20 楽しい時間
「ジェシー、今度は僕からのお願いです。ちゃんと、必ず、もう一度、バーギンへ来て下さいね!」
きちんと聞き取れるようになのか、一語一語、区切って告げる。
真っ直ぐに、こちらを貫こうとでもするかのように向けられる瞳。
わたしはそれを受け止め切れず、思わず目を閉じて返事した。
「はい! 約束します。絶対に行きます! 馬車酔いは辛いですけど、我慢します。もう一度、ちゃんと行きますよ!」
「ああ、良かった。本当の本当に約束ですよ?」
「もちろんです。わたしは約束を破りませんからね!」
あまりにくどくど聞いて来るので、ついそう答えると、エリオットはやられたと言いたげに苦笑した。
「はは、お願いしますね。あ、そうだ」
エリオットはそこで何かに気づいたように手を離すと、上着のポケットをごそごそと探る。
わたしは離れて行った手の感触や温もりの残滓に、何とも言えない気分を覚えてさらに困惑した。
そんなわたしの前に、何かの包みが差し出される。
「何ですか、コレ?」
「酔い止めです。ジェシー良く酔うって言っていたじゃないですか。そのせいで旅行して各地の美味しいもの食べたいし、絶景が見たいのにままならないって死ぬほど悔しそうに。それで、何かいいものはないかなと聞いてみたら、王妃様が下さいました」
「王妃様って、バーギンの?」
「ええ。何でも、東の出身のお友達がいるとか。その方は僕らの国には無い様々な薬をご存じなんですよ。これは東でしか生育しない薬草の根の粉末で、酔い止めや二日酔いに効くんだと仰っていました。試してみてください」
「へぇ~」
渡された包みを開いてみれば、中には小さな紙に包まれた粉末状のものが入っている。これが薬草の根の粉らしい。特に変な匂いはしないが、味については未知なので飲んでみるしかなさそうだ。
「今までにもハーブとかは試したことがあるけど、これは知らなかったわ。ありがとう、効けばいいな」
「そうですよね、少しでも楽になれば一緒に長旅も出来るでしょうし」
「本当にね!」
わたしはこれまで彼に散々見せてきた自分の醜態を思い出して心底そう思った。酔うと、もはや淑女ではいられない。泣いたり、喚いたり、怒ったり、すがったり、懇願したりとちょっと幼児化する。
そのことを思い出して、わたしは今さらながらひどい羞恥心に駆られた。あれを、よりによって、知らなかったとはいえ、この、エリオットにさらしてしまっていたのだ。
時間を戻して無かったことにしたいほど、恥ずかしい。
「酔っている時のジェシーは本当に辛そうで、でも可愛いんですよね」
「おっ、お願いですから、忘れてください!」
「嫌です。断固拒否します。お願い何でもするから馬車をとめて、ここで休ませてと僕の服を掴んで涙目で言った時の顔は忘れられません」
「っ!」
吐き気と戦いつつ、耐えきれなくなったら良く言うセリフ。
今まではメイジーやボリスといった近しい者にしか見られていなかったが、こんなことになろうとは。
というより、優しさの塊みたいなエリオットがそんなことを言うなんて思わなかった。
「でも、僕やメイジーさん以外の前で何でもするなんて言ったらだめですよ。何を要求されるかわかりませんからね」
「そ、そうだね!」
「あ、でも今度聞いたら何かして貰おうかなあ」
遠くを見て考えるそぶりをするエリオットに、わたしは今までに無い一面を見ている気分だった。
何だか遊ばれているような気がするが、別の意味もありそうな気がして怖い。やや怯えつつしばらく黙り込んでいると、エリオットは笑った。
「いえ、冗談ですよ。そんなに変なことは考えていませんから」
「本当に?」
「本当ですよ。せいぜい、ジェシーからキスして貰おうかなあとか、その程度のことですから」
充分でございます。
少なくとも今のわたしには無理難題過ぎる。
恋愛については初心者もいいところだというのに、と考えてふと疑問を抱く。わたしはエリオットを疑いの目で見つめた。
「と言うことは、殿下はそういう経験がお有りなんですか?」
「……え、あ、いや、ええと、済みません。ですが、して欲しい、という願望はあります!」
きっぱり言われてしまった。
ここまで断言されるといっそ清々しい。
「そうですか。なら、言わないようにしないといけませんね」
「でももし言ったらして下さいますか?」
問われ、わたしはため息をつきつつ覚悟を決めた。
「ええ、何でもすると言ってしまったらその時はそうします。でも、期待はしないで下さいね?」
「もちろん、よっし!」
何やら小さく歓喜したエリオットは、いつもの様子に戻っていた。すると、それまで離れていたポールの声がした。
そろそろ時間らしい。
「ああ、名残惜しいですがもう戻らないといけませんね」
「そうみたいですね」
そう返事をすると、盛大にため息をつくエリオット。
そのあまりの残念そうな様子が嬉しい。
今までこういう部分を見たことが無かった。だから、こうして話せて良かったと思う。
エリオットがバーギン王国に帰ってしまう前に、一対一で話せたことは、わたしにとって大きな収穫だった。
「またこういう時間を持ちたいです」
素直にそう言えば、エリオットも嬉しそうに微笑んだ。
「僕もそう思います。まだまだ、時間が足りない」
「そうですね」
つられて微笑み返す。
穏やかなのに刺激的で、楽しい時間だった。
それは、迎えに来たポールとメイジーに思わず苦笑されてしまうほど、幸せを感じた時間であった。




