48 初めてのお招き
再びクレアは学校に通い始めた。古い講堂裏で起きた事件はかん口令が敷かれたが、幾人か事情を知る者はもちろんいる。
しかし、彼らは事が事だけに皆口を閉ざした。そのおかげでクレアは奇異な目で見られることもなく平穏な学園生活を送っていた。
セスに好きだと言われてもクレアは一抹の不安をぬぐえない。もしかしたら、惚れ薬の影響はまだ続いて、愛していると思い込んでいるだけなのかもしれない。それか、優しく責任感の強い彼はクレアを安心させるために嘘を言っているのではないかと勘繰ってしまう。
ただとても幸せなことに変わりはない。驚くほど彼は優しくクレアをいたわってくれるのだ。最近、ダンスの練習に付き合ってくれる。それが、とても楽しい。クレアが大好きな読み物に出てくるお姫様のように扱ってくれる。ふわふわとした幸福感を味わっていた。
そして、シンディとジョシュアは事件のことを知っていて、クレアをそれとなく気遣う。生まれて初めて彼女はぬくぬくとした愛情に包まれた。
クレアが一人、カフェテラスで本を読みながら、茶を飲んでいると、クリスティーン・マイアーズ侯爵令嬢がやって来た。
最初は高慢できつい彼女が苦手だったが、今では自分に正直な彼女が好きになってきている。しかも彼女はいま取り巻きを連れていない。好きで取り巻きを連れて歩いているというより、親が有力者であるクリスティーンに勝手について来ているようだ。それが息苦しくなるのか、時々ふらりと一人でクレアの元にやってくる。
セスやシンディのように謝るという事を知らないが、思うところがあるようで、時々クレアに謝罪めいたことを言ったり、愚痴のようなものを零したりする。「なんだか。ぼうっとしたクレアといると癒されるのよ」と言う。
「クレア、ちょうど良かった。今度、家で舞踏会をやるのだけれど、セス様と一緒にいらっしゃいよ」
クレアは華やかな場所は苦手だ。しかし、「いらっしゃいよ」と言われては断れない。侯爵家令嬢が直々に誘いに来たのだ。
「あんまり、隅っこで本ばかり読んでいるのではなくてよ? あなたも次期アシュフォード伯爵夫人になるのだから、社交をしなくてはね。もっと貴族らしくふるまいなさい」
「はい、頑張ります」
なぜか、彼女は最近姉のようにクレアの面倒をみる。そして、服などもアドバイスしてくれた。そのおかげでクレアのセンスは格段と良くなっている。
学内で蔑まれることもなくなった。勉強を教えてもらいに来る学友までいる。もう、俯くことは殆どない。居心地の悪かった学園は、今ではクレアの心の拠り所となっている。
ただ時折気になるのはレイノール家だ。全く音沙汰がない。だからといって自分で訪ねて行くのは怖すぎる。
不幸な事件のあと、療養でタウンハウスにいるときにアシュフォード夫人に頼まれた。
「クレア、外聞を気にするようなことを言って、申し訳ないのだけれど、いったんレイノール家を出て、カシム伯爵家の籍に入って欲しいの。もちろん形式だけよ。家で手続きは済ませるから、クレアは何もしなくていいの。いったんカシム家に養女という形で入って、それから、うちの子になって欲しいの」
なぜか、ミレーユはとてもクレアに愛情を注ぎ、「嫁ぐ」ではなく「うちの子」にと時々口走る。母の愛を知らないクレアにとって、嬉しくてとてもくすぐったい。
ただ時々夫人は「まったく、アシュフォードの殿方たちは何を考えているやら……、さっぱり分からなくてね」とふと寂し気に微笑むことがある。
一方、シンディは「形だけでもクレアと姉妹になれるなんて嬉しいわ。しばらくお揃いのカシムよ!」と無邪気に喜んだ。
しかし、そうするとレイノール家はどうなるのだろう……。クレアがレイノールを名乗らなくても旨味はあるのだろうか? それとも十分に潤ってクレアはお役御免なのだろうか? ラッセルは何も言ってこない。クレアの方からレイノール家に連絡を取ることは禁じられていたし、またひどく怒られるのも怖かったので、ずるずると連絡しないままでいた。
ある日のことクレアが図書館で勉強しているとエイミーを見かけた。彼女を久しぶりに見る。なぜ、普通に学園にいるのか不思議に思った。セスの件で謹慎していなくていいのだろうか。ケイトはとっくに放校になっている。他の令嬢たちも同じく学内にもう籍はない。なぜ、エイミーだけがいるのかと不思議に思ったし、さすがに不快だった。
クレアはセスを巻き込んでしまったことを申し訳なく思っていたのだ。なぜ、エイミーの口車に乗ってついて行ってしまったのだろうかと後悔している。
セスには、これからはなんでも相談するようにと言われた。
♢
初めての舞踏会の日、セスにエスコートされて、馬車でマイアーズ邸に到着する。クレアは淡いブルーを基調としたドレスにサファイヤの散りばめられた髪飾りを付けた。ミレーユの見たてで作られたドレスは胸のあたりに白いリボン飾りがついている清楚で可憐なものだった。セスに似合うと褒められて頬を朱にそめる。
クレアはどうしても褒められることに慣れない。しかし、最近では恥ずかしいと思うより、嬉しいと感じることが多くなってきた。
マイアーズの屋敷内は赤い高価な毛氈が敷かれ、随所に意匠を凝らしたシャンデリアが飾られている。大きな鏡にシャンデリアの光が反射し、散乱する様は圧巻だった。また、使用人の数も多く、しつけが行き届いている。彼らが着るお仕着せも立派なものだった。
学園の舞踏場も立派だが、マイアーズ家はそれ以上だった。大勢いの招待客にクレアは驚く。シンディやジョシュアを探すが、広くて人が多いので見当たらない。
セスに手を引かれ緊張しながら、クリスティーンの元に挨拶に向かう。金を基調にしたドレスで着飾り、髪をアップにし、家族と一緒に堂々としているクリスティーンは王女のような貫禄だった。しかし、クレアの耳元で笑いを含んだ声で囁く。
「退屈でたまらないわ。幸せそうなあなたが羨ましい。とても綺麗よ、クレア」
クレアがポッとその言葉に頬を染めると、セスが不思議そうな目でみる。
「何を言われたの?」
セスに聞かれたが、クレアが言える訳もなく。
「内緒話です。秘密です」
と顔を赤らめながら、答えた。




