偽Aランク
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放課後はすぐにやってきた。見るもの聞くもの全てが新しいレミナスにとって、学園は夢のような場所であり、それ故に時間は瞬く間に過ぎていってしまう。
アイリスとレミナスは第二闘技場の入り口ゲートを潜ると、空いていた最前列へと腰を下ろした。
「よっこいしょっと」
「レミ、女の子なのだからそんな声を出してはいけませんよ」
アイリスが友達というよりは母親のようにレミナスに注意する。
「いやー、ちょっとつかれちゃって」
「レミは何事にも全力ですからね」
「やっぱりなんでも本気でやらないと!」
アイリスは若干呆れた様子だったが、レミナスはそれを褒め言葉として受け取った。胸を張って主張するその姿を、アイリスはどこか寂しそうな目で見つめる。
レミナスは今日の授業の回想で脳内が埋め尽くされており、アイリスの心情の変化には気付かなかった。
「うわ、どんどん入ってくる!」
数十秒前に自分達が通ったゲートから次から次へと流れてくる生徒達を見て、レミナスはギョッとした。魔術師ランク、学年共にバラバラで、生徒全員が入ってくるのではないかと思えるほどの勢いだ。
「ここに入りきるのかな?」
第二闘技場は第一闘技場に次ぐ広さだが、第一闘技場と比べてしまうとかなり小さい。さらにその中でも戦闘フィールドを広く取っており、観客席は随分少ない。まだ席に余裕はあるが、この勢いならすぐに埋まってしまいそうだった。
「第二闘技場の収容人数は八五〇人ですから、生徒が全員見に来ると入りきらないですね。もしかしたら立ち見が出るかもしれません」
「じゃあ走ってきてよかったね!」
「そうですね。やはりこの試合は注目なのでしょう」
模擬戦に走って行くのは今日に限ったことではなく、レミナスは毎日アイリスの手を引いて走っているのだが、アイリスはそこには突っ込まなかった。
「やっぱり一位の人って凄いんだね!」
「どうやら、理由はそれだけではないようですが……」
「それだけじゃないって、どういうこと?」
その問いに、アイリスは返事を返さなかった。代わりに、視線を移動させる。レミナスがその視線を追うと、そこには二人の男子生徒が話している姿があった。
少し前から話し声は聞こえていたが、会話の内容までは聞いていなかったレミナスは、二人の話し声に意識を向けた。
「今日の勝負どうなると思う?」
「さすがにあいつの負けだろう」
二人は今日の試合について話しているようだった。しかし、どこか様子がおかしい。クスクスと笑いながら話しており、真面目に勝敗予想をしているのではないことは、レミナスにもすぐに分かった。
「相手があのローズだからな」
「あぁ。やっとあいつの負け犬姿が見られるって訳だ」
「あの偽Aランクの化けの皮がようやく剥がれるのか」
「あの澄まし顔も今日で終わりだな。あいつが負けた時にどんな顔するか今から楽しみだぜ」
そう言って、また二人は笑った。レミナスにとって、その笑顔はあまり見ていて気持ちのいいものではなかった。会話の意味はよく分からなかったが、レミナスは気分が悪くなり、そこで話を聞くのを止めた。
「……アイリス、あの人達が言ってるのってどういうこと?」
「あの方達は、試合自体を見に来ているのではないのでしょう」
アイリスは俯いていて、レミナスからはその表情は見えない。だが、アイリスの声はいつもより強く聞こえ、彼女の精神が穏やかでないことは分かった。
「試合を見に来てないって、じゃあなにを見に来てるの?」
「魔術による戦闘ではなく、その結果、ランキング第一位のローズ・ノルザリアさんの対戦相手が負けるのを見に来ている、ということです」
その言葉を聞いて、レミナスにははっきりと分かった。入学から四日、全く負の感情を見せることがなかったアイリスは今、確かに怒っていた。
「対戦相手って、あのアランなんとかって人?」
レミナスは恐る恐るアイリスに質問する。いくら他人に遠慮のないレミナスでも、アイリスの怒りは無視出来なかった。
「そうです」
アイリスは短くそう答えるのみだった。そこで二人の会話は途切れる。気まずい沈黙が流れた。
二人が黙っている間にも、次から次へと生徒が入ってくる。すでにほとんどの席が埋まっていた。これだけ混雑していれば、わざわざ座らない生徒もいるだろう。先ほどアイリスが言ったように、立ち見をするつもりらしい生徒の姿もあった。
