28 足蹴にすればいいのでしょうか?
彼はあの後すぐにクレアが自分の婚約者であることを明かしたようで、次の日にはその噂で持ちきりだった。皆がクレアとセスに注目する。半数以上の高位貴族は彼らの婚約を知っていたのだが、皆セスに遠慮して黙っていたらしい。相手が男爵位を金で買った商人の娘なのだからなおさらだ。貴族の世界は狭い。
カフェテラスでケイトがすごい目で睨んできてヒヤッとした。今クレアはセスと昼食を共にしている。
惚れ薬の効果で、クレアに好意を寄せる彼は、いままでの冷たさが嘘のようで、優しく、紳士だった。初めて会ったときに王子様みたいと思ったが、今はまさに王子様そのものだった。しかし、クレアの心も体もそれについていかない。やはり「この人はいったい誰なの?」と思ってしまう。
セスに誘われて、午後の陽が柔らかく差すサロンで茶を飲んだ。天井から吊り下げられた豪華なシャンデリアが陽の光を反射しきらきらと輝いている。床には毛足の長いワインレッドの絨毯が敷き詰められていた。
クレアがここに来るのは初めてだ。一人では来にくいし、豪奢すぎて、今まで入るのをためらっていた。一度は中でお茶を飲んでみたいと思っていたがやはり緊張する。豪華だかどこか気さくさのあるカフェテラスの方が落ち着く。
内装の美しさに目を奪われきょろきょろとしていると、彼が突然席を立ちクレアの前に跪き、頭を垂れた。クレアは何事かとびっくりして、固まってしまう。そういえば、ここに入る前彼は何だか思いつめたような顔をしていた。
「クレア、今までの僕の非礼を詫びたい。許してくれとは言わない。存分に罵ってくれて構わない。何なら足蹴にしてくれ」
まるで首を落としてくれと言わんばかりだ。周りに人のいるサロンでやめて欲しい。私はここで彼を嘲笑し足蹴にでもすればいいのだろうか? 絶対に無理、そんなこと出来ない。衆人環視の中、クレアは恥ずかしくて、叫びながら走って逃げたい衝動にかられた。身の置き所がない。
一人で上れる階段も彼が手を貸してくれ、教室までエスコートしてくれる。クレアの座る席を引いてくれようとしたが、さすがにそれは断った。赤面してしまう。ずっとどきどきしっぱなしでクレアの心臓は壊れそうだ。
知らなかった。愛されるって疲れる。愛されるって大変。多分私には無理。
それなのに、彼はにっこりと笑って顔色一つ変えない。恥ずかしいとか照れるとかという感情はないのだろうか? それさえも凌駕する惚れ薬の効き目に、クレアは震えあがった。
ここ三日ほど寮からの送り迎えが続いている。さすがに朝食や夕食までは誘われないのでほっとした。クレアはいつもそそくさと売店で買って、部屋で人目を気にせずのんびりと食べるのだ。そうじゃないと緊張で心臓がもたない。
クレアが生徒会の仕事をしているとき、彼は学校の図書館で待っていてくれる。ほぼ片時もそばを離れない。おかげで化粧室に行くときも彼に断らなくてはならなくなった。恥ずかしい。そのたびにクレアは赤面した。
手のひらを返したようなセスの態度に、周りの皆は奇異なものでも見るような目をしている。
「あの、セス様、私なんかと……居ていいのですか? たまにはお友達と過ごされたら、いかがでしょう」
ジョシュアが相変わらず唖然とした表情でこちらを見ているので、たまりかねて言うと、セスが悲しそうな顔をする。
「どうしたの、クレア。僕が嫌いになった?」
「いっ、いいえ、とんでもございません。た、たいへん、良くして頂いております。あの。それで、身に余るというか……私にはもったいないというか。もう、いいというか。本当に一人になりたいというか。だから、たまにはセス様もお友達と楽しんで……」
クレアは口ごもりながらも自分の気持ちを訴える。
「そう、嬉しいんだね。なら良かった」
セスが端整な面立ちに、にっこりと素敵な笑顔を浮かべる。
――彼はときどき人の話を聞きません。行動が突飛すぎて怖いです。惚れ薬の副作用で馬鹿になってしまったのでしょうか?
その晩もクレアは原因を探るべく魔導書を繙いた。




