47 ケイト・ラッシュ2
その後、ケイトは執事と従者になかば引きずられるように自室に入れられる。部屋から出ようとしたが、外から鍵がかけられ閉じ込められてしまった。
悔しくて、部屋にある水差しや花瓶をドアに投げつけ喚く。さんざん口汚く罵り、騒いで疲れた頃、ケイトの部屋に母のレイチェルがやって来た。
「ケイト、ちょっといいかしら」
「お母様、聞いてよ。お父様ったら、ひどい……」
「ケイト、おやめなさい」
母の静かだが冷たい声に驚く。
「今から、この服に着替えなさい」
母から手渡されたのは鼠色の粗末な平民の服だった。
「いやよ。お母様、どういうことよ」
ケイトはレイチェルを睨みつける。
「ケイト、よく聞きなさい。明日、官吏があなたの元へ来るわ」
「官吏が?どうして」
意味が分からないというようにケイトが目を見開く。
「クレア嬢とアシュフォード家令息の殺害未遂の罪よ。そのほかに傷害や脅迫で訴えられているの。あなたは牢に入れられるわ」
「はあ? なんでよ? 分からないわ。私こそ被害者よ」
真っ赤になって、憤慨した。事実ケイトはそう思っていたのだ。
「いいから、さっさと着替えなさい。でなければあなたは牢屋入りよ。罪人を出すなんて、ラッシュ家の恥だわ。今夜あなたを逃がしてあげる。だから言うことを聞きなさい」
母の揺るぎのない視線にたじろぐ。
「お母様はどうして、クレアの言う事を信じるのよ!」
「クレア嬢ではなく、証人がいるのよ。まず彼女を森に置き去りにするように命じられた御者。それに、エイミー嬢他二人の令嬢があなたに脅迫されて無理矢理やらされたと言っているの。そしてアシュフォードの令息はあなたに刺されたと証言したわ。もう、どうにもならないの。その他にも何人も目撃者がいるのよ。家は賠償金だけでも大変だわ」
絶望した様子のレイチェルに、図々しいケイトもさすがに気が動転した。
「ちょっと待ってよ。みんな喜んで引き受けてくれたわ。クレアは賤民出のくせに生意気なのよ。それに半分以上計画を立てたのはエイミーよ。クレアを連れ出したのも彼女なの。私は悪くない。エイミーの案に乗っかってお膳立てしてあげただけよ」
「あなたって子は……なんてことを。よりによってアシュフォードの令息とその婚約者を害するなんて」
「そんな、汚いわよ! 皆楽しんでいたのに、私一人のせいにするなんて」
レイチェルは娘の口から語られる事実に戦慄した。もう言い逃れは出来ない。
「憲兵に引き渡されれば、あなたは牢に入れられる。下手したら打ち首よ。お父様が頑張ってもせいぜい病死というところね」
「ひっ!」
ここに至って、初めてことの重大さに気付く。
「どうすればいいの? 冗談じゃないわよ。私、死にたくない!」
母親の膝に縋る。レイチェルは蔑む目で、怪物のように育ってしまった娘を見つめた。
夜陰に紛れ、ケイトは粗末な馬車に乗せられ、ラッシュ家を出された。母の話によると、一度修道院に入ってから、隣国にいる遠縁の親戚のもとに逃がすという。罪人を出すのは家の恥だと言っていた。どうしてクレアではなく自分が逃げなくてはならないのか。そう思うと悔しくてたまらない。
家を出る前に父と母に、洗いざらい、あったことを白状させられ、事実をしたためた書類に署名させられた。元からケイトを嫌っていた兄は、恨みがましい目で始終にらんできて鬱陶しかった。
必ずこの国に戻ってクレアに仕返しをすると誓う。それにしても先ほどからやけに馬車が揺れる。今日乗っている馬車がラッシュ家のものではなく、安い借りものだからだろうか。まるで舗装されていないでこぼこの道を走っているようだった。
しばらくすると馬車がとまる。御者に「早く降りろ」とぞんざいに言われて腹が立つ。礼儀を知らない御者を怒鳴りつけてやろうと、馬車の扉を開けて外の様子に驚く。
そこにはボロボロで雨漏りがしそうな粗末な建物が連なっていた。饐えたような臭いがあたりに充満し、道路はところどころ吐しゃ物で汚されていた。吐き気がする。
「ちょっと。ここは何なのよ!」
「アンゴロ地区だよ。いいから、行けよ」
御者は面倒くさそうにそう言うとケイトを古びた修道院の前に置き去りにして、馬車で走り去って行ってしまった。
奇しくもそこはクレアが育った王都最大の貧民街だった。
ケイトは、迎えに出てきた感じが悪く品の無いシスターに腕をきつく掴まれ、薄暗い修道院の廊下を引きずられ、地下にある粗末な部屋に放り込まれた。その間ずっと毒づいていたが、シスターは顔色一つ変えない。体が大きくて牛みたいに力が強い。その表情からはまるで感情が抜け落ちているみたいだった。
後ろ手にドアを閉めようとするシスターに声をかける。
「待ちなさいよ。私をこんな部屋に閉じ込める気?」
そう言ってケイトは懐からきらりと光る金のネックレスを出して見せつけた。
「そうねえ、ここで一番ましな部屋に案内してくれたら、お前にこれをやってもいいわよ。家に帰れば、もっとたくさん持っているわ。私はね、ここに少し滞在したら、隣国の貴族の家に預けられるのよ。お前とは身分が違うの。もっと丁重に扱いなさいな」
シスターの顔色が一瞬にして変わった。瞳の色が欲望に染まる。金のネックレスが一つあれば、この貧民街から抜けられるのだ。女は喜悦の笑みを浮かべる。
しかし、ケイトはその価値をよく知らない。にまあ、と下品に笑うシスターの開かれた唇の奥に、前歯が一本も無いのを見て気分が悪くなった。
ケイトは卑賎の女の歓喜する様子を見て「引っかかった」とほくそ笑む。父も母もケイトの言い分を聞いてくれなかった。だから、母の宝石箱からいくつか貴重品をくすねて来たのだ。まだまだたくさん体に隠してある。
この修道院は、隣国に行くまでのつなぎで、短期の滞在になるとは思うが、自分が丁重に扱われないのは我慢ならない。
貧民街など恐れることはない。金さえあれば、弱みさえ握れば、人は従う。かつてケイトの取り巻きだった令嬢たちのように。人の営みはどこでも同じなのだ。
とりわけこの地区は愚かな者達の吹き溜まり、貴族よりずっと扱いやすいだろう。
いくら質が悪いといっても、ケイトはお嬢様育ちだ。彼女のその行為が、どんな結果を招くのか想像もつかなかった。神に仕える修道女は罪を犯さないと、甘いことを考えていたのだ。




