27 婚約者の様子が変です
次の朝、スープとパンの軽い食事を終えて、寮をでるとセスが待っていた。昨日の出来事は夢ではなかったようだ。教室でクレアが意気消沈していると、心配した彼に強引に医務室まで引きずって行かれた。結果、栄養失調と診断され、彼に送られ寮にもどる。
「おはよう。クレア。きちんと朝食は食べたかい?」
セスは輝くような笑顔を浮かべている。そして当然のように差し出された手。クレアは真っ赤になり、途方に暮れる。こういう扱いを受けたことがないのでどうしていいのか分からない。道行く生徒たちが驚愕の表情を浮かべ二人を見ている。恥ずかしい。
「あ……あ、あの、おはようございます」
これは……。惚れ薬が時間差で効くなんてあるのだろうか?
クレアが呆然としていると彼はすっと自然に彼女の手を取った。
昨日はなかったことにしようかと思ったが、どうやら調合に成功していたらしい。その日、セスはずっとクレアのそばにいた。いつもは休み時間は本を読んで一人で過ごすのに、彼が当然のように隣にやってくる。クレアが休んでいた日の授業をまとめたノートを持って。彼とは選択科目が違うのに、調合の分もしっかりあった。
お友達のジョシュアは放っておいていいのだろうか。もともとセスに薬を盛る気はなかったし、効いていないと思い込んでいたので、クレアは正直この状況をどうしていいのかわからない。とっくに復讐心は消えていた。ただ日々を心静かに暮らしたい。彼女が望むのはそれだけだ。目立ちたくない。
ジョシュアがセスを迎えに来てくれないかと視線をさまよわせる。とうのジョシュアはあんぐりと口を開け激変したセスの様子に見入っている。助けはないようだ。
授業が終わるとカフェテラスにお茶を飲みに連れていかれた。結局二人でお茶を飲みながら、焼き菓子を食べることになる。いつも一緒のジョシュアはどこに? 探すと柱の陰にいた。セスを心配そうに見守っているが、残念ながら同席する気はなさそうだ。
彼は楽しそうにしているが、クレアは生きた心地がしない。「この人はいったい誰なの?」そんな疑問がクレアの頭を駆け巡る。
「クレア、どうしたの。食欲がないのかい? 君は少食だね。もう少し食べないと体に毒だよ。そうそう、明日はランチの時間が合いそうだね。一緒に食べよう」
彼が何くれと世話を焼いてくれる。セスが言うにはクレアのような栄養失調にはおやつも大切なエネルギー源なのだそうだ。クレアは混乱する頭で、この人はこんなに面倒見の良い人だったのかと驚く。しかもいつの間にか彼とランチを共にすることになっていた。不意の誘いで断る理由が思いつかない。そのうえ、話題はもう別のことに移り変わっている。完全に断るタイミングを逃した。
セスはびっくりするほど上機嫌で笑顔を絶やさない。いつも教室で見るセスは人当たりは良いが、始終上機嫌で笑っているなどということはなかった。どちらかというと普段の彼はクールで落ち着いている。
クレアは幼少の頃育った貧困地区を思い出す。そういえば近所の強面のおじさんが酒を飲むと上機嫌になった……。セスは理性を失っているとしか思えない。
(私はこの薬をマクミラン様に盛ってどうするつもりだったのだろう?)
無視したら、薬を盛られた者はどうなるのだろう。そもそも無視などというぬるい手が通用するのだろうか? クレアは酔っ払いを思い出し、戦慄した。彼らは所かまわず管を巻く。なぜ、これを飲ませれば復讐できるなどと思い込んでしまったのだろうか。多分小説の読み過ぎだ。惚れ薬さえあれば、人の心を翻弄できる悪い魔女になれると信じた過去の自分を罵ってやりたい。
寮に戻りセスから解放されるとほっとした。誰かと一日中一緒などという経験はなかった。それがセスならば、なおさら緊張してしまう。頭はのぼせたようにぼうっとしている。
カフェテラスで椅子を引いてくれた時は驚いて固まってしまった。始終二人は注目の的。降り注ぐ視線に痛みすら感じた。
しかし、クレアには確かめなければならないことがある。
昨日は億劫でというより、怖くて開けなかった魔導書を勇気を出して繙く。確か薬の調合には但し書きがあった。
有効期限はおよそ一年から三年。
クレアは期限付きで恋に酩酊状態の婚約者に愛されることになった。
やっと本編始まります。長い鬱展開お付き合い頂き、ありがとうございした。お疲れ様です。
クレア、元のへたれです。じれったいですがお付き合い頂けると嬉しいです。これからタイトル回収予定です。




