19 戸惑う気持ち
姉様の選考会参加については、わたしの付き添い役として、という形で話が終わり、エリオットは一旦宮殿へ戻ることになった。
その前に、少し話をしておきたかったわたしは、帰ろうとする直前に、彼を庭へと誘い出した。
向こうも話をしたい様子だったので、すぐに了承してくれたので、わたしは少し安堵する。
一応、ふたりきりで話したいと言ったものの、ポールが、護衛なので見える程度の距離にはいないといけないという。なので、赤い髪がちょっと離れた場所にあるのが見えるが、結構距離をとってくれているので、大丈夫そうだった。
さらにその横には黒い髪も見える。
メイジーだろう。
こちらも色々と気になっているのだろうが、彼女と話すのは後だ。
ちなみに、わたしが話す場所に決めたのは、美しい庭を少し進めばすぐにつく、木々に囲まれた東屋だ。
そこでならゆっくりと話せると思ったのである。
貴族の中でも王家に縁のある公爵家は、基本的に王都内に広大な邸宅を構えているのが常だ。場合によっては大きな公園程度を有している場合もある。アンダーソン公爵家もそのひとつ。
なので、ひとりになりたければ庭に行けば何とかなる。
真冬以外、庭はわたしにとってひとつの居場所だったのだ。
しばらく小道を行く。
エリオットは一旦王宮へ戻らなければならないが、そもそもここから王宮はすぐだ。馬車を使えばさらに早い。
なので、少しくらいは歩いても平気だと踏んだ。
「美しい庭ですね」
「そうでしょ? 今くらいの季節はここにいるのが一番気持ちがいいの。いつも、何もない日は本を持って庭で過ごすんだよ」
「やっぱり、そんな気がしました」
などと話していると、すぐに到着。
石造りの小さな東屋には、植物を象った椅子が二脚置かれている。いつも片方は物置にしているが、今日はエリオットの席になるのだ。
「ここで話そうと思うけど、いいかな?」
「僕は静かで邪魔が入らなければどこでも構いませんよ」
「じゃあ、座ろうか?」
促すと素直に椅子に座ってくれる。
わたしももう一脚に腰を下ろすと、場には少しの間沈黙が流れた。どちらかが切り出すのを待っているのだ。
どうする、どうしよう?
こうやって向かい合ってみると非常に切り出しづらい。一体何て聞いたらいいのかわからない。けれど、どうにかして切り出さなければ。
やはり、姉様のことから聞くのがいいのだろうか。
わたしが頭の中でごちゃごちゃ考えていると、エリオットが先に言った。
「その、約束を破ってしまって、済みませんでした。やっぱり、怒ってます、よね?」
「え、ええと……」
唐突に謝られて困惑していると、彼はさらに続けた。
「それでも、こうするしかないと思ったんです。こうでもしなければ、ジェシーはずっと不安なまま、バーギンへ来ることになる。苦しむのは僕ではなく、ジェシーです。そんな姿を見るのは嫌だった。だから、あえて約束を破ることに決めたんです」
「そっか、やっぱり……わざとだったんだね」
「はい。僕としては、ジェシーのお姉さんに会わなくても全く構わなかったんです。ジェシーの返事を聞ければ良かったし、またバーギンに来て貰えればそれで良かった。
何より、会っても会わなくても、僕の気持ちに変わりはありませんからね。でも、ジェシーはいつまで経っても、僕がお姉さんの虜になるかもしれないと考え続けることになるでしょう?」
そう訊ねてくるエリオットの瞳に宿る真摯さに、わたしは胸が痛む。こんなにも、心配させていたとは思わなかった。
彼は真っ直ぐにわたしを見て、ゆっくりと口を開く。
「その苦しみから解放してあげたかった。それには、もう日数もないし、急ぐ必要があった訳です。だから今日押しかけて来ました」
「うん、もの凄く驚いたよ。例えるなら、落とし穴に落ちたみたいな」
あはは、とちょっと乾いた笑いが出る。
「でも、結果はどうでした?」
少しいたずらっぽい表情で訊ねてくるエリオット。
大きめの紫の目には、茶目っ気が見える。
なのでわたしも釣られて苦笑してしまった。
「……何も、起きなかったね」
それでも、すぐには飲み込めなくて、しばらく観察して、それからじわじわと染み込むように理解したのだ。
恐れていた事態は起きなかった。
その事実を。
エリオットが姉様の虜になるかもしれない、という不安が、わたしのただの妄想であったという事実を。
「でしょう? 僕が女性として好きなのは、ジェシーだけです。でも皆さんが言うだけのことはありますね。お姉さん凄い美人さんでした」
いやあ、凄い凄いと繰り返すエリオットではあるが、それは単に綺麗なものを見た感想そのものだ。
美しい景色や、絵画、宝石などを見た時の感動と差は無い。
その透き通る美しい紫の瞳に、嘘偽りは見られない。
わたしは何だか喉の辺りが詰まるような感覚がし、つっかえないように気をつけながら心を込めて言った。
「殿下、ありがとうございます」
はっきりと、一音一音噛みしめるようにお礼を言う。
背負っていた重いものが今、全て消え去ったような気がした。一生負わなくてはならないと覚悟を決めていた何か、暗雲のようなものが消え去ったのだ。
あまりに長く背負っていたから、すぐには消え去らなかったけれど、今、この瞬間、きれいさっぱり、無くなったのだ。
「いいえ、約束を破ったのは事実です。済みません。でもこれで、余計な不安も無くなりましたし、新しい気分でバーギンに来て貰える。それが僕にとっては一番大切です」
エリオットはそう言うと、そこだけ無骨さののぞく手でわたしの手を取って強めに握る。
その温もりが、嬉しいような、気恥ずかしいような、複雑な気持ちにさせてくれた。
今まで男性に触れられたことがない訳ではないが、こんなに意識したのは初めての経験だ。
何だか目の辺りが熱いような気がして、何度も瞬きをしてしまう。
わたしは思わず、自分がおかしくなったのかと思ってしまった。
そんなこちらの困惑やら当惑に気づいているのかいないのか、エリオットは手を握ったまま、笑みを浮かべて言った。




