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シリーズ:物語の作りの話

実は凄い!! うる星やつらの伏線回収と軌道修正  原作40周年おめでとうございます!

作者: 黒長 二郎太

(2018年の)8/30が、うる星やつらの原作開始から40周年だったそうで、いろいろ流れてきたので思い出して拾ってきたものです。


以前書いて別の場所に置いていたものですが、修正してアップしました。


原作40周年おめでとうございます!


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おめでとうございます。40年以上、ヒット作を出し続けるという稀有な存在ですから納得です。

2020年 高橋留美子先生が秋の紫綬褒章しじゅほうしょうを受賞決定。

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2022年には再アニメ化、4クール48話予定だそうで、このご時世にしては、かなり長めです。

それだけ期待されているということですね。


”うる星やつら”の、伏線回収と軌道修正が凄い!というお話です。


”伏線” 書いてあるのに、気付きにくい仕掛けのことです。


その仕掛けの発動が”予想外、かつ納得のいくもの”だと、”おお!そう言うことだったのか!”と嬉しくなっちゃうアレです。


大筋の部分は回収するのが”作者と読者の間の暗黙のお約束”ですから、まるっきりスルーだと読んでガッカリします。

また、逆に、読者が心配になるほど細かなところまで回収しちゃったりと、どこまで回収するかは作者によって、まちまちです。


中には、読んでる最中に、読者が心配になってしまうようなものまであります。


”えー? そんなとこまで回収するのかよ!”……というマンガで比較的有名なものに、週刊少年サンデーに連載されていた、藤田和日郎先生の”からくりサーカス”というのがあります。


その中に、人を笑わせないと死んでしまう(正しくは、笑わせると緩和する)という謎の病気、”ゾナハ病”というのが出てきます。


こんな設定どうやって回収するんだよ……と、絶望しか感じない設定だったのに、ちゃんと回収されました。凄いです。

まあ、これは、予定通り自分で蒔いて自分で回収した話、だと思うのです。それでも凄いのですが。


”伏線を張る”という言葉があります。

普通は”狙って張っておく”ことから、そのような言い方をするのだと思いますが、

途中で軌道修正をかけることによって、過去の部分が、伏線として機能するように育てていくと言う手法も存在します。


はじめから、潜伏させておくものだけが伏線では無く、あとから作ることも可能なのです。


そもそも、回収しない主義の人も居るでしょうし、作者は続けたくても”本当の闘いはこれからだ。○○先生の次回作にご期待ください”になっちゃうことも多いわけです。

最終的に、どれが伏線として機能するかは、運の部分もあります。


なので、細かいものまで回収しまくると言うのは、極めて難しいことなのだと思います。


その、細かいものまで回収しまくるものとして、からくりサーカスは有名な例ですが、あまり一般的に指摘されないもので、私が”これは凄い!”と感動したものがあります。


かなり昔のもので、その伏線回収や軌道修正が凄い!と話題になることは、あまりありませんが、作品自体は非常に有名なものです。


同じく週刊少年サンデーに連載されていた、高橋留美子先生の、”うる星やつら”です。

元は思い付きで書いた馬鹿話に見えますが、たぶんその通りなのだと思います。


だから凄いのです。


”うる星やつら”と聞いて思い浮かべるのは、トラ縞ビキニの鬼っ子、ラムちゃんではないかと思います。


ところが、1話の時点でラムはヒロインどころかレギュラーでも無かったのです。

敵です! 脇役の1人です。

原作では2話目にラムは出てきません!


1話ラストで”結婚”とか言いつつ、2話目には、まったく出てこないのです!

知らずに読むと、びっくりするほどのスルーっぷりです。


実は、当時、高橋先生は、まだ大学生で、1話が掲載されたときは、5回の短期連載だったそうです。

つまり、ラムは、全5話の物語で1話には出るけど、2話には出てこないキャラでした。

レギュラーですらありません。


5話分の出番を調べました。


挿絵(By みてみん)


