58 幕間 平穏な日常
クレアはエイミーが退学になったことを噂で知った。魔力があると偽って、在籍していたとのことだ。巧妙に魔石を隠し持ち、テストで不正をはたらいた。皆エイミーがその事実を四年も隠しおおせたことに驚嘆した。
ジェレミア男爵は魔力判定の職務に関わっており、この事件は大きな波紋を呼んだ。入学試験、及び魔力判定もごまかしたのではと疑われている。一年のときペアを組んでいたクレアも聴取されたが、まったく気付かなかった。
面白おかしく噂をする者もいたが、クレアは悲しみを覚えた。魔力がなくなれば稀に退学になる生徒がいるとエイミーが教えてくれた。数少ない彼女の語った真実。
「クレア、どうかした?」
気付けば、セスが心配そうにクレアの顔を覗き込んでいた。きらきらと淡い光に反射する美しい髪飾りを陽にかざしているうちに、いつの間にか物思いにふけってしまったようだ。
「すみません。ちょっとぼうっとしてしまって」
クレアは慌ててごまかした。
今日は休日でセスと街へ買い物に来ている。彼には学園祭で身に着ける髪飾りを買ってもらった。この後カフェに行く予定だ。昨晩は彼とのデートがとても楽しみで、ほとんど眠れなかった。毎日学園で会っているはずなのに。惚れ薬を飲むとこんな感じなのかしらと思う。もちろん、クレアは惚れ薬など飲んでない。
彼女はずっと王都暮らしだが、階級によって住む街が違うので、ここらあたりに来るのは初めてだった。物珍しくて辺りを見回したいところだが、下品かなと思い委縮してしまう。そんなときはセスが手をぎゅっと握り微笑んでくれる。「クレア、大丈夫。君は素敵だ。心配いらないよ」と。クレアはその言葉に顔を赤くする。
「この先に人気のカフェがあるんだ。行こう」
なぜか、美味しい菓子や茶の情報は彼の方がクレアよりずっと詳しい。そして、セスの勧める店は例外なく美味しいのだ。
大きな店が立ち並ぶ石畳の道を手をつないでのんびり行くと、綺麗に芝を刈り込んだ公園の向かい側に瀟洒なカフェが見えてきた。エスコートに身を任せ店に入ると、二階のバルコニーにある席に案内される。眺めがよく、公園の木々の若葉が眩しい。爽やかな風が店内を吹き抜けた。店の装飾は白を基調としているが、冷たい感じはなく、どちらかと言うとカジュアル。席に着くとクレアはほっとして緊張を解いた。
そんなクレアの様子を見てセスが笑う。
「店に入るのに少しは慣れた?」
クレアは微かに首を傾げ、少し考えると口を開いた。
「はい、少し。でもまだ給仕の方がいると緊張します」
これは彼女の癖だ。適当に答えてしまえばいいような質問もじっくりと考えて答えを出す。そのせいで会話はワンテンポ遅れるが、セスはこの間が彼女の誠実さの証のように思えて好きだ。
きっと、エイミーにしてみれば、彼女のこのおっとりとした態度が、とろく見えたのだろう。
「さっき、エイミーの事、考えてた?」
クレアはセスのその質問にどきりとした。彼はエイミーを嫌っている。クレアに悪口を言うわけではないけれど、なんとなく感じるのだ。だから、エイミーの話をセスの前でしてはいけないような気がしていた。
「僕は正直ほっとしている。君を害するものがいなくなってよかった。……君はそうじゃないんだろ。少し寂しい? いや、悲しいんだね」
「え……」
セスの深い緑色の瞳がクレアをまっすぐと見つめる。それは温かくてほんの少し熱を帯びていた。クレアが気持ちを意識する前に彼は察する。
「驚いた? 別に君の心を読んだわけではないよ。とても悲しそうな目をしている。話してごらん、きっと少しは楽になる」
その言葉に頷くとクレアはぽつりぽつりとエイミーとの思い出を話した。
「私に笑顔を教えてくれたのは、エイミー様だったんです。あの頃は……気さくで親切なエイミー様のようになりたかった」
もちろん、こんなエイミーを擁護するような話は、今の学園ではできない。しかもクレアは最大の犠牲者なのだ。今では彼女も自分が実習などで利用されていたことに気付いていた。それでも心細かった学園で初めて気さくに声をかけてきてくれたエイミーが忘れられない。どうしてこんなことになってしまったのだろう……。
セスは一言も口を挟まず、ただ黙って聞いてくれる。穏やかな風と温かいお茶が、クレアの感傷を慰めてくれた。
その時セスは、向かい側の公園の木陰から、こちらを凝視する鋭い二対の目に気付いていた。殺気がこもっているそれに、クレアは気付かないが。
そして、彼の感度の良い耳はその会話をも捉える。
「ねえ、ちょっと! なんであの店に私たちが入れないの? 人気店なんでしょ」
「無理よ。あそこは高位貴族しかいない」
「でも、私たちが入ってはいけないという法はないのでしょう? ここじゃ何を話しているのか聞こえないじゃない!」
問われた少女が微かに舌打ちする。
「すぐにあの二人に見つかるわよ」
「ああ、クレア、本当に忌々しい」
セスは少しの魔法で醜い会話を風に流し、クレアの紡ぐ美しい言葉に耳を傾けた。




