55 エイミー・ジェレミア 脅し
そんな時、クレアに動きがあった。あのマクミランをカフェテリアに呼び出したのだ。私は早速セスに親切ごかしにご注進に及ぶ。彼が慌てて教室から走りでる。おかしくておかしくて、その時ばかりは周りを忘れて腹を抱えて笑ってしまった。
しばらくして様子を見に行くと、三人でお茶を飲んでいた。どういう事なのだろうか。てっきり、決闘にでもなるかと思っていたのに。意外に冷静なセスに虚勢を張るマクミラン、心配そうに落ちつきなくセスばかり見つめるクレア。いったい何があったの? さっぱり分からない。クレアから聞き出したいが、三人がずっと一緒でその隙はなかった。
この時間はみなカフェテラスではなくサロンを利用する。人気がなくて近寄れない。何を話しているかよく聞き取れないのがもどかしかった。
しかし、その後、私は生気を失くしたクレアを見てほんの少し、留飲を下げる。手玉に取っていたつもりが、二人に逃げられたのだろうか。そのうち死んでしまいそうなくらい、クレアは憔悴していた。それを見てほくそ笑む。あともう一押し。
数日後、本当の地獄がやってきた。なぜか、クレアはセスと公認の仲になる。付け入る隙がなく、二人の仲を裂くのは不可能となった。まさか伯爵家嫡男のセスが、なりふり構わず庶民出の男爵令嬢を手に入れようとするとは思わなかった。まさに暴挙だ。愛を囁き続けるその単純な手段にはプライドも恥もない。クレアは予想通りちょろく、あっという間に彼の隣に幸せそうにおさまっている。
ダンスで足を引っかけられたというのに根に持ったり、相手の好意を逆手にとってじらして復讐したりという発想はないようだ。
クレアは、いつも頬染めて、エスコートするセスにはにかんだ様子を見せる。あれが男性に言い寄られる秘訣なのだ。あのもったいぶった態度をいじらしいとか慎み深いと勘違いするのだろう。戸惑うふりをしているクレアの全身から、喜びや幸福感があふれ出している。あれではセスが好きだと全身で言っているようなものだ。マクミランには手を取らせることもなかったのに。セスにはすぐに触れることを許した。今も髪に触れさせている。反応が全く違う。吐き気がする。
ちょっと愛を囁かれただけで、すべての行き違いを水に流してしまう。クレアもクレアで自尊心の欠片もない。
さらにマクミランが歯噛みして彼らを見ている。不甲斐ない。マクミランがクレアを落としてればこんなことにはならなかったかもしれないのに。いや、恥知らずなクレアはそうなった場合平気で二人の手を取ったかもしれない。
この地獄絵図は何なの? いったい、いつまで続くの?
そんな状態がしばらく続いたある日、私は廊下でセスから呼び止められた。感じよく応じた。それなのに……。
「君は、どうしてクレアに、この学園では白紙でテストを出しても卒業出来るだなんて嘘を信じ込ませたの?」
よく見ると薄く微笑みを浮かべたセスの瞳は危険なくらい怒りをはらんでいる。卑劣なことにクレアが彼に告げ口したのだ。
「まあ、そのようなデマが? 聞いたこともありませんわ。クレア様、何か勘違いしているのではないですか。私の伝え方が悪かったのかもしれません。クレア様は少しぼんやりというかおっとりされている方なので、何を誤解してしまったのかしら」
今更恋人面をする、こんな腑抜けた人間に責められる筋合いはない。第一クレアの言い分だけで、証拠がないのだ。とんだ言いがかり。まさに恋は盲目。姑息なクレアに腹を立てつつも恋人の使い走りのようなセスの滑稽さに、私はなんとか笑いをかみ殺す。
「ふうん、それなら話を変えよう。君、本当はピクニックの時にクレアを森に置き去りにしなかったか? 彼女はとても素直で臆病な子だ。一緒にいて確信した。クレアが勝手に単独行動をとるとは思えない」
いきなり斬り込まれて、どきりとした。すっかり恋愛にうつつを抜かし、ボケているのかと思っていた。一気に緊張感が増す。