重要な役を持つキャラは、いきなり早いタイミングで出るという法則があります。

なので、少年マンガでは、不自然に、いきなり人物紹介としてヒロインが登場する作品が多くなります。

特に、短期連載であれば、勿体ぶるページ数が無いので、避けるのが難しく、そうなることが多い。


うる星やつらの場合は、1コマ目があたるとしのぶの中コマです。

最初の1コマで重要キャラであることを印象付ける見せ方の工夫です。

無理矢理感の無い上手い見せ方だなと思います。


一方のラムは、1話だけ見ると、メインヒロインを勿体ぶって、少し遅めに登場させたようにも見えますが、2話目では、名前も出ず、無かったことにされています。

勿体ぶって、本命を登場させたのではなく、話の流れで登場が遅くなっただけと考えて良いと思います。


しのぶは1話、2話とも1ページ目から登場しています。ちゃんと、一番重要なキャラとして認識されるように、はじめに出してあるのです。

重要なキャラは先に出す。この法則的に見ても、ヒロインはしのぶです。

(実は、錯乱坊(チェリー)が、かなり重要キャラの位置づけだったことがわかります)


まあ、予定外のキャラに人気が出て、当初と違う話になってしまうことは多々あります。

ヒロイン交代も、特に珍しいものでもありません。


この作品で感じる、高橋留美子先生の、伏線回収における凄さは、軌道修正能力にあります。


ラムは3話目も出ない予定だったものが、無理やり差し替えられたような形跡があり、3話目でレギュラーになります。

1話のラストで”結婚”と言ってるので、2話目にも継続して出せば特に問題無いのに、2話目では無かったことになっており、3話では、わざわざ呼び寄せるのに1話消費しています。

レギュラーになったのかと思うと、少し後にラムが出ない回があります。

やはりこの回でも、しのぶは出てます。


ラムが出ない回は、河童の話です。

ラムがゲストだとして、5回構成なら、

1話が鬼、2話が悪魔、3話が河童、4話が死神とサクラ、5話が総出演エンディング

のような流れになるのが自然な気がするのですが、5回しか無い連載の3話目で、再度ラムを呼び出す話が入ります。

2話で、完全に無かったことにされていたのに、3話でわざわざラムを呼び出す話を書いています。

急遽方針転換して、これが話を変えたように見えるのです。


3話でラムを呼び出すことには成功しますが、ラムに借金のかたに無理やり同居させられるハメに陥ります。

「あいつにだけは二度と会いたくない」とまで言っており、

当時は本当に、あたるに嫌がられていました。

(先入観無くして1巻読むと、けっこう本気で嫌がっているように読めると思います)


5話で終了とはならずに、その後も続いていくわけですが、

その中で早々に、未来の世界で、”あたると、しのぶが結婚していて子供がいる話”が書かれます。


ヒロインは”しのぶ”ですね。この時点では作者は、しのぶをヒロインとして書いています。


つまり、ただのゲストのお邪魔虫がレギュラーになって、そのうちヒロインになったわけです。


正式に週刊連載が始まったのと同時に面堂終太郎が登場するまでは、ラムとしのぶが、あたるを取り合う話でした。


正式に週刊連載が始まる前の区切りともいえる原作18話(?)”さよならを言う気もない”では、2人に分裂したあたるを、ラムとしのぶが1人ずつ分けることで、あっさり合意しています。


面堂終太郎が出ると、しのぶが面堂に傾くので、その関係は終わってしまいますが、しのぶと結婚する未来を放置したまま、話はどんどん続いていきます。


そのまま放置プレイかと思わせておいて、20巻過ぎてからやっと、未来は変えられる話が追加されます。


昔の漫画は短いものが多く、当時20巻以上続く漫画と言うのは滅多に無かったのです。

(うる星やつらか連載終了時、週刊サンデーで歴代最長だったというレベル)

さらに、話に矛盾があったり、あからさまな伏線放置も普通でした。


当時の感覚では、10巻放置されたまま進んだら、後から回収すると思いません。

使う直前に、次のエピソードに備えて修正というのはありますが、そういうタイミングでも無いのです。


そして、最終巻で”鬼族は大事なことは鬼ごっこで決める”という設定を回収しました。

そのセリフが出たのは1話で、ラムはゲストキャラでしかも敵側なのです。


そんなキャラが、ポロっといったセリフをまともに回収するなんて!と思い感動しました。


もともと、ただのギャグマンガだと思って読んでたのに、こういうことをやられると、改めて、視点を変えて何度も繰り返し読んでしまいます。

私は通しで何十回と読みました。

閉じ方が良いと、前の部分まで生きてきます。


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私は勝手に、”うる星やつら”が生まれたのは、”作者が女性だから”だったことが、大きな理由だと思っています。


