13 逆鱗に触れたようです
ハンフリーは困ったなといった様子で肩をすくめつつ言う。
「全く、酷いですね。僕はただジェシーにこの手紙を渡したかっただけですよ、ええと、貴方がバーギン王国の王太子殿下でしょうか。僕は」
「ハンフリー・ニール・アッテンボロー。子爵家嫡男、ですよね?」
そう問い返したエリオットの目は冷たいままだ。
ハンフリーでさえ、その迫力に吞まれたようだった。
「そ、そうです。まさかご存じだとは思わず、大変失礼をっ!」
ハンフリーが挨拶をしようとしたのを制するように、エリオットがその胸倉をつかみ、言った。
「ご存じですよ。ジェシーとの婚約を破棄してその姉に求婚し続けているというどうしようもない馬鹿な男がいると聞いていましたからね。
いいですか? 一度だけ言います。二度とジェシーに近寄らないで下さい、話しかけないで下さい」
細く見えるその身体から出ているとは思えない力で、エリオットは胸倉を放しつつハンフリーを押す。
その勢いでハンフリーは情けなく尻をついて呻いた。
気づけばダンス音楽もやみ、室内の人間の目がほとんど全てこちらを見ているではないか。わたしは身の縮む思いだった。
一方のハンフリーはと言うと、苛立ちもあらわに舌打ちして立ち上がると、手紙を上衣のポケットにねじ込み、言った。
「一国の殿下がこんなことをするとは、バーギン王国の未来も暗いでしょうね。何より、その王太子がその程度の女のために我が国の歓迎の催しを台無しにするなんて……」
ハンフリーの嫌みはそこで途切れた。
理由は単純。
エリオットが彼の頬を殴りつけていたからだ。
それを見たわたしは血の気が引いた。
エリオットは床に倒れたハンフリーの胸倉をもう一度掴み、今度は黒い笑みを浮かべつつ告げた。
「それ以上は言わない方がいい。これは貴方のために言っているんですよ?」
「何を……」
「たかが一貴族の家程度、リドルトン王国の陛下に事と次第を告げれば簡単に降格や取り潰しが出来ますよ。今まで肉体労働をしたことがない貴方達が路頭に迷えばどうなるか、想像してみたらいい」
「そんなこと、他国の人間に出来るわけが……!」
「そうでしょうか? 貴方が侮辱したのはリドルトン王家と血縁のある大貴族、アンダーソン公爵家の令嬢です。さらには僕も、バーギン王国も侮辱した。これを聞いたリドルトン王国の国王陛下はどうなさるでしょう……アッテンボロー子爵家が取り潰されなくとも、貴方ひとりを侮辱罪で刑罰に掛けることも出来ますよ」
エリオットは完全に動けなくなって目を見開き、唇をわななかせるしか出来なくなったハンフリーにさらに追い打ちを掛ける。
「このリドルトン王国にとってアンダーソン公爵家とバーギン王国の王太子である僕と、貴方と、どちらが重いか考えれば自ずと答えは出るでしょう?」
美しい顔が笑みをたたえたまま淡々と追い詰めるセリフを吐く様は、実に背筋の凍るようなものだった。
舞踏会が開かれているとは思えないほどの静寂が場を包んでいる。
それを破ったのは、なぜかぱらぱらと上がった拍手だった。
訳がわからずにそちらを見やれば、パーセル伯爵令嬢とその取り巻きの皆さんだ。さらに他の令嬢たちも拍手に加わり出す。
よく見なくてもわかる。
全員、恋人や婚約者をナディーン姉様に盗られた令嬢たちである。
その拍手は集まった紳士淑女にも伝染し、場が拍手の音に包まれてしまった。これではまるで見世物のようだ、などと思っていると、パーセル伯爵令嬢が高らかに叫んだ。
「素晴らしいですわ! ありがとうございます!」
さらに追従する令嬢たちの声が次々とあがる。
「なんて痛快なのかしら!」
「わたくし、ここまで良い気分になったのは久しぶりですわ!」
「スッキリしましたわ!」
「ありがとうございましたァァァァァァ!」
叫びつつ、中には涙を流しているものさえいる。
わたしはただ唖然とその光景を眺めるしかない。
一方、道化にされたハンフリーは気まずげに寄って来た若い男性たちに助け起こされていた。良く見なくても、彼らはハンフリーと同じくナディーン姉様の取り巻きたちだ。
あまりの恐怖に、自力では立ち上がれなくなってしまったハンフリーを何とか立たせ、
「気にするな」
だの、
「ナディーン様の魅力を知らないからさ」
だのと気遣われている。
気の毒のような気もしつつ、正直彼がどれだけ恥をかこうが自業自得なのでわたしとしてはどうでも良い。
なので無視していると、ハンフリーは残った気力を振り絞ったような、ひっくり返った声で叫ぶ。
「ふ、フン! そうやっていられるのも、ナディーンを見ていないからさ。彼女の姿を見れば僕の言っていたことがわかるさ!」
仲間の肩を借りてふらつきつつ言う姿は滑稽でしかないが、その言葉が真実だとわたしは知っている。
だから、恥を忍んでまであんな頼みごとをしたのだから。
仲間に引きずられていくハンフリーの無様な姿を見送り、わたしは令嬢たちに囲まれたエリオットに視線を移す。
彼は死ぬほど感謝されていた。
そちらを見ていると、振り向いたエリオットと目が合う。
「ジェシー、こんなに沢山ご友人がいるだなんて知りませんでしたよ。皆ジェシーの味方だそうですね。やっぱり凄いな」
「そ、そう、です、か?」
どう返事したら良いものかわからないので、疑問形になってしまった。て言うか、いつご友人になったのだろう。特にお茶会とかに参加した記憶もないし、共通の趣味もないし、まあ、会えば二言三言交わす程度の仲だったはずなのですけどね?
と、その筆頭であるパーセル伯爵令嬢と目が合う。
彼女は楽し気に笑いつつ会釈してくれた。わたしも会釈し返すが、正直共通の話題は姉のことくらいしか思い浮かばない。
中身は姉に対する大抵恨みつらみだったし、どう復讐したらスッキリするかという想像を懸命に語られた記憶ならたっぷりとある。それをじっと聞いていただけだけど、それで友達認定されたらしい。
わたしは思った。
――メイジー、とりあえず今夜は乗り切ったし、令嬢の皆さまは味方になってくれそうだよ。
これで、まあまあいい報告が出来る。
それは喜ばしいことだった。




