1 ナニサマは王子様
「ああ、あなたは帰ってよろしいですよ?」
「へ?」
わたし、ジェシー・バーバラ・クラリス・アンダーソンは間抜けた声を出した。そりゃそうですよ。意気揚々と領地から馬車に揺られ揺られて、長い道のりを乗り物酔いに耐えて、合わない食事に耐えて吐きそうになりながら来た訳です。
帰るのはまあ別に構わない。わたしとしても別に来たくて来た訳じゃないし、周囲の圧力に負けて来ただけですし。
けれども、ちょっと休んでから帰りたい。
「殿下が一目見て貴女は必要ないと仰いましたので」
「あぁ、なるほど」
うめき声が漏れる。
何やら周辺に美女と言うか、大勢の女性使用人を侍らせているワイルドな魅力を放つ男性がこちらをごみでも見るように見てくる。
服装は豪勢な金糸を多用した赤い礼装。
背に流れる美しい赤い髪と、灰色の切れ長の瞳。すらりとしつつも、鍛え上げられた体格。かなりの美男子である。
一方のわたしはといえば、凡庸な栗色のストレートの髪に同色の丸っこい目。ドレスは皆が頑張ってくれたから綺麗だけど、完全に負けている。
女性らしい曲線にもサッパリ恵まれず、顔の作りもまあ別に、ブスではないんだよねぇ~という感想が大半を占める。
唯一の魅力は、公爵家令嬢ってこと!
後は何もない。
絵もヘタだし、楽器も弾けないし、歌もまあ聞けないほどひどくないけど上手くもないし、勉強は出来ない方がいいらしいけど本当に出来ないから悲しいし。
唯一食べることは好きだ。
料理人と色々なお話をするのが好き。
この国へ嫌々ながら来たのだって、どうせ落選するのは決まっている訳だから、美味しいものをたくさん食べて帰ろうね、ってだけのこと。
それだけなのに。
それさえも許されず帰れと!?
「アンダーソン様にはご足労願って大変申し訳ないのですが、もう殿下の伴侶となる方は決まっておられるのです。その、ついでに愛人の方も大勢……」
刺繍のたっぷり施された買えば凄まじく高そうな椅子にふんぞり返っているアレの可哀そうな従者らしき青年が言った。
何やら痩せているし、まだそれほど年がいってないようなのに白髪が見える。
その向こうでは、似たような目に遭ったらしい女性の泣き声。
「なぜですか! どうしてわたくしでは駄目なのですか!」
「せめて、選考会だけには参加を! このまま帰れば父のような男と結婚しなければならないのです!」
「わたくしなど、祖父のような方と娶せられるのです! どうかここへ置いて下さい」
よりによってどうしてというご令嬢ばかりだな。
いや、わたしも運命は一緒だ。
もし選ばれないで帰れば、性格の悪い奴と結婚させてやるぞーとか言われている。まあ、ごねればもう少しましな方を用意してもらうことは多分出来る。わたしの父はそこまで性根が腐っていないし、母を巻き込めば対抗出来ないことは知れているが、わたしが帰されたら困るのは国一の美女と名高い姉だ。
――さて、困ったなあ……。
などと思っていると、やおら赤毛の殿下が立ち上がる。
確か名前はポール・デイヴィッド・バーギン。バーギン王国の王子様。見た目最高性格クソ最悪。そんな彼はニヤつきながら立ち上がり、周囲で懇願する令嬢のひとりを張り飛ばし、さらに横にいたちょっと太めの令嬢の頭を踏みつけた。
――げっ、マジですか!
わたしはその光景にドン引きしてただただ見入る。
一方の従者はそうとはいかなかったようだ。
「で、殿下! 何をなさっておいでですか!」
「見ての通りだ。邪魔だからどかしただけだ……おい、お前ら、そこまで言うなら俺の側に置いておいてやってもいいぞ。毎日俺の言うことを聞き、世話をするなら、この国に置いてやろう。愛人という名目でな」
「殿下――っ!」
「この女どもは誇りもない。ただ生きているだけだ……どうする?」
「こ、ここに置いて下さい」
「どんなことでも聞きますから……帰されるのだけは……」
するとポール殿下は打って変わって朗らかな笑顔になると、手を叩いて笑った。
「よし、それでは花嫁選考会と行こうじゃないか。ああ、そこの貴女はどうする?」
わたし、わたしか!
いや、嫌だけどどうしようかな。などとまごついていると、ポール殿下はやっぱりわたしをごみでも見るような目で見て言った。
「アンダーソン家には大陸一の美女がいると聞いている。だが、それは貴女ではないようだな。俺はそちらを所望したのだが、仕方ない。交換と洒落こもうか」
それは困る。姉には愛する人がいるのである。だから身代わりで来たのだ。使命を果たせなければ親も悲しむし、姉の恋人であるわたしの国の王子も悲しむし、姉が可哀想すぎる。
とはいえ、わたしの頭じゃこれしか思いつかぬ。
ええい、姉よ、許せ!
わたしは思いつく限り姉を悪く言うことにした。