”うる星やつら”の元になった、”勝手なやつら”という単発の読み切りマンガでは、宇宙人は半魚人とか異形のものでした。

”うる星やつら”(の第一話)は、”勝手なやつら”の宇宙人を鬼にして、鬼ごっこをやらせただけなのです。


”勝手なやつら”も”うる星やつら”も、流れ星が落ちてくれば、偶然当たるくらいの確率で不幸に当たるような最凶少年を主人公にして、宇宙人絡みの、不幸に巻き込まれる話だったのだと思うのです。


題名の”うる星やつら”は”うるせーやつら”漢字で書くと”煩い奴ら”、つまり、主人公に不幸をもたらす連中という意味です。

”うる星やつら”も、前作の”勝手なやつら”も

”主人公に不幸をもたらす連中”という意味では同じです。


ところが作者が女性だったために、勘違いが発生してしまいます。

女難、つまり、迷惑、嫌なものとして女を出しているのです。


1話で出した”迷惑なモノ”がラムです。

作品名にもなっている(うるさ)いやつ1号がラムだったのです。


宇宙人が突然やってきて、地球の命運をかけて鬼ゴッコすることになります。

しかも宇宙人なのに鬼で角があって虎のパンツです。

そして雷使います。思いっきり和風です。SFなのに和風です!


その上、美少女と言うギャグ……ここで終わりの一発ギャグで書いたものが、”笑い”ではなく、読者にはむしろ”憧れ”として受け入れられて、大人気になってしまったと言う、描く側と、読む側の勘違いで生まれた作品なのではないかと思っています。


むしろ、一般には”一話で突如ヒロインがやって来る話”と思われていると思いますし、実際、突然ヒロインが押しかけてくる、テンプレの元になった作品であることは確かだと思います。


でも、恐らく書かれた経緯は、違っているのではないかと思ってます。


題名を”うる星やつら”、つまり迷惑な人達としてあって、迷惑なキャラを出したのに、読者は題名の意味にも、そのキャラが煩いやつの1人であることにさえ気付かず、ヒロインとして認知されてしまいます。

※サクラも、初期にうるさいやつ枠で登場したキャラの1人なので、

 (初期の頃)あたるは嫌っています。


作者の意図、読者にまるで伝わらず……


高橋先生は、おそらく、しのぶをヒロインと位置付け、しばらくの間、しのぶがヒロインであることを作中で描き続けています。

しのぶと結婚して子供が居る世界もそうですし、かなり明確に描いています。


なのに、作者の意図は、読者にまるで伝わらず……

※大事なことなので2回書きました


私は、初期の部分は、高橋先生が意図通りに読んで貰えないことに対し、混乱しつつ描いているように見えるところが好きです。

ラムに人気が出たから、即メインヒロイン差し替えではなく、しばらくの間、高橋先生は、しのぶをメインヒロインと位置付けていると言う説明を重ねているのです。


それでも作者の意図は、読者にまるで伝わらず……

※すごく大事なことなので3回書きました


結局は、高橋先生が大学を卒業されて、漫画家を本業として正式に週刊連載開始時には、ラムをメインヒロインに据えて、面堂終太郎とあたるがラムを巡って話が進むような流れで再スタートします。

このとき、ラムは、あたると終太郎を天秤(本当に物としての天秤)にかけます。


実は、ラムはあたる一筋の、一途なキャラでは無かったのです。

ちょっと方針転換が過ぎますよね。



原作は散々読んだので、原作から見える範囲では、この解釈で矛盾ないと思いますが、インタビューとかは読んでないので、もしかしたら狙って書いたとか言ってる話もあるかもしれません。


