34 偽りの愛1
今日もカフェテラスでケイトが遠くから物凄い目で睨んでくるのが分かる。セスの背中越しにうまい具合にクレアにしか見えないように視線で憎しみをぶつけてくるのだ。クレアは途方にくれつつも、そういうタイミングをどういうふうに上手い具合に見計らうのだろうかと感心してしまう。
実家でもジャニスに同じようなことをされてきた。
セスの躁状態としか言いようのない溺愛が始まって、ふた月。さすがにこれはまずいと思った。薬には有効期限があり、効果が切れてしまったら、もとのセスに戻ってしまう。そうなれば、彼はこの一連の振る舞いをどう思うだろう。今まで何度もクレアに今までの非礼を詫びている。
正気に戻れば間違いなく激怒するはずだ。もしかしたら、クレアは最期を迎えることになるかもしれない。反動が怖すぎた。
そういえば、彼に薬の効果が出て間もない頃に、クレアが行方不明になっていた時期の話を聞いた。
「すぐにジャニスを結婚相手に薦めてきたんだ。婚約者の君ですら、まだ来たことはないのに、彼女を連れて家のタウンハウスに乗り込んで来た。そのうえ、テレジアとかいう君の継母に悪口まで聞かされたよ。君は本当に今まで苦労して来たんだね。気づかなくて済まない。
それに僕は黒髪よりも、クレアのように美しいはちみつ色の髪が好きだ」
セスの愛情表現はストレートだ。クレアは真っ赤になった。彼の口から何度聞いても慣れない。ジャニスの黒髪より美しいと褒めてくれた。
「ハチミツ色ってなに? 誰の髪の色の話をしているの?」と聞きたい気持ちをぐっと堪えた。セスは、そういう発言を嫌うのだ。言えばきっと叱られる。
「僕の美しい婚約者が自分を卑下するなど耐えられない」とかなんとか、また始まってしまう。恥ずかしい思いをしたくないクレアは口をつぐむしかない。あまり俯きすぎると叱られるので顔をあげて、なんとか頑張って微笑を作る。
理不尽だ。惚れ薬を飲ませた方が、飲んだ方にずっと振り回され続けているなんて。
確かにクレアが助かったと分かっても家族は誰も来なかった。そしていまだに彼女の様子を心配する者はいない。それどころか、無駄な出費をかけさせたクレアにお怒りだ。
しかもジャニスやテレジアにぬか喜びさせた罪は重い。彼女たちは本気でクレアに消えて欲しいと思っている。考えないようにしているが、何かの拍子に思い出すと、その恐ろしさに身震いすることがある。
そのうえ、アシュフォード家がジャニスをきっぱりと拒絶したことで、母娘は怒り心頭だった。怖くて実家に近寄れない。というかそれ以前にラッセルにアシュフォード伯爵夫人になるまで帰ってくるなと言われている。
あの森にはセスが一人で迎えに来た。ジャニスで手を打つことなく、また他家に乗り換えることもなく、諦めずに探し出してくれたのも彼だ。よくよく考えてみると、クレアは今まで自分を虐げてきた家族でもなく、ケイトでもなく、なぜか彼にだけ集中的に復讐していることになる。
しかも、プライドの高い彼には耐えがたい屈辱だろう。
(どうしよう)
クレアの不安は薄っすらと少しずつ心に降り積もって行った。
♢
今日はクレアがセスを待っていた。初めてのことだ。教室の前で一人彼を待つのは恥ずかしかったが、彼はいつも待っていてくれるので、先に帰るわけにもいかない。もしかしたら、姿が見えないクレアを探すかもしれないと思ったのだ。クレアは変なところで義理堅い。
「クレア」
低く怒りを抑えたような声で呼ばれ振り返るとケイトがいた。人気の少ない廊下に立っている。いつから彼女はそこにいたのだろうか。ケイトはつかつかとクレアに近づくといきなりパシンと頬を張った。
「ふざけんじゃないわよ。なんなのよ、いったい。セスと結婚するのは私だったのよ。婚約者面するんじゃないわよ! お前みたいな下賤の者と結婚するなどセスがかわいそうだわ。さっさとこの学園から出て行きなさい」
ケイトの激しい怒りにたじろぐ。彼女がこんなふうに感情をぶつけてくるとは考えもしなかった。口汚い罵りに驚く。とても貴族令嬢とは思えない。まるでジャニスのようだ。
「クレア、どうしたの」
セスがちょうど教室から出てきた。クレアはほっとして口を開こうとしたその時、
「ひどいわ、クレア! セス様、聞いて。クレアったら、いきなり私をぶったのよ。あんまりよ」
そう言って涙を浮かべ、おのれの頬をおさえる。クレアは恐怖を感じた。セスは、前もケイト達の言う事を鵜呑みにした。まだ惚れ薬に浮かされる前の帰り道の馬車で。本当のことを言っても、また遮られ否定されるのだろうか。




