16 覚悟したはずが
本館へ戻るにしても、正面玄関は使わない。
他から入れるところがたくさんあるからだ。
最早着替える気力もないので、このまま庭仕事でも出来そうな姿で行くことにする。失礼かもしれないが、そもそも来訪を事前に伝えていないということは、服装などは気にしないということになるはずだ。
何より、これと同じような格好はバーギンで散々見せてしまっている。今さら繕っても意味はないだろう。わたしは南側のテラスから室内へ戻ると、手近な鏡で髪だけ直し、声のする方へ向かう。
応接間から父と母の談笑する声。
それが何だか遠くに聞こえる気がした。
自分の手が扉をノックする。それさえ遠くに感じられる。
中から返事が返って来て、それに答えてから扉を開けた。
眼前に広がった光景は、応接間のテーブルにつく五人と使用人ふたり。
すると、座っていたエリオットが立ち上がって満面の笑みを向けてきた。――わたしにだ。
その瞳に映っているのは、わたしだけ。
彼の視線がナディーン姉様へ向くことは無く、意識している様子はカケラも見られない。
苦痛の時間を過ごすことになると思っていたわたしは、本当にこの場に姉がいるのだろうかと疑ってしまったほどだった。
それくらい、エリオットはまっすぐにわたしだけを見ていた。
まともに視線を受け止めると、胸が苦しくなるほどに。
あまりのことに面食らっていると、彼は少し申し訳なさそうに言った。
「済みません、突然来てしまって。でもどうしてももう一度公爵と夫人にご挨拶したくて、ジェシーの顔も見たかったですし」
「そ、そうだったんですか」
わたしは混乱しつつ空いている席へつく。
エリオットはわたしが座るのを見てから、再び椅子に腰を下ろし、父に視線を戻して話を続ける。
「そういう訳で、是非もう一度選考会にジェシーを参加させて下さいと念押ししに来ました」
何がそういう訳なのかは不明だ。
わたしがいない間に何の話をしていたのだろう、と思いつつ出されたお茶を啜っているポールを見ると、格好良く片目をつぶってみせる。
こちらもナディーン姉様を意識している様子がない。
若い男性がふたりもいるのに、こんな事態は初めてだ。
どうしたらいいのだろう。何より、今のポールのウインクは一体何なのだろうか。わたしはポールが何を伝えたいのか考え、あることに思い至った。
もちろん、後でちゃんと聞かなければいけないだろう。
それでも、期待してしまう。
エリオットは約束を破った。
姉様に会わないで欲しい、というわたしとの約束を。
本当は怒るところだと思う。
ただそれより、エリオットがナディーン姉様を好きになってしまったかもしれないという考えが先に来ていて、怒るどころではなかった。
なぜ、エリオットはわたしとの約束を破ったのか。
そこにはちゃんとした理由があるはずだ。
彼は意味もなくわたしとの約束を破るような人間ではない。
それは良く分かっている。
でも、とわたしは思う。
まだ知り合って日も浅い。
わたしはまだまだ、エリオットのことを良く知らないのかもしれない。
それでもわたしが思った通りなら、奇跡のような事が起きているのだ。
ずっと夢見てきて、潰されて来た希望が、もしかしたら今叶えられようとしているのではないか。そんなことを思うほど、この事態はわたしにとって驚くべきものだった。
激しく打つ心臓の音に、静まれと言い聞かせながら、もう一度エリオットの様子を見る。
彼は父と今後の予定についての相談をしているようだ。
わたしは息をついて、こっそりとナディーン姉様を見る。いつものように静かに座っているが、少し機嫌が悪いのは手に取るようにわかった。
この場にいる若い男性陣が誰一人として自分を見ないのだから、仕方がない。
わたしはとりあえず黙って座り、全員の顔を伺う。本当に、驚くべきことに、父と母はともかくとしてエリオットもポールも姉を見ていない。
あまりに馴染みのない光景に、わたしが逆に姉を見つめてしまう。
やっぱり、こうして改めて見ると美人だと思う。
それも、いわゆる愛され系の柔らかくて庇護欲をそそるタイプの美人。もう大人の女性なのに、ふわふわのピンクのレースたっぷりドレスがここまで似合うのも珍しいと思う。
わたしなんかがそんなの着た日には大惨事だ。
事故だ。
大事故だ。
フリフリのレースまみれの衣裳が似合うのは一部の女性と幼い女の子くらいなものだと自分では確信している。
今日も姉の装いは完璧だ。小間使いを三人もつけて整えているだけのことはあり、光沢のある茶色の髪を綺麗に結いあげ、淡いピンクのドレスで身を包んでいた。
やや丸みを帯びた瞳は潤んだラピスラズリの色。肌もツヤツヤで美しく、唇は少し尖らせて笑みの形を作っている。
胸はコルセットで押し上げて、そこへさらに首飾りを付けることでより色香が強調されている。
この世の男の六、七割程度ならアッサリ陥落させる美貌だと思う。
例外がないわけではない。
人には好みもあるし、他に愛している人がいる場合は靡かないことも多々ある。
例えばボリスとかがいい例だろう。
新しく雇った護衛役の従僕がサッパリ靡かないことに、アンダーソン一家全員が驚いたのだから。
そんな姉様は、いつも別館に籠っているので時々しか会わない。
向こうも時々しか本館に足を運ばないので、本当にこうして眺めるのも久しぶりだった。
彼女はある時から別館に籠り始めた。
その理由を、わたしは知らない。
恐らくあまりに求婚者が来るので、迷惑だから自発的にそうしているのだとわたしは思っている。
ナディーン姉様は美人だし、それを少し鼻にかけているところはあるけれど、子どもの時は仲が良かったのだ。
わたしが泣いているといつも慰めてくれたし、ねだれば好きなだけピアノを弾いてくれたりもした。
そんなナディーン姉様が適齢期を迎えて、舞踏会などに顔を出すようになってから事態は変わった。求婚者が押し寄せてきたのだ。中には婚約者を捨てたひとさえいた。
ナディーン姉様をなじってきた令嬢は沢山いる。
そんな令嬢と元婚約者が喧嘩して怪我人が出たのだ。その辺りから、姉は外に出なくなったが、すでに知り合いになっていた第二王子様との縁は切れなかった。
手紙や贈り物のやり取りがあり、時には向こうから会いに来る。その時ばかりは本館で出迎えるのだ。仲睦まじい様子に、わたしはとても羨ましくなったものだ。
きっとふたりは結婚するのだろう。
それさえ済めば、求婚者の群れも消えるだろうと思っていた。
だからこそ、バーギン王国へはわたしが行くと決めたのだ。
そんなことを考えつつ、久しぶりにナディーン姉様を眺めていると、向こうもわたしを見てきた。
なので、ちょっと笑って会釈してみせる。
久しぶりだね、という気持ちでそうしたのだが、ナディーン姉様はひどく冷たい笑みを返してきた。
それはさながら、敵でも見るような目だった。