が、ラムは2話には出てきませんし、3話では借金のかたに無理やり同居させられ、その後も、あたるに散々嫌がられているのです。


そして、明示されていませんが、途中で新たにルールが設定されています。

”あたるはラムを好きと言ってはいけないルール”です。


これも、けっこう初期から存在していて、ラムが作中で何度も言わせようとしますが、あたるは絶対に口にしません(少なくとも正気のときには)。


元々あたるは、本気でラムを嫌がってました。

それが、しばらくすると一緒に居るのが普通になって、ラムが居なくなると寂しいと言うことを思い知ります。

そして、嫌いだと思わせておきたいけれど、本当は好きという状態で、話がずっと続いて行きました。


ラストエピソードは、1話の鬼ごっこと対になるものですが、実際の勝負の内容は、鬼ごっこのルールを使って好きだと言わせるゲームです。


好きだと言わせるゲーム。実は、それは、ラストエピソードで突如発生したものではなく、何十巻にもわたって、続けられていたものだったのです。


そして、いよいよ絶望的な状況になってもあたるは決してその言葉を口にしませんでした。

そんな状況で言ったら、嘘か本当かわからなくなってしまうからです。

いろいろ積み重なって、あたるにとっては、軽々しく口にできない言葉になっていたのです。


でも、その意図に気付いてラムが折れ、最悪の事態は免れました。



そして最後にラムの”一生かけて言わせてみせるっちゃ”に対して”いまわの際に言ってやる”です。

延々続いてきたマンガの締めとして素晴らしいと思います。


意味は、簡単に言うと”死ぬまで続ける”と言ってるのですね。


彼らは高校生ではありますが、1話の時点で結婚は星間レベルで公認です。

そしてリアルでは10年近く経ってます。


この一生には、読者も含まれてるのかもしれません。

連載は終わりますが、読者の頭の中ではいつまでも延々続いていくのです。

今でもけっこう頻繁に絵を見かけますからね。


これからも、ずっと愛され続けるのでしょう。


素晴らしい締め方です。



私も、こんな風に、テキトーに生まれたネタを昇華させることができるようになりたいな!と思うのです。


40年も前に、こんなものが描けるなんて、恐ろしい才能です。

そして、その後も長編は毎回アニメ化。今でも現役。作者は化け物ですね!!

もちろん誉め言葉です。


40周年おめでとうございます! うる星やつら。今でも大好きなマンガです。



うる星やつらは私の青春でした!と言っておられる方がいらっしゃいますが、罠に嵌ってますよ!


1話のラムとあたるの鬼ごっこの回のサブタイトルは、”かけめぐる青春”です。

手玉に取られると言うか、掌で踊らされてると言うか、……留美子!恐ろしい子! って感じですね。

災厄という観点からは、1話は鬼に取り憑かれる話です。

それに対して、読者は、我々は、むしろ取り憑かれたい!と思ってしまう勘違いです。


でも、今でもファンがいっぱい残ってて、気持ちを共有できる人たちが居て嬉しいです。


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(2019年8/30追記)

本文は、伏線と軌道修正の話として書いたもので、”うる星やつら”のどの話が好き、とかは書いていません。


個人的に、好きな話をいくつか挙げさせていただきます。

ボーイミーツガールを別枠とすると、


・ラムのツノが伸びて牛になる(ならない)やつ。

 あたるが(ラムが牛になっても)「俺が飼ってやるから」って意外に優しい。


・ラムが瓶詰めで小さくなる話。

 あたるがラムを大事に思っていることが分かります。


・あたるが犬になるやつ。

 ラム(若干)優しい!


・夢で逢えたら(ラムが作った夢の実でサクラが苦しむ話)

 ここでも、本物のあたる意外に優しいです。


・幽霊と真夏に手編みのセーター着てデートするやつ。

 あたるが超優しい!!


あと、劇薬。何故か酔っ払って皆で劇やる話。

 あたる、べつに優しく無い!


だいたい、あたるが(主にラムに対して)優しい話が好きです!

でも、たまに優しいから良いのであって、いつも通りが無いと引き立たないと思うのです。


すみません、蛇足ですが、書きたくなりました。


あたるは、後半は案外優しいのです。

それに対して、ラムは手料理食べさせたり、愛情表現(電撃)とか、はじめから最後まで、あたるに酷いことばかりしています(ΦωΦ)


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今は、こんな本が出てます

挿絵(By みてみん)

4万文字のインタビュー付きで、かなり読み応えあります。


やはり、高橋先生も、ヒロイン外れた後の、しのぶの扱いを気にしていたようです。


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(2022年5/3追記)

2022年に再びアニメ化されます。しかも、このご時世に4クール48話予定だそうです。

私は原作派ではありますが、この時代にリメイク版が放送されるのは喜ばしいことだと思います。

リメイク版を見て原作読む人も多いでしょうから。

昭和のアニメ版うる星やつらで原作と大きく違うところに、メガネの存在があります。

新作が原作に忠実に再現されれば、メガネはほぼ出ない。

新作アニメを見て、うる星に興味を持ち、かの大傑作『ビューティフルドリーマー』に辿り着いたとき、違和感を持つのではないかと思います。居るのが当然という感じに嵌っているのですよね。


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(2022年12追記)


宇宙は大ヘンだ! の最後に曲が終わるタイミングで聞き取れるセリフが入っていますが、

そのセリフが「大変なんでございますよー」までは指摘している人が居ますが、私には、「大変なんでございますよーー」の後に「小さくなりますよ」が入っているように聞こえます。

”大変なんでございますよーー”の後に、まだ余韻があったので、フェードアウトに合わせて「小さくなりますよ」と言ってるのだと思ってます。

もしかしたら、「小さくなりました」かもしれません。

「ちいさくなりまs」までしか聞こえないのですが、語尾は「よ」で統一されているのではないかと思ってます。


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Xボンバーの4話で、千葉繁氏が『うる星やつらめ』と言っているシーンを発見しました。

わざとでしょうか?