レミナスはなにか話さなければと、アイリスに話題を振る。
「すごい人だね。入学式の日の試合より観客が多いんじゃない?」
「そうですね。それほど彼が負ける姿が見たいのでしょう」
どうやらアイリスの怒りは収まっていなかったらしい。どうしてランキングの低い生徒のことを気にかけているのかは分からなかったが、模擬戦関連の話題はしない方がいいことは分かった。
「あ、そういえば、私まだアイリスの名前ちゃんと聞いてなかった! 私、アイリスってしか知らないよ」
レミナスがそう言うと、アイリスはようやく顔を上げた。その表情に怒りはなく、これが正解だったかとレミナスは胸を撫で下ろす。
「そうですね、レミ、あなたには言っておいた方がいいかもしれません」
イリア王国には、多数の貴族が住んでいる。有力貴族になれば、国政への影響力も少なくない。親から引き継ぐ貴族としての名は、一人の人間を評価する上での大きなファクターである。
その辺りの事情に疎いレミナスでも、シャルルとの一件もあり名前の大切さは理解していた。アイリスの言葉を聞き逃すまいと聴覚に神経を回す。
「私の名は――――――」
「「「うおおおぉぉぉぉぉぉ!!!」」」
しかし、アイリスが口を開きかけた瞬間、場内に割れんばかりの大歓声が響き渡った。二人の視線と意識が、自然とその歓声の先へと向く。
そこには、観客には見向きもせず、ただ真っ直ぐに決められた場所へと歩みを進める少女がいた。
腰まで伸びるローズピンクのロングヘアを揺らし悠々と歩くその姿は、同性であるレミナスでも見惚れてしまうものだった。胸元にはAランク魔術師の証の紫色のリボンが結ばれている。
「待ってましたぁ‼」
「ローズ先輩、今日も美しいです‼」
「あいつに勝ってくれぇ‼」
男女問わず、ローズに声援を送っている。ライバル意識の強い年頃の生徒達でも、ほとんどがローズを応援しているようだった。
レミナスにも、その気持ちがよく分かった。容姿がいいだけではない。ローズの内側から伝わって来る魔力量は別格だった。学園にはAランクの教師もいるが、この四日でレミナスが見た誰よりも、強い魔力をローズから感じた。
「す、すごい……」
レミナスの口からは、思わずそんな声が漏れていた。
「確かに、彼女の魔力量は相当なもののようです。さすがはAランクといったところでしょうか」
チラッと横目でアイリスの様子を見ると、アイリスはローズを真剣に見ているようだった。アイリスはAランクに次ぐBランクの魔術師。自分とはまた違ったものを感じるのかもしれないと、レミナスは思った。
「あんな人に勝てる人なんているの……?」
ローズから感じる魔力量は、本当に異常だった。Aランクであるのだから、魔導技術も高い水準にあるに違いない。
学園長であるサダルからはローズと同等以上の圧迫感を感じたが、サダルは現役を引退している。ローズに勝てる魔術師というのが、レミナスには想像出来なかった。
「いますよ」
しかしアイリスは、力強くそう答える。そんな根拠がどこにあるのか、アイリスはそんな人物を知っているのか。レミナスの頭にはそんな疑問が浮かんだが、それを口にさせないほど、アイリスは本気だった。
ローズが位置につくと、右手を軽く上げる。何度も繰り返されたやり取りなのだろう。それだけで観客は静まり返った。
そして今度は反対側の入場口から一人の男子生徒が入場してきた。イリア王国ではなかなか見かけない、紫がかった黒い髪の少年だった。
レミナスが言えた義理ではないが、彼も見た目には無頓着なようで、髪は寝癖が直されておらず跳ねたまま、制服は着崩されており、歩き方も気だるげだ。
レミナスはその男子生徒を目で追う。すると、レミナスの視線は彼の一箇所に釘付けになった。
「え……? 紫のネクタイ……?」
彼の胸には、紫のネクタイが締められていた。
「嘘、でしょ……?」
レミナスは、自分の目で見たものが信じられなかった。
Aランクの魔術師が、ランキング八〇〇位なはずがない。なにより、彼からはそれほどの魔力を感じなかった。
ほとんどの観客達は、ローズの入場の際とは打って変わってだんまりである。時折大声を出す生徒もいるが、内容は全くの別物だった。
「お前なんかが入ってくるんじゃねぇ!」
「この偽Aランクが!」
「てめぇはさっさと負けて退場しろ!」
そして、一部の生徒が手にしていたものを彼に投げつける。ほとんどは紙くずや学園内に落ちている木の実などだったが、中にはペンを投げつける者もいた。
