11 気分は帰りたい
心の中でどうしようと思っていると、相手の令嬢はお構いなく仲間を呼び集め始めた。
「皆さん! アンダーソン公爵令嬢がようやくお出ましよ。皆様で歓迎しなくては。ほら、いらっしゃいな!」
「あの、申し訳ないんですけど今日はちょっと」
「……あら、それは残念だわ。本当はわたくしたちとお話頂きたかったのだけど、仕方がないですわね。あら、そちらの素敵な殿方は?」
今さら? 気づくのが遅すぎるよ!
わたしは整えてもらった頭を全力で掻き毟りたい衝動に駆られる。もちろんしないが、想像ではもう掻き毟っている。
「バーギン王国の王太子殿下です」
恨めしげに令嬢を見ながら言うと、彼女、確かパーセル伯爵令嬢は口に手を当てて「まあ」と大きな声を出した。すると、礼儀正しいエリオットは笑顔で自己紹介を始めてしまう。
「僕はエリオット・ハーヴィー・ウィンストン・バーギンです。バーギンの王太子としてリドルトン王国の皆様に挨拶に参りました。よろしくお願いしますね」
爽やかな笑顔でさらりと名乗れば、彼女は驚愕にしばらくの間沈黙し、それから喋り出した。
「も、申し訳ありません。存じ上げませんでしたわ、まあ、まさかバーギンの王太子殿下がこのように素敵な方だなんて、しかもわたくしのような者にもお声がけ頂いて、嬉しいですわ。わたくし、ジェシーとは友人ですの。まあ、一方的にわたくしが話してしまうのですけれど、辛抱強く聞いて下さるんです」
「そうだったんですか。ジェシーは優しいですからね」
「あらあ、殿下はジェシーの魅力を良くお分かりですのね。他の殿方は皆あの忌々しいナディーンばかりに目が行くのに。やはりお目が高いということなのですね」
何なんだろうか、その笑い声。
すでに気分は帰りたいのだが、舞踏会はまだ始まってもいない。どこかで休憩して気を取り直したい。そう思っていたわたしに、パーセル伯爵令嬢がさらりと嫌な報告をしてきた。
「友人の魅力をようやく理解して下さる方が現れてとても嬉しいですわ。そうそう、せっかくの夜ですし、嫌な思いをしないように楽しく過ごして欲しいから教えますけど、今夜あの男が来ていますわよ」
「え、あの男って」
「貴女との婚約を破棄したあの嫌な男に決まっていますわ」
パーセル伯爵令嬢は羽の扇を広げて顔を隠すと鼻を鳴らした。
そうしていると高慢そうに見える。振る舞いは偉そうだし、見た目もそんな感じなのだが、彼女も姉に婚約する予定だった伯爵令息を持っていかれている。
だからという訳ではないが、わたしには彼女が心からの気遣いで言ってくれていることが理解できた。
「そう、教えてくれてありがとう。気をつけるね」
「ええ、いい夜を台無しにしないようにね。わたくしもせいぜい楽しんできますから。またお話をしましょう」
「うん、またね」
そう告げればパーセル伯爵令嬢は他の令嬢たちとともに宮殿内へと姿を消す。もっと囲まれるかもしれないと思っていたわたしは少し拍子抜けしたものの、今は彼女の忠告が脳裏を占めていてそれどころではなかった。
「あの、ジェシー? 大丈夫ですか」
「えっ、うん。大丈夫……会わなければいいんだもの」
そう言うと、エリオットの目にやや険が宿る。
「僕はむしろ見てみたいです。ジェシーを捨てるような男がどんな男なのか見ておきたい」
そこはかとなく不穏なものを感じたわたしは慌てた。
「見なくても、ただの平凡なひとだから。その辺りにいそうな感じの、だから見ても見なくても変わらないと思うよ?」
「そういう意味じゃありません。実は会えたら一言言ってやりたいなあと思っていたんですよ。あ、心配しないで下さい。暴力沙汰にはしないつもりですから、極力」
その極力というのが怖いのですが。
色々な意味で、ハンフリーとは会いたくない。今でこそわかるが、彼は見た目は普通の誠実そうな青年だ。しかし、自分より劣ると判断した人間を見下す傾向がある。もしもエリオットと会えば、間違いなくわたしを攻撃してくると思う。
――何だか違う意味で心配になってきた。
「さあ、行きましょう。皆さんが待っていますから」
「は、はい」
エリオットの笑顔がいつもと違う。
わたしは嫌な予感に包まれながらも、彼のエスコートに従って宮殿へ足を踏み入れた。
昨日見たばかりのはずなのに、すでに全く違う飾り付けがなされている。さすがは宮殿の使用人だ。わたしはダンスホールとして使われることの多い広間に向かいながら飾られた花などを眺める。
昨日とは異なり、人の数も多い。
若い人も多いが、一夜の遊び相手を探す者もいそうだ。昨日より気安い集まりということなのだろう。とは言え、そこは王宮。招かれている楽団の奏でる音楽も素晴らしいものだし、用意されている軽食も美しいものばかりだ。
ただ何しろ人が多い。
必死に陛下のところへ向かって何とか皆様に挨拶を終えると、ようやく舞踏会の始まりだ。
もちろん、最初はわたしとエリオット。
さすがにダンスは慣れているし、いつの間にかかなり上達していたエリオットのリードは安定していて何の問題もない。
それが終われば、別の相手と組んでもいいことになっているので、当然エリオットの周囲には若い適齢期の令嬢が集まる。
「殿下、もしよろしければわたしと」
「いえ、是非わたくしと!」
「まずはわたくしと!」
見目麗しい若い女性に囲まれて嬉しくない男性などいない。しかし、エリオットは苦笑して答えた。
「申し訳ありません。今夜は疲れているのです。また機会があれば是非そうさせて頂きますね」
それを聞いた令嬢たちの残念そうな声の後で、嫉妬交じりの視線がわたしに突き刺さる。しかし、王族と血縁だと皆知っているから何にも言えないのだ。
もはや慣れたその視線を流しつつ、挨拶を続けるエリオットを見ていると、背後から声が掛けられた。
「おや、奇遇ですね。まさかこんなところで会うとは思わなかった」
すぐには振り向けなかった。
顔を引きつらせたわたしはゆっくりと後ろを向くと、呻くような声を出した。