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本作は、うる星やつら原作マンガのみから見えたものを書いていますが、感想でご指摘いただいた通り、うる星やつらの原作は、アニメ版の影響を受けている可能性を感じます。

個人的には、初期からアニメ版のフィードバックが入っているような気がしています。

原作に、アニメ版に対する回答のようなものが含まれている可能性もありますので、原作だけを読んで解釈しても不足している部分があるかもしれません。


私が本文中で指摘した”あたるはラムに好きと言ってはいけないルール”は、私の解釈ではビューティフルドリーマーでは破られていません。


あたるは、ラムに対して安易に好きであると伝えてはいけないというルールです。


”わざわざ言葉で伝えなければならない程度の付き合いではない”と考えています。

そして同時に、もはやラムに対して軽々しく口にできる言葉でも無くなってしまった。


ラムに対して直接言葉で伝えること、或いは、直接口にしないと伝わらない状態が問題なのであって、知らんおっさんにラムのことが好きであることを知られても痛くも痒くもない。


そもそも、あたるがラムを好いていることは皆知っている前提の関係なのです。

(初期とは違いビューティフルドリーマーが製作された時代には既に、そういう関係になっています)


あたるは一見クズですが、いくつか大事にしている信念があります(あると考えた方が納得できる行動をする)。あたるは、ラムに好きだと言わないのと同時に、ラムの居ない世界を否定します。


あたるは、ラムが居ないハーレムに満足してはならないし、そんなものの存在を許さない。

ラムの居ない夢に閉じ込められたら、ラムの居る現実に帰還しようとします。

※日頃ハーレムを夢見ているのは、既にラムが居るからです


ラムの居ない世界でラムに惚れているなどと言いだして、脱出を謀ってもかまわない。

あたるは自分がラムを好いている自覚はあるし、ラムを含め周りの人々もそれを知っていることを自覚している。わざわざ口にする必要が無いからしないだけ。

夢邪鬼がそれを理解していないから説明しているのです。

※そんなことも理解せずに人の夢を叶えたつもりか!という抗議の意味もあるでしょう。


ただし、ラムに対して直接言うことは無い。

言う必要の無い関係を築いていると思っているからです。

あたるの行動としては、一貫性があります。


ただ、その解釈が通用してしまうあたり、原作ラストエピソードのボーイミーツガールと一貫性がありすぎる気もします。

なので、ビューティフルドリーマーも含めて、あの終わり方にしたのではないかという指摘は、確かにそうかもしれないという気もしています。


永遠に繰り返す学園祭前日は、押井監督にとっては、テレビアニメ版のうる星やつらです。

半年か1年かで終わると思っていたアニメが、やっと終わると思うと延長されます。

元々原作書き溜めがほとんどない状態でスタートして1話15分で消化してますから、原作が全く足りません。完全オリジナル回を挟むと、すぐクレームが来る。もう無理だと言っても、また延長される。

その上、そもそも押井氏は、元から同じ作品を延々作り続けるのは好かなかったようで、「もう限界だーー!!」とビューティフルドリーマーという傑作を生みだしてしまいます。


キレた結果生まれたのがビューティフルドリーマーであり、ブチギレ環境が無ければ、押井氏のその後の活躍は、だいぶ別のものになったかもしれないように思います。


無邪鬼の「どんな夢でも見せまっせ」は、原作者に向けたセリフという説がありますが、私は、違うと思います。

と言うのも、押井氏は「もう限界だ、(テレビアニメ版うる星やつらを)続けることはできない」と言っていて、「どんな夢でも見せることができる」、ではなく、「もうやりたくない、一刻も早く終わらせたい」というのが本心です。

自分の好き勝手に作りたい(これをビューティフルドリーマーで実現した)