幸か不幸か、そのペンは投擲者の狙い通り彼に向かって一直線に飛んでいき、彼の頭に直撃した。
「いってぇ……」
彼はそう言いながら自分の頭をさする。そんな光景を前に、観客席から笑いが起こった。
レミナスは、腹立たしい思いだった。彼がどんなことをしたのか知らないが、罵声を浴びせ物を投げつけ笑い者にするなど、レミナスが持つ常識からは考えられない状況だ。
「ねぇ、アイリ―――っ!」
レミナスがアイリスはどう思っているのだろうかと聞こうとしたその瞬間、レミナスは莫大な魔力を感じ取った。
目の前にいるローズと同等か、それ以上の魔力。恐怖で全身鳥肌が立った。それだけで済んだのは、魔力を感じたのがほんの一瞬だったからだ。
「アイリス、今ものすごい魔力を感じなかった……?」
レミナスが聞くと、アイリスは目を見開いてレミナスを見た。
「レミには今のが分かったのですか。レミは大物になるかもしれませんね」
そしてふふっと楽しそうに笑った。謎の魔力を感じた上に、アイリスの言動の意味もレミナスにはよく分からない。一瞬の感覚はすでに消え失せており、勘違いだったのかと思えてくる。
だが、それについて考える時間はなかった。審判役の講師が突然魔術を発動したからである。
両手には黄土色の輝き。土属性の魔術だった。講師が両手で地面を叩くと、瞬く間に地形が変化する。講師と対戦する二人の生徒の足元が膨らみ、どんどん上昇してゆく。やがてそれはフィールド全体へと広がり、数秒後には岩石が立ち並ぶ地形となっていた。
魔術が終了すると講師が手をあげ、口を開く。
「ランキング第一位、ローズ・ノルザリア。ランキング第八〇〇位、アラン・レイヴェルト。使用可能なのは中級魔術までとする。ただし、回復不可能な傷を負わせることは禁止する。また、土属性の魔術の使用も禁止だ」
講師がルール説明をしている間にも、場の緊張感は高まっていく。特に、ローズから感じるプレッシャーは半端ではない。アランに罵声を浴びせていた観客達も、押し黙っていた。
「準備はいいな。それでは、始め!」
そして大観衆の中、ついに講師の合図で戦いの火蓋は切って落とされた。それとほぼ同時に、ローズの両手が光を帯びた。
「『炎槍』」
ローズが右手に炎、左手に風属性の魔力を練り、二重魔術陣による魔術を発動する。
『炎槍』は、炎属性と風属性の融合魔術である中級魔術だ。『炎柱』と違い、二重魔術陣であることが前提である。
炎属性の魔術は発動速度が速いのが特徴だ。しかし、それを考慮してもローズの魔術発動速度は異常だった。込められた魔力の量も質も、抜かりはない。
試合開始直後は、発動速度の速い炎属性の魔術で攻撃するのがセオリーだ。お互いの実力が近ければ、二人とも炎属性の魔術を放ち力比べをする。優劣が分かっているなら、ランクの劣る方は炎属性に相性のいい水属性の魔力を練り、相手の魔術が自分に到達する前に水属性の魔術で防御しなくてはならない。
これは魔術師達の共通認識であり、実践を想定した授業で最初に教えられることでもある。
ローズがそのセオリー通りに炎属性メインの魔術を発動したため、実力で劣ると思われるアランは水属性の魔術で防御するのが基本なはずだ。しかし、彼の手は青色ではなく、碧の輝きを帯びていた。
「『風道』」
アランは風属性の魔術で自身の身体を飛ばし、そのまま隣の岩の裏へと身を隠す。その数瞬後、アランが元いた場所を猛炎が通過。アランが足場にしていた岩は、高熱を帯び赤くなっていた。
「ひー、やべーやべー」
アランはセリフの割に呑気な声を出しながら、手で顔を仰いでいる。
「真面目にやれ!」
「さっさとやられろ!」
一度は黙っていた観客も、そんなアランの姿に再び罵声を浴びせた。しかし、アランはどこ吹く風だ。
観客を気にしていないのはローズも同じなようで、ペースを乱されることなく連続で『炎槍』を放つ。平均的な魔術師ならば、すぐに魔力が切れてしまうような威力だったが、ローズには全く乱れが感じられなかった。
そんなローズの魔術を、アランは同じように『風道』で避けていく。
「おい、そろそろ暑いぞ? もーやめてくんねーかな」
ローズをおちょくっているのだろうか、アランは岩の陰からローズに向かってそんなことを言っている。アランはおそらく水属性の魔術が苦手なのだとレミナスは思った。
だが、ローズもこのままでは埒があかないと踏んだのだろう。今度は水属性の魔術を発動した。
