45 蠢動
クレアが部屋を去ると、大きな窓に掛けられたカーテンのドレープが揺れる。
「兄上、立ち聞きとは趣味の悪い」
ミハイルがとぼけた顔で出てくる。
「結婚前の男女に何か間違いがあってもまずいと思ってね」
「よく言うよ」
「まったく、彼女の復讐ときたら、とても可愛らしいね。有効期限付きの惚れ薬だなんて、普通は毒薬かと思うよな。
お前の本性には気付いてないみたいだけど。まあ、それは問題ないのかな」
「失礼だよ。兄上」
「聞くまでもないことだが、女の子の攻撃なんてあっさりかわせただろう? なぜ、瀕死になりそうになるまで深く刺された」
「跡取りなら、兄上がいる」
「冗談ではない。私には病気もあるし、頭が良くて立ち回りの上手いお前の方がうってつけだ。病が発症しなかったとしてもお前に譲っているよ」
「僕は本気だ。クレアを外に出したくない。彼女はきっと静かな暮らしを望んでいる」
「束縛もほどほどにな。それから、家督はいらないよ。私はのんびりと魔導の研究でもしている方が性にあっている。もちろんいざとなったら、お前をサポートする」
飄々と言う兄に、セスが呆れたように苦笑する。
「で、素直に刺されてやった理由は?」
「ペナルティーだ。クレアを追い詰めたのは彼女たちだけじゃない。僕も同じだ。だから、罰を受ける必要がある。優しいクレアでは僕を罰せられない。そもそも彼女は僕に罪があるとも思っていない」
「自分で自分を裁いたわけか」
ミハイルがそんな弟の苛烈さにため息を付く。
「随分かっこいい言い方だね。実際に僕は卑劣だった。己の罪は贖わなくてはならない」
「もう、そういうのはこれで最後にしろ。瀕死とか勘弁してくれよ。クレアがあまりにもかわいそうだ」
「そうだね。彼女を悲しませてしまった。しかし、これでケイトは破滅だ」
セスが微笑を浮かべる。
「怖いなお前、幸せそうに微笑むなよ。クレアはお前の為に魔力暴走まで起こしたんだ。もう、二度と大人しい子を本気で怒らせるような真似をするな。まったく、護符がなかったら、危なかったぞ」
「それは、兄上に感謝しているよ。クレアの魔力が強すぎるのは分かっていた。ただ魔力暴走は予想外だった。彼女は穏やかだから、あんなことになるとは思わなかったんだ」
「穏やかなだけの愛などあるわけがないだろう。誰の目にも明らかだったよ。彼女がお前を好きなことは。それにとても素直ないい子だ。甘やかされて育った貴族の令嬢ではああはいかない。彼女は思いやりがあるから、きっと使用人や領民に慕われる。だから、私たちは彼女を歓迎した。恋心をおかしな具合に拗らせて勘違いしていたのはお前だけだよ。だいたいお前の愛は重過ぎる」
ミハイルが呆れたように言う。
「それで、ケイトはどうしている?」
「アレは、沙汰が下るまで自宅軟禁だ」
「なぜ、牢に入れられないんだ。ジョシュアもアーサーもすぐにあの現場に来ただろう」
「ああ、もちろん、彼らも証言してくれている。でなければ、クレアは今頃レイノール家に戻されているか、役人に引き渡されている。
父上が今やり合っているところだが、ラッシュ家も必死でね。他家の面々と口裏を合わせて、クレアの魔力暴走による事故だと主張し始めた。しかし、お前の証言があれば、昔から、何やかやお前に言い寄ってきたあの女にも始末が付けられる」
「そう、なら、早い方がいいね。三日後には動けるだろうから、その頃に」
「おいおい、無理はするなよ。お前に何かあれば、クレアが悲しむ。
それで、セス、これで終わりにするつもりはないんだろう? 次は誰を破滅させる気だ。レイノールなら手伝うよ。あいつは食わせ物だ。うちが紹介した顧客に最初は良いものを売り、取引が大きくなった途端、粗悪なものを売りつける。危うくアシュフォードが信用を無くしそうになった。借金などとっくに返したというのに家を食い物にしてくる」
「焦らないでよ。まだ、ケイトの詰めも終わっていないんだ。彼女たちはクレアを森に捨てておいて、知らん顔をした。今思うとあんなに臆病なクレアが一人で勝手な行動をとるわけがない。
ラッシュ伯爵派閥ではないジェレミア男爵家のエイミーの言葉を信用してしまった。クレアと仲良くしてくれていると思っていたんだ。あんな危険な事に口裏を合わせるような馬鹿な真似をするとは思わなかった。心配して一緒に探す芝居まで打つとは……。今となっては言い訳でしかないが」
「しつこいぞ、セス。自分を責めるのはその辺にしておけよ。でなければ、目的を見誤る。お前だって、おかしいと思ったから、ラッシュ家の首になった御者を探し出して吐かせたんだろ。
今回もエイミーだけ、ジェレミア男爵がラッシュ伯爵派ではないという事で上手く立ち回ってお咎めなしだ。このまま放置っていうのはありえないよな。
しかし、なんだって、彼女はクレアにそんなにひどい仕打ちをするんだ?」
「嫉妬だろ。それ以外考えられない。ただ、エイミーについて少し面白い情報がつかめそうなんだ。だが、まだ追い落とす決定打がない。まあ、ケイトが罪から免れないとなれば、エイミーもろとも引きずり込むと思うけれどね」
笑いを含んだ声で答える。
「確かに、あの女の性格なら死なばもろともだろうな。まあ、いつでも手伝うし、情報も集める。
だが、もう自分の命を懸けるやり方はやめてくれ。罪を贖いたいというのならば、クレアのこれからの幸せの為に力を尽くせばいいだろ」
エメラルドグリーンに深く翳るセスの瞳にミハイルは不安を覚える。
「自己満足で命を懸けるなど身内にとってもいい迷惑だ。
忘れるな。彼女は自分を傷つけられた時には惚れ薬でも、お前が傷ついたときには魔力暴走を起こした。死に急ぐようなことはするなよ。一度握った手は何があっても絶対に放してはいけない。今の彼女にはお前が生きるよりどころなんだ。多分、お前が森に彼女を迎えに行ったその日から」
セスが口元を引き締め頷く。それに安堵し、ミハイルは言葉を継ぐ。
「アシュフォードの呪われた血については話したのか?」
「……いや、まだだ」
「恐れることはない。クレアはきっと分かってくれるよ。もっとも私はそれを呪われたなどと思っていないけれどね。むしろ祝福だ」
兄のミハイルが自信たっぷりに言った。
ここで、ストック分終了となります。今後更新不定期になると思いますが、よろしくお願いします。お話の骨組みはラストまで出来ています。




