37 広がる視野2 アシュフォード家
ポクポクと馬の蹄の響く音で、王都から出たことが分かった。道は石畳から土へとかわる。
「やだな。クレア、緊張しないでくれよ。何もない田舎なんだから。父も母も至って素朴な人だよ」
セスの言葉にクレアはこくこくと頷く。緊張するなという方が無理である。二人を乗せた馬車はアシュフォード伯爵領に向かっているのだ。学園は後期テストを一月後に控え二週間の短期休暇に入った。もちろんこれは寮で暮らす者が、家族と過ごすための時間である。クレアは去年は学園に残り、図書館で勉強や読書にいそしんでいたのだが、今年はセスに領地に誘われた。
「母が君と一度も会ったことがないから、会ってみたいと言ってね。前々から連れてくるように言われていたんだ。父も成長した君を見たいと言っていた。なにせ初めて会ったときのクレアは、とても痩せていたからね。心配しているよ」
断るわけにはいかなかった。セスは上機嫌で話しかけてくるが、クレアはそれどころではない。
昼は売店で買ったサンドイッチと干し肉で簡単に済ませる。もっと食べるようにとセスに促されたが、胸がいっぱいで食べるどころではない。
車窓に目を向けるとのどかな田園風景が広がっていた。クレアは不安な面持ちでそれを眺める。誇り高い一族と聞いた。
惚れ薬を飲んだセスは、「皆大歓迎だよ!」などと言っているが、実際はどうなのだろう。最近ではセスが大袈裟な誉め言葉を口にしない限り、固まることはなくなってきた。いつの間にか彼の存在に慣れてきたのだ。
「クレア、もうそろそろだよ」
緊張で昨晩はほとんど眠れなったクレアはいつの間に転寝をしていたようだ。窓から夕方の黄金色の光が差す。
ガタン、と馬車に衝撃があった。セスがクレアを椅子から落ちないように支える。
「大丈夫かい? ここは橋に乗り上げるから、いつも少し揺れるんだ」
「橋?」
クレアは窓の外をのぞいて見た。橋の下に夕日を浴びてきらきらと光る川が流れている。
「川を渡っているのですね」
「ん?川ではないよ。ここは堀だ」
「堀?……え」
目を凝らして窓の外を覗くと高い城壁と大きく開いた城門が見えた。その先に建つ威容。
「あれは……お城?えっ?」
「僕の実家だよ。アシュフォード城へようこそ。」
セスの家が城だとは想像もしていなかった。
クレアはセスに手を取られて馬車を下りながら、セスに相談しながら、考えた挨拶の文言をぶつぶつと復習した。
彼は「そんな堅苦しい挨拶いらないよ。二人とも君に会いたいだけだから」などと言って笑っていたが、貴族は礼儀を重んじるので失礼のないように、一生懸命練習した。
「まあ、あなたが、クレアなの?まあまあ、なんて可愛らしいの」
などと言いながら、突然金髪の夫人が駆け寄って来た。クレアはびっくりして後退るが、夫人は構わずクレアに抱きつく。
「ひっ!」
クレアは突然のことで挨拶の言葉も飛び、固まる。
「母上、やめてくれ。クレアがびっくりしているじゃないか」
「え?」
目が合った。きらきらと光る美しい金茶の瞳をもつ美しい女性。どことなく面立ちがセスに似ている。
クレアは慌てて離れて挨拶をしようとしたが、彼女がクレアを離さない。
「これこれ、やめないか、ミレーユ、クレアが驚いているではないか」
遅れて来た紳士がミレーユを窘める。
「だって、うちは男ばかりで娘なんて初めてなんですもの。それに金髪で青い目なんて、お人形さんみたい。着せ替え甲斐があるわあ」
ミレーユが嬉しそうにクレアを見て目を細める。
挨拶しようと気張って来たのに、その暇も与えられず、サロンに引きずって行かれた。どこか惚れ薬を飲んだセスと行動が似ている。人の話を聞いているようで、聞いていない。
紳士はジョセフといってセスの父親で、夫人はミレーユといった。セスの緑の瞳は父親譲りだ。
夕食のあともミレーユが何やかやとクレアを引き留めたがったが、セスが「朝から、移動でクレアは疲れているから、休ませる」と言って連れ出してくれた。ずっと気が張っていたので彼の気遣いがありがたい。
「悪いね。母は君が来るのをずっと楽しみにしていたんだ。君は人見知りがあるから気を使って大変だろうけど。母はお嬢様育ちで、あまり細かなことは気にしない、おおらかな人だから、安心して」
お茶に夕食と目まぐるしい時間を過ごしやっとクレアは部屋に案内され、ほっと一息つく。
とても驚いた。ものすごい歓迎ぶりだ。まさか出会い頭に抱きしめられるなどと思ってもみなかった。ミレーユはセスと似ているが、彼のような硬質さはなく柔らかい感じの人だ。
「セスじゃ話相手にならないし、城は広いばかりで寂しくて」
などと言っていた。
さて荷解きをしようかと立ち上がる。バッグを開けると荷物がない。慌てて自由に使っていいと言われた部屋のチェストを開けてみると、荷物がきれいに整理されていた。荷物を運んでくれた使用人達がやってくれたのだ。
クレアが驚いていると。部屋にノックの音が響く。
「はい……」
おそるおそる返事をすると、先ほど紹介されたここの城のメイド頭のマリアを先頭に後ろにも二人控えていた。
「湯浴みの準備をいたします」
「はい、ありがとうございます」
クレアがそう言って丁寧に頭を下げるとメイドたちがびっくりしたような顔をした。
「クレア様、本日お手伝いする、ローズとアンでございます」
気を取り直したようにマリアが二人のメイドを紹介する。
「はあ、お手伝い、ですか?」
三人は風呂に湯を張り、手早く支度を整えた。
「さあ、クレア様、お召し物を」
「え?」
二人はクレアの服を脱がせようとした。
「ちょっ、ちょっと待ってください! 私は、後は一人で」
びっくりしたクレアが弱々しく抵抗する。
「なりません! 恐れながら、私たちはクレア様のお世話をするように旦那様、奥様から言いつかっております。お一人で湯浴みなど、転んでけがをしたらどうするつもりなのですか」
メイド達の迫力に気の弱いクレアは負けてしまいそうになる。だが体の傷を見られたくない。しかし、ブラウスのボタンが外され、傷が人目にさらされた。
メイドたちは一瞬息を呑んだが、何事も無かったように、クレアを風呂に入れる。
「お湯加減はいかがですか?」
などと優しく聞いてくる。結局クレアは、彼女たちに丁寧に扱われ、されるがままとなっていた。
そのあと、メイド達はクレアを寝巻に着替えさせるとき、なぜか体のサイズを計り、来た時同様、手早く片付け去っていく。
クレアはやっとほっと一息ついた。




