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34 さようなら


「待ってください。少し話をしませんか?」


 わたしは立ち止まって振り返る。

 エリオットは少し怒ったような風で口を尖らせていた。そんなことをしていると増々女の子みたいな顔が魅力的に映るが、わたしとしてはとても困る。


 とはいえ、ここでやだと言って逃げたところですぐに捕まるだけだろうし、仕方なく自然に見えるような笑みを作って言った。


「何でしょう、殿下?」


「……ジェシー……僕が嫌いになったんですか?」


 恨めしげな言葉が心臓に突き刺さる。

 うう、胸が痛い。

 本音を言えばこんな風に返したくはない。だけど、後でもっと辛い思いをするくらいならここは耐えなければと言い聞かせる。


「そんな訳ないじゃないですか。でも、もう殿下は正式に王太子殿下であると陛下がお認めになった訳ですし、今までのように接するのは無理です。

 それに、わたしは国へ帰るんですよ?」


「そのことなんですが、ジェシー、ここに残りませんか?」


「え?」


 エリオットの真剣な様子に、あの夜の囁きが蘇る。

 

 ――僕は、多分貴女が好きなんです。


 あれがもしも本気の言葉なら、残らないかという裏にある意味は……。


「全てが片付いたら、もう一度花嫁選考会を開くそうです。僕のお披露目も兼ねているらしくて、開かない訳にはいかないようなのですが、ジェシーも参加してくれませんか? リドルトン王国代表として」


「選考会、ですか」


 わたしは納得し、さてどうしたものかと首を傾げる。国の正式行事であるなら、断ることは出来そうもない。

 何より、姉に想い人がいるのは事実だ。

 なのでわたしが来ることになったのだから、リドルトン王国代表はわたしで決定となる。だったら、何も帰国しなくてもこのまま残って参加したらいいんじゃない、という提案はまさに妥当だ。


 ただ、問題がない訳ではない。


 わたしの気持ちだ。


「そうです。その内王宮をあのダスティンから奪還すれば、貴女の部屋だって用意出来る。それに、僕はジェシーの返事が聞きたい……」


 心臓が盛大に跳ねる。


 わたしは思わず口元を手で覆った。

 震えているところを見られたくなかった。


「迷っているんですよね? 確か、ジェシーは婚約破棄されて、少し国から離れたくてこの国へ来たと言っていましたから。急にこんな話をされたって、困りますよね。しかも、僕は王太子で、色々な責任も負う立場だから」


 声が震えそうで返事が出来ない。

 意識を逸らすために使用人を見たら、狼狽して壁に張り付いてわたしたちの様子を窺っている。他にも、通りすがりの使用人たちが固唾を呑んでこちらを伺っているのがちらちらと視界に入ってきた。


 こんなところでこんな話をするなんて。


 二重に心臓に悪いし、色々と辛いんですけど。


「それでも、僕は諦められないんです」


 向けられる真っ直ぐな視線が痛い。


 決まっている答えを返すのが、悲しい。


 ああ、陛下にはああ言ったけれど、のんびりしてから帰るなんて無理だ。何より、この口から告げるなんて、もっと無理だ。

 まだ恋とは呼べないけれど、淡い感情があるから。


 育てたら不味い。

 育てたら戻れない。

 育てたら、絶望が待ってる。


「でも、一度国へ帰らないと、心配させるから」


 何とか出た言葉はそれらしい響きを持っていた。

 そのことに深く安堵する。

 エリオットは不満そうだったけれど、納得はしてくれたみたいだった。


「わかりました。でも、また来てくれますよね?」


「うん。きっと」


 ――嘘。


 可能なら、嘘はつきたくないと思っていた。

 でも、ここでそう言わなければこのまま帰れなくなりそうで、わたしは精一杯の仮面を被って、嘘をついた。


「良かった。それじゃあ、また後で」


「ええ、また後で」


 エリオットは踵を返して元来た廊下を戻っていく。

 その背を見つめ、わたしはひとつの決断をした。



  ◇



「よろしいのですか? 本当に挨拶なさらないで」


「将軍にはちゃんと伝えたし、両陛下にもお手紙を書いたよ。もちろん、エリオットにも書いた。大変だったけど、これでいいの」


 メイジーの心配そうな様子に、なるべく明るく返す。

 深刻にしても意味がない。


「それにしても、もう少し遅くても良かったんじゃないですか」


 大きく欠伸をしたチャドに、わたしはため息をついた。

 現在の時刻は早朝。まだ日もちゃんと昇りきっておらず、周囲には闇が残っている。風も冷たく、人通りも少ない。

 見送りの使用人もごく少数で、まだ眠そうな顔も混ざっている。


 しかし、わたしにはどうしてもこの時間に発つ必要があったのだ。


「それじゃあ皆が起きて来ちゃうじゃないの。そこで引き留められたら辛くなるから。……でも、ごめんね、つき合わせてしまって」


「ああいえ、そんな。お嬢様のお気持ちはなんとなくわかるんで」


 長いことわたしを見てきたチャドは少し悲しそうにしていた。


「それでも、僕はこの国に来て良かったと思ってます」


「うん、そうだね」


 返事をしつつ、メイジーが寝ぼけてもにゃもにゃ言っているボリスを揺さぶっているのを眺める。そのいつも通りの光景に、自然と笑みがこぼれた。

 そう、来て良かった。


「じゃあ、帰りましょう」


 帰りたくはない。

 それでもわたしの帰る場所はあそこしかないのだ。帰れば迎えてくれる家族はいる。憎まれている訳でもないし、いびられたりしたこともない。

 いつでも、帰れば迎えてくれる。


 それだけの場所。


「さようなら。会えて良かった」


 助けられて良かった。


 何より、これでエリオットがわたしの美しい姉を見る機会も失われる。

 もしエリオットが姉を見たらどうなるだろう。

 わたしはきっと立ち直れない。

 わたしを好きだと言ったあの愛らしい顔が、今度は姉を見て同じセリフを言うのを見ることになるかもしれないのだ。


 だから、このまま行く。


 まだ恋に変わらないうちに、この想いはここへ置いていく。


「さようなら」


 もう一度闇へ向かって言ってから、馬車へ乗り込む。

 車輪がゆっくりと回り出し、馬車が動き始めると、わたしは小さく息をついた。またいつもの日常へ。非日常は終わったのだ。


 そう思うと、何となく悲しくなってきた。抑えようとしても抑えられない何かが込み上げてくる。


「うっ、く」


「ジェシー様……」


 隣のメイジーが心配そうに背中をさすってくれる。

 その手の優しさに余計嗚咽が止まらない。もう童女のように泣きじゃくるなんて、ないと思っていたのに。

 わたしはしばらく感情にまかせて、馬車の中で泣いた。


 それでも、戻るつもりは無かった。


 こうして、わたしのバーギン王国で花嫁選考会の帰りに傷心旅行をするという

 目論見はほとんど叶うことなく幕を閉じたのだった。



 第一部 了




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