「『水激流』」
ローズが魔術を発動すると、魔術陣から勢いよく大量の水が流れ出した。そしてその流れはすぐにアランの元へと到達する。
「ひー、やばいやばい。おい、あぶねぇだろ! 溺れたらどうすんだ!」
水属性の魔術は風属性の魔術で軌道を逸らすのが基本だ。水に運動エネルギーを付与し放つにはかなりの魔力が必要となる。同じ魔力量であれば、風属性の魔術の方が有利だ。
だが、アランは風属性の魔術どころが、全く魔術を使わず、岩をよじ登って回避していた。そして、またもやふざけた発言。
これは観客が怒るのも無理はない。この様子では、彼はすぐに回避しきれずに負けるだろう、とレミナスは思った。
「あれじゃあ、すぐに勝負が付いちゃうね」
レミナスがそう言うと、アイリスはクスリと笑って答えた。
「どうやら、レミもまだまだみたいですね」
「まだまだって、なんで?」
当たり前のことを言ったはずなのにアイリスに言われ、レミナスは少し意地を張ってきき返す。しかし、アイリスは見てればわかりますよ、と言っただけでまともに答えてはくれなかった。
見てれば分かるもなにも、すぐに終わっちゃいそうじゃんと思いつつ、レミナスは再び試合に目を向ける。だが、試合は予想外の展開を見せた。試合時間が半分以上経過しても、勝負が付かないのである。
ローズは相変わらずペースを乱さず攻め続けていたが、アランは毎回ギリギリながらも、防御することなくその全てを回避していた。
そして、そのやり取りを見ている内に、レミナスはあることに気付く。
「ねぇアイリス。あのアランって人、本当に八〇〇位なのかな……?」
「なぜ、そう思うのですか?」
それまで真剣に試合を見ていたアイリスは、どこか楽しそうにレミナスに聞いた。
「毎回ギリギリだけど、あのアランって人ほとんど魔力を使ってない……。このまま試合を続ければ、先に力尽きるのは一位の人の方……」
ローズの攻撃を正面から防御しようとすれば、かなりの魔力を使ってしまう。だが、アランはその多くを魔力を使わずに、そして使ったとしても『風道』で自身の身体を移動して回避している。
そうなれば、魔力消費が多いのはローズの方だ。いくら膨大な魔力を持つローズでも、必ず限界は来るはずだ。ローズが先に魔力が尽きたならば、いくら実力差があろうと、魔術を使える人間に勝てるはずはない。
アイリスを見ると、試合前の剣呑な空気はどこへやら、入学以来、一番の笑顔を浮かべていた。
「正解です、レミ。ですが、まだ甘いです」
今度は意地を張ることなく、レミナスはアイリスの言葉に耳を傾ける。
「彼はギリギリで避けているのではありません。それ以上動く必要がないから、無駄に動いていないだけです。まあ、あの一位のローズさんという方の魔力が一〇分で尽きるとは思えません。おそらくこの試合は引き分けでしょう」
「アイリスは最初からこうなるって分かってたの?」
「はい。ローズさんという方を見た時から」
そう答えるアイリスに対しての疑問は浮かんで来なかった。レミナスはただ感心するのみである。
「あれ、でもなんでアランって人はあんなにランキングが低いんだろう? 一位の人だから勝てないにしても、もっとランキングの低い人には勝てるんじゃ……?」
「彼は平等主義者ですから、誰と戦っても引き分けなのです」
『ゴーン、ゴーン、ゴーン』
アイリスが言い終わった瞬間、砂時計の最後の一粒が落ち、『時告鐘』の鐘の音が響き渡る。
「そこまで!」
そして講師が二人の間に割って入った。
「ローズ・ノルザリア対アラン・レイヴェルトの試合は、時間切れにより引き分けとする」
その言葉が引き金となり、観客達からアランへの罵声が数倍になった。だが、ローズもアランも気にした様子はなく、互いの退場口へ歩いていく。
レミナスはふと疑問に思った。アランからは大した魔力を感じなかった。それなのにアイリスは、始めから試合展開が分かっていたという。
確かにアイリスは物知りだし自分よりランカの高いBランク魔術師だが、それだけでそんなことが分かるものなのだろうか。
「アイリス、あなたって何者……?」
恐る恐る問うレミナスに、アイリスは笑顔でこう答えたのだった。
「まだ私の名前を言っていませんでしたね。私の名前はアイリス・レイヴェルト。先ほど試合をしていた、ランキング第八〇〇位、アラン・レイヴェルトの妹です」
読んでくださりありがとうございます。
個人的にかなり好きな話です。気に入ってくだされば幸いです。