3 公爵邸の日常
休養明けて、外出の一歩目。
顔を上げて、しゃんとしようと決めていたわたしの耳に届いたのは、多くの人々のざわつきだった。
かといって、こちらを見ている訳ではない。
このざわめきの大もととなっているのは、姉様へ求婚しに来ている者たちだ。それらは、ナディーン姉様が十代の半ばに社交界へほんの少し顔出しをした時からずっと続く慣れ親しんだ光景。
特に、本格的にデビューしてからというものほとんど敬虔な信徒よろしく毎日通ってくる熱心な者たちが多い。
もはや日課にしている者さえいるが、時々親族や使用人が訪れては連れ帰っていることがある。何か重要な集まりでもあるのだろう。実際、しばらくしてからひょっこり戻っていたりする。
そういうひとを見るにつけ、これはナディーン教とでも呼んだ方がいいんじゃないかとわたしは思うのだが、口にしたら色々、主に命とかがマズいことになりそうなので自重している。
でもメイジーにはこっそり教えていたりする。
彼女はすぐには理解を示してくれた。
むしろそれ以外に表現方法がないです、素晴らしい比喩です、と絶賛してくれたので、ちょっと満足している。
「うん、なんか、久しぶりに見ると壮観だね」
王都にある公爵邸が広くて本当に良かった。王都だともっと狭かったり小さかったりする邸に住む貴族も多いから、場合によっては騒動に発展していたかもしれない。
この風景を見るたびにそう思う。
「うっとうしいだけです。ナディーン様も一応迷惑がっているとのことですが、私にはそうは見えませんね」
メイジーがふん、と鼻を鳴らす。
「そうだね」
わたしはメイジーに同意した。
実際、口ではごめんなさいねと言っている姉だが、こうもちやほやされると内心では嬉しいらしい。両親も有り余るほどの求婚者が娘に押し寄せるのはまあまあまんざらでもないのだろう。
困り果てているのは別館の使用人たちだ。
これでは仕事にならないし、一番憤慨していたのは庭師のトレバー・コルケットだ。実年齢より老けている彼は、自慢の芝やら小さな草花が踏み荒らされることに大変憤っていた。
いつも好々爺然とした彼が怒るのは珍しいことだ。
それにわたしも彼と同意見だった。なので、別館周辺には庭を造らず済むように頼んだのだ。どちらにせよ、庭の意味が無くなっているので父も同意してくれて、一件落着となった。
なので、少し手すきになった彼に、わたしはあるお願いをした。
今から向かうのがそこだ。
「まだ時期じゃないものも多いけど、今なら花が見られるかなあ」
「そうですね。そろそろハーブも花を咲かせる頃合いですし」
「楽しみだなあ」
そう答えつつ向かえば、実際そこは多くの花が開いていた。さらに近くでかがんで作業をしている後姿を見つけると声を掛ける。
「トレバー!」
「おお、ジェシー様。ようやく起きられるようになりましたか」
帽子を取って挨拶してくれた庭師のトレバーに歩み寄り、わたしは少し苦笑いを浮かべた。
「うん、まあ、何とかね。それにしても、去年より凄いね」
芝や草花と調和するように植え込まれた多くの果樹が開花し、すでに葉を茂らせている。植込みの草花のなかにはハーブも含まれていて、その場所に足を踏み入れただけで胸のすくようないい香りに包まれた。
何という癒しの空間。
頼んでみるものだ、とわたしは自分の思いつきに拍手したい気分になった。色々あったけれど、ここに来ればストレスも軽減しそうだ。
「ええ、ジェシー様のために丹精を込めましたからな。常識にとらわれない庭を造れて満足ですよ」
「良かった。わたしもトレバーのお陰で色々楽しめて嬉しいよ」
「いえいえ、ゆっくりなさって下さい。少しは、ジェシー様のお役に立ててわしこそ良かったです。公爵様にもお褒め頂けましたしな」
そう言って笑い声をあげてから、トレバーは仕事に戻った。
いつものように。
わたしもまた、いつものように木漏れ日を眺める。メイジーも何も言わないでいてくれる。本当に、使用人たちがいなければとうの昔にここから全力で逃亡していただろう。彼らのお陰で、わたしはここにいられるのだなあ、としみじみとしていると、邸から誰かがこちらに来るのが見えた。
「あら、何かあったのかしら?」
メイジーがやって来た小姓の少年を出迎えると、彼は言った。
「あのう、旦那様がジェシー様をお呼びになってます」
「わかったわ。どこにおいでなの?」
「書斎です。じゃあ、お願いします」
「わかったわ」
メイジーが頷くと、少年はさっさと仕事に戻って行ってしまった。何だろうか、彼の様子が少し変だと感じたのは気のせいかな。
しかし、メイジーが少し険しい顔をしていたので、間違いなさそうだ。
「ジェシー様、とりあえず行きましょう。何だか、嫌な予感が致しますが、行かない訳には参りませんもの」
「そうだね。名残惜しいけど、また明日もあるから」
わたしは頷いて、メイジーの後から邸へ戻った。
すぐさま書斎へ向かうと、そこには一枚の手紙を手にした父、アンダーソン公爵の姿があった。良く見れば父が持っているものは招待状だ。
嫌な予感と言うものほど的中するのってなんでなのさ。
本当に嫌になる。
「ああ、来たかいジェシー。もう体は平気みたいだね」
「ええ、ご心配をお掛けしました。それで、わたしをわざわざ呼んだのは一体……?」
「ああ、これだ」
そう言って父は持っていたものをわたしに渡す。差出人は、リドルトン王国の王妃殿下だ。受け取り、中身を取り出して目を通す。
そして、わたしは軽く引きつった。