「ひどいですわ。セス様、私をお疑いになるなんて、あんまりですわ」
私は震え声で目に涙を浮かべる。人が通れば彼が私を苛めている様に見られるだろう。だがしかし、ここには人気がない。タイミングを見計らったの? 謀られたのか? まさかね。セスには不器用な一面がある。たとえば婚約者との仲を拗らせるとか……。要領は良くても、それほど計算高くはないはずだ。ちやほやされ甘やかされて育ったであろう彼はどこか抜けている。
確かに勉強は出来るのかもしれないけれど、人を出し抜くタイプには見えない。所詮は伯爵家の育ちの良いご令息だ。私は人気のないことを逆手に取ることにした。
「そんな……アシュフォード伯爵家跡取りという立場のあなたに、証拠もなしにひどい疑いをかけられるなど思いもよりませんでした。そのような惨いことは致しません。ケイト様もセス様にこんな風に侮辱され、糾弾されたと知ったら、悲しまれることでしょう。ああ、このことはラッシュ家にぜひとも知らせなくてはなりません」
私は巧妙に話をすり替え被害者になり、脅しをかける。私の後ろにはラッシュ伯爵家がいると知らしめた。それでも追及を緩めないというのであれば、こちらにも考えがある。
「証拠? ラッシュ家に知らせる? 好きにすればいい。なるほどね。それが君の人となりというわけだ。言葉をすり替え、立場を逆転させ、常に安全な場所に身を置いて人を貶める。
二度とクレアには近づくな。クレアが許しても僕は許さない」
静かな声だが、きっぱりと言われた。それは命令。彼は私の言葉に揺さぶられない。嘘が初めてあっさりと看破される。大切に育てられた世間知らずの伯爵令息が、分かった風な口を利く。
腹立たしいが、クレアに夢中な彼をなめていた。おそらく今まで吐いた嘘も全部バレている。クレアが愚鈍で嘘を吐けない子だと分かってしまった。
幸いここには人通りがない。彼に乱暴されたと騒いでもいいのだ。彼がそれを否定すれば不問に付されるだろうが、名誉は十分に傷つけられ、これから先、疑惑の目で見られることになる。まあ、その場合私も無傷では済まないかもしれないが、そこは上手くやればいい。そんな甘いことを考えていたが、続く彼の言葉に肝が冷えた。
「それでもクレアに近づくというのならば、僕は君が言うところのアシュフォード家の跡取りとして、君に制裁を加える。なんならジェレミア家ごと。別に証拠など必要ない。刺し違える覚悟はあるのか? これでも随分と寛大なつもりだけれど」
さらりとした口調。いつもは深く、美しく、透明感のあるエメラルドグリーンの瞳が、今はけぶるように暗く冷たい。彼は先ほどから表情を変えることなく薄く笑っている。ぞくりと寒気がして、その言葉を笑い飛ばせなかった。嘘でしょ、脅された。怖い。私は初めて人相手に震えあがった。強権を発動しようとする彼を御せない。
そして今後クレアに近づかないと誓わされる。声を荒げるわけでもないのに、暴力をふるうわけでもないのに、気おされ屈服させられる。幼いころから多く人を従わせることに慣れた支配者の目。生まれながらの領主。こんな屈辱的なことはない。
少し離れたところに人影が現れた。ジョシュアとシンディだった。彼らが遠くから見守っている。私は嵌められたのだ。ここでもし、彼を恐れることなく自由に体が動いて、襲われたと泣き叫んでいたら、私はその場で破滅していた。
少し前まで、クレアを睨んでいたくせに、転ばせたくせに、こんな一面は一度たりとも見せなかった。あれは、ただ振り向かない婚約者に焦れてじゃれついていただけなのだと思い知らされる。
彼は今までクレアに本気で腹を立てたことなどないのだ。彼にとってクレアはどんな時も愛しくて可愛い婚約者だった。恋心を拗らせて好きな女の子を苛めていた子供っぽい少年の顔はそこにはなく、意志が強く、酷薄そうなアシュフォード伯爵家の嫡男がいた。
エイミーがクレアの前にしばらく現れなくなった理由です。




