27 見送りに行く
パーセル伯爵邸でアントニアと友達になってから少し経ち、エリオットがバーギンへ帰る日がやってきた。
この日は朝から王宮へ出かけ、見送りをする。
本当は一緒に行きたいと思ったものの、そうはいかない。わたしはまだ正式な彼の婚約者ではないのだ。正式な婚約者となるためには、バーギン王国の伝統にのっとって、選考会を経てからエリオットに選ばれ、国王の許しを貰わなければならない。
出会ったばかりの頃は、こんなことになるなんて思ってもいなかった。
最初はただ、馴染み過ぎた風景や人々から離れたかっただけだ。
わたしのことを知っている人がほとんどいない場所で「わたし」から解放されたかった。
公爵家の令嬢であるわたし。婚約破棄をされたわたし。美しい姉と常に比べられるわたし。そういった諸々から。
それが、こういう結果を招くだなんて、未だに信じられない。
信じられないけれど、心が寂しいと言っているのも本当だ。今日を限りに、しばらく会えなくなる。それがちょっと辛くて、気が重い。行きたくないと考えている自分がいる。
しかし、わたしはアンダーソン公爵令嬢なのだ。ちゃんとしていなければならない。気持ちと異なる振る舞いなど慣れているはずだ。
そう言い聞かせつつ支度を整え、馬車に乗り込む。
だが、余程辛そうな顔をしていたのか、乗り込む前に珍しくチャドに「大丈夫ですか?」と聞かれてしまった。
馬車の中でも、付き添いのボリスに「本当に大丈夫ですか?」と問われる始末。ふたりに聞かれてようやく、自分が憂鬱な表情をしていたことに気づく有様。
大丈夫だよ、と返しつつも、内心不安でいっぱいだ。
とはいえ、逃げる訳には行かない。いつも相談に乗ってくれるメイジーは、今日も仕事で忙しくていない。近頃別館に良く呼び出されて行くので、姉様に余計な仕事を押し付けられているのかもしれない。
――何とかなる。
そう言い聞かせる。
途中でパーセル伯爵邸に寄り、アントニアと一緒に行く予定だ。きっとポールは喜ぶだろう。何より、ひとりで行くより気が楽だ。
そう思ったので、手紙で知らせておいた。
やがてパーセル伯爵邸につくと、すでに準備を終えて昼用ながら豪奢なドレス姿のアラベラがボリスの手を借りて乗り込んでくる。
途端、アントニアは早速険しい顔をした。
「まあジェシー、貴女大丈夫なの?」
「え、どうして?」
「顔が青いわ。大丈夫なの?」
「だけど、行かない訳にはいかないでしょ。今日を過ぎたら、しばらく会えなくなっちゃうから」
口にするとより現実味が増したように感じられて辛い。心配そうなアントニアに、わたしは無理やり笑って見せた。
「戻ったらちゃんと休むよ」
「それならいいけれど、そうだわ。これ試してみる?」
アントニアが手提げから何かを取り出した。薄い包み紙に包まれたものは、淡い緑のキャンディーだ。わたしはあまり見たことがないが、それが何かは知っている。ミント・キャンディーだ。
「気分が悪い時に口に入れておくと少し楽になるの」
渡された包みを剥がして、言われた通りに口に含むと、爽やかな香りが鼻腔に広がり、ほんの一時、悩みが消える。
アントニアが少し嬉しそうに微笑んだ。
それを見て、つられて微笑む。
「ありがとう、少し楽になったよ」
「良かったわ。いつでも言ってね。沢山持っているのよ」
手提げを広げて中身を見せつつ、頬を染めて笑む姿が愛らしくて、少し羨ましい。
――ほんと、元婚約者のひと、どうしてアントニアより姉様を選んだんだろう?
共に過ごせば過ごすほど、そんな疑問がわいてくるが、口にはしない。
「わぁ、凄い! ミント好きなんだね」
「そうね。貴女もでしょ」
「うん、大好き。特に甘いものに入ってると嬉しいよね」
「今度お茶をするときには用意しましょう。それぞれ好きなものを持ち寄るのもいいわね」
「そうだね」
などと会話を弾ませている内に、あっという間に城につく。
憂鬱な気分はすっかり吹き飛び、もう着いてしまったのかとさえ感じてしまう。
今まで貴族階級の友人はひとりもいなかったけれど、最初の友人がアントニアで良かった、と心から感じた。
馬車の扉を開けて、朝の空気を思いきり吸い込む。
今はもう、エリオットに会うのも怖くない。
別れているのはほんの少しだけだから、と思える。
そんなことを考えながらボリスに手伝って貰いつつ馬車を降りると、遠目にもすぐにわかる目立つ姿が駆け寄ってくるのが見えた。ポールだった。




