43 贖罪1
闇に沈んだクレアの意識が浮上したとき、その目に映ったものは見知らぬ天井だった。
「クレア、クレア、気が付いたんだね」
(誰……?)
「良かった。無事で」
「……ミハイル様」
クレアは一連の出来事を思い出し、起き上がろうとするが上手く力が入らない。
「クレア、駄目だよ。動いてはいけない。君は一週間目覚めなかったんだ。回復師の力を借りて命をつないでいたんだよ」
「セス様が、私のせいでセス様が!」
うわ言のようにつぶやくと、クレアはそれでも立ち上がろうとする。ミハイルが優しくクレアを抑えつけた。最近になって、少しふっくらとした体が、すっかりやせ細り痛々しい。
「クレア、落ちついて、セスなら、大丈夫だよ。一命はとりとめた」
「本当に?」
「ああ、本当に大丈夫だ。今は傷に障るから動けないだけで、あと二週間すれば、セスは学校に通えるようになるよ」
クレアの瞳から、熱い雫が零れる。
「よかった。……本当に無事で良かった」
「クレアは自分の事よりセスが大事なんだね。私の弟は婚約者にこんなに思われて幸せだ」
ミハイルが温かい眼差しでクレアを見つめた。
クレアがいたのは、アシュフォード家のタウンハウスだった。一週間後、多少のふらつきを残しながらもクレアは、セスの部屋へ赴いた。
彼はまだベッドに臥せっている。
「セス様……」
久しぶりに彼の顔をみる。無事な姿を見て、涙が溢れそうになったがぐっと堪えた。彼はげっそりとしていたが、顔色は良いようだ。少なくとも頬に赤みがさしている。
「クレア、無事で良かった」
クレアは弱々しく首を振る。
「私なんて大したことないです」
「何を言っているんだ。君は魔力暴走を起こしたんだよ。兄の護符がなかったら、今頃どうなっていたか。虚ろになって、二度と目覚めなかったも知れないのに」
セスの表情が曇る。クレアはゆっくりとセスのそばに寄り、ベッドの横に跪く。
「お体に障りがなければ、私の話を聞いて頂けますか」
クレアは、洗いざらい白状した。魔導書の事も、自分が誤って彼に惚れ薬を盛ってしまったことも。どのみちクレアは、子供の頃、道端で拾われなければ、野垂れ死にしていた身だ。今更、牢につながれようが、どうでも良かった。
セスが幸せになるのなら。彼がどこかで生きているのなら。
十一歳の時、出会った天使のように綺麗な男の子。彼が自分を好きになってくれるわけはないと、分かっていた。彼にとっては悪夢かもしれないが、ひと時見た素敵な夢を胸に、残りの人生を過ごせばいい。
クレアの見た夢の代償は大き過ぎて、もう少しで彼を死に追いやってしまうところだった。
もしも、また、アシュフォードの領地で流れる星を目にすることがあるならなば、今度は彼の幸せだけを願おう。
クレアは全てを話し終えた。
「クレアはどうして、マクミランに薬を盛ろうとしたの?」
そう言って、セスは「ふふふ」と笑う。
「少し、妬けるな」
「それは、セス様にまだ薬が効いているからです」
「ああ、そうだね。初めの三ケ月はね」
「え?」
セスが少し体を起こす。クレアは慌てて彼を支えた。
「僕は大丈夫。君はいつまでそんなところに跪いているの。椅子に座って」
初めの三ケ月……。
クレアは素直に指示に従い椅子に腰かける。
「その三ケ月だって、完璧じゃない。一日に数分間、正気に戻る時間があるんだ。それが次第に長くなっていった。ある日突然冷めるものではない」
「それならば……なぜ?」
胸の動悸が止まらない。
「図書館で一緒に勉強をしたときの事を覚えている? 僕はあのとき、ほんの数分、正気に戻ったんだ。つい君を叱ってしまってね。すると君は僕に怯えて、口を閉ざした。その時、きっと惚れ薬が切れた僕とは素直に話してくれないと思ったんだ」
正気に戻っていた時間があったのに、随分前から気付いていたはずなのに、彼は一度もクレアを責めなかった。
「僕は目が良くてね。あの日、カフェテラスで、君がお茶を注いだカップに小瓶から何かを入れたのが見えたんだ。マクミランの噂は聞いていたから、毒なら大変だと思ってね」
彼はなんでもないことのようにそう言ってクスリと笑う。




