32 変化2
クレアは久しぶりに生徒会へ出た。アーサーから仕事をするように催促されたのだ。遅れている勉強に忙しく、少しさぼり気味になってしまったのだ。クレアが一人、生徒会室で資料をまとめているとマクミランがやってきた。
「クレア、驚いたよ。君がセスの婚約者だったなんて」
「……はい」
マクミランがいつもの柔らかい笑顔を浮かべる。今はそれが、前みたいに特別なものに見えない。どこか白々しさを感じさせる。もう騙されない。彼はクレアの婚約のことをとっくに知っていたはずだ。誠実そうな顔をしてさらりと嘘を吐く。テレジアやジャニス、それにエイミーやケイトと同じだ。貴族は皆こうなのだろうか。セスは? 今だけは多分違う。
マクミランに会ってしまったら、また胸が高鳴るかと思ったが、驚くほど何の感情もわかない。そのことにほっとした。彼に会って気持ちが揺れるなど、あまりに自分がみじめだ。ただ、ほんの少し胸に鈍い痛みを感じる。
「よければ、何か手伝うよ?」
感じよく聞いてくる。何も知らなければ、とても頼もしい。思わず縋ってしまうだろう。
「いえ、大丈夫です」
クレアは慌てて、そそくさと書類をまとめた。まだ賭けは続いているのだ。もう、マクミランとはかかわりあいたくない。席を立つ。するとマクミランも立ち上がった。
「ちょっと待って、クレア、最近僕を避けてる?」
正面からクレアを見つめる。その表情は生真面目で、ハシバミ色の瞳はすこし傷ついているかのように見える。これも演技かと思うとクレアは悲しくなった。
「い、いえ、そんなことはないですよ」
そう言いながらもクレアはなぜ自分がこれほど卑屈になるのかと思った。図書館で立ち聞きしていた内容を暴露し、彼を詰ってもいい気がする。怒りが冷めればいつもの臆病なクレアだ。立ち聞きした自分が悪いような気さえする。
「ただ、あの。セス様が待ってらっしゃるので。私、急がないと」
別に約束したわけではないが、彼の名前を口実に使った。これくらいの嘘は許されるだろう。セスはおそらく図書館で勉強している。
「そう、なら仕方がないね。でもクレア、これだけは忘れないでほしい。僕はいつでも君の味方だよ」
マクミランは柔らかい笑みを浮かべる。クレアが必要としていて、最も欲しい言葉をさらりと言う。本当に図書館での賭けの話が嘘のようだ。嘘ならばよかったのに……。クレアは慌ててその考えを振り払う。
自分より格下の庶民に毛の生えたような貴族の娘に、へりくだって声をかけてくるなど、そんなに賭けやメンツが大切なのかと少し悲しくなった。彼はきっと恥をかくだろう。あれだけ友人の前で豪語していたのだから。
ふと、自分が彼に最後まで靡かなければ、これから先マクミランに苛められることがあるのだろうかと思った。いつでも周りの人間はクレアが思い通りにならないと怒りをぶつけてくる。久しぶりに虚しさに押しつぶされそうになった。
「あの……、私、行きますね」
クレアは役職ではないので、生徒会は今年度限りだ。マクミランとの付き合いもあと数か月、短期休暇を挟み、後期テストが終わってしまえば、長期休暇の始まりだ。彼と顔を合わせる事はほとんどないだろう。そのことに安堵する。
クレアが礼をして慌ててドアを開けると、セスがにこにこと笑いながら、目の前に立っていた。どうやら彼はいまのやり取りを聞いていたようだ。クレアは慌てた。
「じゃあ、帰ろうか。その前にカフェテラスによってお茶を飲もうよ。君もたまには息抜きしないとね。そうそう、勉強の負担になるようなら、生徒会の仕事手伝うよ」
躊躇いなく、セスはクレアの手をとって歩き出した。
そういえば、あの日なぜクレアがマクミランを呼び出したのかと、セスは聞いてこない。あの時の彼は怒っていたはずなのに。その件に触れてくることはなかった。聞かれたとしても本当のことを言うわけにはいかない。どうしよう……。
魔導書は古語も多く、相変わらず読み解くのに手こずっている。
このままでいいわけがない。きっと、このままで済むわけがない。
次回はマクミランの話です。




