると、ベスが静かに首を降る。
「いいえ、おやめください。クレア様、ベスとお呼びください」
「どうしてですか?」
クレアはショックを受けた。ここで療養していたときは、仲間のように親し気に接してくれていたのに。
「クレア様は伯爵家夫人となられるお方です」
「そんな、私は……」
寂しそうに大きな瞳を潤ませる。
「クレア、行こう。困らせちゃだめだよ」
セスが軽くクレアの背を押す、促され、この屋敷の主が待っているという。サロンへ向かう。
しかし、扉の向こうには。
「お兄様!」
ミハイルが一人佇んでいた。
「やあ、いらっしゃい」
温かな微笑を浮かべ、クレアとセスを迎える。
「いつ、こちらにいらしていたのですか?」
クレアはミハイルとの再会をよろこんだ。
「こちらに来たのではなく、いたのだよ。私がここの主だ。もっともその時はリチャードと名乗っているがね」
セスはクレアの反応に身構えた。昼下がりの穏やかなサロンに緊張が走る。
「まあ、私ったら、お兄様にとてもご面倒をおかけしていたのですね」
「え……?」
あまりにも場違いな言葉、ずれた返事に兄弟は拍子抜けした。見ると彼女は真っ赤に頬を染めている。以前かけた迷惑を恥ずかしく思い。本気で照れているのだ。
クレアは現実を受け止めきれなかったのだろうか。
「えっと、クレア、分かっている? 私は獣人なのだよ」
ミハイルでもあるリチャードがクレアの反応に戸惑う。
「え、あ、はい、もちろんです」
コクリと頷く。セスはたまらずクレアの前に回り込んだ。
「クレア? アシュフォード一族には獣人の血が流れている。怖くはないのか」
クレアは、こんなふうに慌てるセスを初めて見た。そしてクレアに縋りつくような視線を送ってくる。いつもと逆だ。それが意外で、おかしくて自然と笑いが漏れた。
「ふふふ、なぜ怖いのですか? お兄様があのリチャード様だったって少し驚きましたし、恥ずかしかったですよ。さんざんご迷惑をおかけしてしまいましたから」
その青い瞳はいたずらっぽく輝いていた。
「でも、セス様、前に私がカフェテラスで、マクミラン様の紅茶に薬を入れるのが見えたって……。ふふふ、あの距離から、そんなこと、普通の人には無理です。それに、あの時セス様が嘘を言っているようには見えなかったですし。
いつか図書館で読みました。獣人の血筋の方は五感が並外れて鋭敏だと」
楽しそうに微笑むクレアの姿に、一気に場の緊張がゆるむ。
「不思議だね。僕は、時折君がとても賢いという事を忘れてしまう」
サロンには三人の穏やかな笑い声が響いた。クレアはとっくに受け入れてくれていたのだ。そういえば、昔、父が言っていた。母に血筋を告白したときに、「それがどうかしまして?」と不思議そうに小首を傾げられたと。
次回最終回です。+おまけの短い一話(過去話)が付く予定です。




