23 微かな不安
流石に話し込み過ぎたせいで、別の護衛役がエリオットを呼びにきたところで、お別れとなった。
名残惜しいが、すぐに帰ってしまう訳ではない。
あと少しだけ、会える。
馬車が邸を出ていく音を聞きながら、思う。
もう少しすれば、バーギンに行くことが出来る。不安要素がない訳じゃないけれど、それでもわたしは期待する気持ちを止められなかった。
ただ、一緒にいたい。
もう少し話していたい。
そんなことばかり考えていた。
「……本当に、色々あり過ぎましたね」
「えっ! ああ、うん、そうだね」
近くで同じくエリオットたちを乗せた馬車を見送っていたメイジーが、眉間に皺を寄せて言った。
「ジェシー様にとって、良き相手が見つかったことは心から喜ばしいのですが、素直に喜べないと言うのは、なかなか嫌なものです」
「うん、そうだね」
ポールの助言を受け入れるなら、確かにその通りだ。
それでも、心のどこかでそんなはずはない、と思いたい自分がいる。姉様がわたしに対して何かしてくるとは今でも信じられないのだ。
けれど、あの時の姉様の目を思い返せば、ポールの言う通りに思える。
「でも、正直思うんだ。わたしは今でも姉様の上に立てたなんて思えない。どう考えても姉様の方が色々なところでわたしを上回ってる。わたしが姉様を脅かすことなんて、あるはずないのに」
「そうでしょうか?」
メイジーがぽつり、と言った。
「聞いてすぐにはわからなかったのですが、落ち着いて考えてみるとわかります」
「どういうこと?」
メイジーにそんなことを言われるなんて思いもしなかった。
なぜなら、メイジーはまだわたしたちが幼かった頃から仕えてくれている数少ない使用人なのだ。わたしのことも姉様のことも良く知っているはずだし、仲の良かった頃も良く知っている。
しかし、メイジーは真剣な顔をして言った。
「ジェシー様、もしもこのお話が順調に進んだ場合、ジェシー様はバーギン王国の王太子妃になられるのです。さらに時が経てば、いずれ王妃様になられます。それはつまり、女性として望める最も高い地位のひとつに上り詰めるということです」
「そ、そうだけど……」
言われてみればその通りだ。
他のことで頭がいっぱいだったせいで、ちゃんと認識していなかった。
何より、すぐに妃になる訳でもないし、エリオットだってまだ王族となってそれほどの時が経った訳ではない。
一緒に王族としての在り方を模索し、学んでいけばいい。
そのくらいしか頭には無かった。
何よりわたし自身が「王太子妃」というものにあまり興味がないことが一番の理由だろう。
好きになってくれたひとが王太子だった。
さらに付け加えるなら、好きになったひとが王太子だった。
わたしにとってはただそれだけのことであり、王太子妃になりたかった訳ではない。そんなことよりも、彼が姉様ではなくわたしを選んでくれたことが、特別嬉しかった。
きっと、エリオットが王太子ではなくとも、わたしはいつか好きになっていただろうし、結婚するなら彼以外は考えられない。
大切なのはエリオットという個人であって、持っている地位や権力などではないからだ。
そんなわたしの思いを汲んだように、メイジーは続けた。
「ではナディーン様はどうでしょうか。現在お付き合いされているのはこの国の殿下です。ですが、王位を継承されるのは王太子様ですね。この方に何かない限り、ナディーン様は王子妃です。
つまり、ジェシー様の方が格が上となります。
そのことを、彼は言っていたのです」
「で、でも……愛するひとと結ばれる訳だし」
高い地位のある男性を望むことはよくあることだ。愛よりも、家の格や財産を優先する場合だってよくある。
けれど、姉様と殿下はとても仲睦まじくて幸せそうだった。
だから、わたしと同じで、姉様も彼のことが好きだからお付き合いを続けているのだと思っていたし、他の理由など思いもつかなかった。
「そうですね。そうだと良いと私も願っております。ナディーン様が、最初こそ地位や権力のために殿下に近づいたのだとしても、そこから愛情が芽生えることもありますから」
「そう、だよね。で、でも、せっかく心配してくれたんだから、ポールの言う通りにするつもりだよ。何も無ければ、それが一番だから」
「はい。そう思います。備えて置いて損はありませんから」
メイジーは気持ちを切り替えたらしく、いつもの笑みに戻っていた。
「さあ、館に入りましょう」
「うん、そうだね」
わたしはその声に素直に頷いて、メイジーの後に続いたのだった。
◇
翌日、姉様はいつものように別館に戻っていた。
本館は日常を取り戻し、何事も無かったかのように平穏だ。とはいえ、朝食の席で顔を合わせた母は、こちらを見るなり笑み崩れた。
あれからずっとこうなのだ。
気持ちはわかるが居心地が悪い。
わたしはそそくさと食事を済ませて出掛ける準備をすることにした。すると、そのことに気づいた父が話しかけてきた。
「どこかに出掛けるのか?」
「うん。昨日ちょっと頼みごとをされたから、パーセル伯爵邸に行くつもり。失礼かもしれないと思ったけど、早めに聞いておきたくて」
「そうか、そういえば言っていたな。別に悪い話をしに行くのではないから、大丈夫だろう。気をつけて行って来なさい」
「はい。ちゃんとボリスも連れて行きます」
わたしが答えると、父は満足したようだった。
メイジーと小間使いに手伝ってもらい、動きやすい外出着に着替え終えると、外に出る。そろそろ春も終わりに近く、日差しも強くなってきた。
玄関ホールで待機していると、ボリスがやって来る。
わたしは彼と共にパーセル伯爵邸へ向け、出発した。