押井氏からすると、アニメ制作スタッフは♨に近い状況だったように思います。

原作者の高橋先生に「どんな夢でも見せまっせ」と言ったところで実現不能でした。

むしろ、「早く辞めさせてください、終わらせてください」なので、いつまでもやってろという内容のセリフに関しては、うる星やつらのテレビアニメ版、原作に対するものかもしれませんが、「どんな夢でも見せまっせ」と言うよりは、「もう許してください」だと思うのです。


劇場版一作目のオンリーユーは、最後には会社の前の道の通行人まで動員して仕上げたと言ってますから、製作現場は完全に破綻しています。

破綻した現場から、継続は無理と何度言っても、人気が出てしまって終わることができなかった。

劇場版二作目の公開が決まったときにも、無理だと言っているのに、テレビ版の延長は決まります。

劇場版二作の製作もぜんぜん進まない。

無理だと言っても勝手に決まる。そして、負担の分担も無く、全部、一部の人に負担が重くのしかかる。

誰かの美しい夢を実現するための被害者ですね。


※この当時、何年も続くアニメは滅多にありませんでした。

 サザエさんやドラえもん等の、超長期作品以外では、

 ルパン三世の第二シリーズなどが有った程度で、滅多にありませんでした。

 そのため、延々続ける体制なんて存在していなかったと思います。


無邪鬼のセリフの一部に、押井氏のメッセージが含まれているとは思いますが、夢を何度も作り直す羽目になるという旨の内容あたりが、美しい夢(アニメ版うる星やつら)の製作の苦労のことを表しているのかもしれません。


そして、原作者の高橋先生が見た感想としては「ラムはそういうキャラじゃない」なのではないかと思います。

勝手に、誰かが望むヒロイン像みたいに改変されたラムの性格に違和感を持ちそうな気がします。

一作目は、高橋先生が直接かかわって作られており、その中に登場するラムの性格は、高橋先生が思うラムの性格からそれほど離れていないと思います。

ところが、二作目のビューティフルドリーマーは、一作目のオンリーユーのときのラムと性格が全く異なっているのです。

原作でも初期のラムと中期以降のラムは性格が違いますが、オンリーユーの頃には原作のラムの性格はある程度安定していたので、オンリーユーのラムが高橋先生の思うラムの性格に近く、ビューティフルドリーマーだと、作中のラムは誰かの夢の中にあるラム像であり、高橋先生がキャラに与えた性格を無視した作品に見えたのではないかとも思えるのです。


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実はビューティフルドリーマーは、TVアニメ完全オリジナル回の”みじめ!愛とさすらいの母!?”がベースになっています。

ネタが無くて流用しただけなのか、流用してビューティフルドリーマーを創ろうと思ったのか、どっちが先かはわかりませんが、かなり名残があるので、ビューティフルドリーマー好きで”みじめ!愛とさすらいの母!?”を見たことが無い方は、是非とも見てください。


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ビューティフルドリーマーは、ループ系の元祖と言われますが、個人的には後のループ系とは別系統の作品だと思っています。

後のループ系は、ゲームの再利用都合で作られたループものから派生していると思います。

ゲームは作る手間と、データの再利用という観点から、ループものと猛烈に相性が良いのです。

そのため、データの再利用を合理的に行う設定を追加したループものが大量に生まれます。


そのためゲームから発展したものは死に戻りも含め、ループ系が多くなる。


ビューティフルドリーマーは、再利用ループ系ゲームが生まれる前の物なのです。

ビューティフルドリーマー公開とほぼ同時期に、マルチエンディングのゲームが登場するくらいの時期ですから、かなり早い。


一方で、永遠の繰り返しネタ自体は昔から存在します。

最初と最後が繋がっている、永遠の繰り返しというのはけっこうあったと思います。


時間の限られた劇場版の中でループを表現して、ループから脱出する話というのは、この時代には珍しかったのではないかと思います。

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[良い点] お初です。 直撃世代のひとりとして、とても共感できる記事でした。 Youtubeにもある、原作者への2019年のインタビュー(アングレーム国際漫画祭最優秀賞記念)などを見ますと、 「もと…
[一言] Twitterの宣伝で気になってきました。 うる星やつらは、小さい頃にアニメで見ていて(らんまもやっていた頃なので再放送)大好きでした。 最初ラムがヒロインでなかったのは衝撃です。けど、しの…
[一言]  アニメがあっていた頃は、私は小学生高学年の頃でした。  ♪あんまりソワソワしないで~♪  ちょっぴり大人っぽいアニメだなあと思ってみてました。  確か水曜の7時半だったかな、その7時はアラ…
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