誕生日には魔法がいっぱい
「良く似合っているよ」
日下部にそう言われてまゆは笑顔を浮かべた。
まゆに日下部から電話があったのはちょうど一週間前だった。
『来週の土・日、大阪出張なんだ。会えるかな?』
受話器の向こうで日下部が言った。
『はい。大丈夫ですよ』
『じゃあ、チケットを送るから京都駅13番ホームで待ち合わせしよう』
京都駅の13番線は下り新幹線のホームだ。
『チケット?』
『そう! 新幹線のチケット。仕事はすぐに終わるから、一緒に大阪まで来てほしいんだ』
『それはかまわないけれど、大阪へ?』
『連れて行きたいところがあるんだ。大阪で一泊してもらうことになるけど』
『い、一泊ですか?』
『ああ、安心して。部屋は別々だから』
『あ、当り前です』
『じゃあ、来週の土曜日に』
そう言って日下部は電話を切った。
まゆはペットのマンチカンを抱き上げた。
「良くん、日下部さんに誘われちゃった」
良くんは人懐っこくまゆの頬をペロペロとなめた。
3日後、まゆの元へ日下部から新幹線のチケットが送られてきた。2月25日京都発11:33、のぞみ215号。座席番号は8号車1A。グリーン車だ。ちなみに新大阪へ到着するのは11:46。乗車時間はたったの13分。
「マジ! 大阪までなら在来線でも30分で行けるのに。でもまあ、日下部さんらしいわ」
まゆには日下部がやって来る理由が判っていた。そして、それが出張などでは決してないことも。
2月25日。まゆは簡単な朝食をとると、早めに家を出た。途中で良くんを知り合いに預け、11:00過ぎには京都駅へ到着した。
「そうだ、日下部さんに何かお土産でも買って行こうか…」
そう思って土産物売り場を覗いて見たのだけれど、いま渡しても邪魔になるだけかもしれないと思い留まり、早々にホームへ上がった。
「えっと、8号車はこの辺りね」
11:31。定刻通りのぞみが到着した。窓から日下部が座っているところが見えた。日下部もまゆに気が付いた。まゆは手を振って、このまま行くから出迎えは無用だと合図した。
「お久しぶりです。お元気でしたか?」
まゆが挨拶すると、日下部は頷いて、まゆに窓際の席を譲ろうとした。
「大丈夫ですよ。たったの13分ですから。外の景色を眺めている暇なんかありませんし」
「それもそうだね」
席に着いたまゆを日下部はじっと見つめた。
「どうかしましたか?」
「まゆさん、会うたびにキレイになるね」
「はい! お年頃ですから」
そう言って笑うまゆに日下部は安堵の笑みを浮かべた。
そして、あっという間にのぞみは新大阪へ到着した。
着いて早々、日下部が言った。
「さて、まずは昼メシを食おう」
「はい! 朝は軽く済ませて来たのでおなかペコペコです」
「よし! じゃあ、付いてきたまえ」
そう言って日下部はまゆの手を取り歩き出した。
駅前のタクシー乗り場でタクシーに乗車すると、日下部は「西中島方面へ」と告げた。そして、日下部がタクシーを止めたのは焼肉店の前だった。
「予約の日下部です」
すると、店員が2階の座敷席へ案内してくれた。席に着くとすぐに料理が運ばれてきた。
「昼から焼肉ですか?」
「嫌いだった?」
「そうではないですけど、においとか気になるじゃないですか」
「そっか、でも今日はこのままタクシーでホテルへ一度チェックインするから…」
「バカ! そういう事じゃなくて…」
意外とデリカシーのない日下部に少々むくれ気味のまゆは仕方なく目の前の肉を口へ運んだ。
「あ!美味しい」
その店自慢のA5ランクの国産ブランド牛や希少部位の高価な肉は絶品だった。なんだかんだ言いながら二人とも出された料理をペロッと平らげた。店を出ると日下部がまゆに尋ねた。
「においが気になるのなら着替えの服を買いに行こうか?」
「大丈夫ですよ。このままタクシーでホテルへ行くんでしょう? 着替えなら持ってきていますから」
「遠慮しなくてもいいんだよ。だって、明日はまゆさんの…」
「大丈夫です!」
まゆは日下部の言葉を遮り、歩き出した。いくらなんでも、そこまで甘えられない…。放っておけば日下部は魔法使いみたいになんでもやってのける。だから、さっさと通りに出ると、手をあげてタクシーを止めてしまった。日下部も慌ててタクシーに乗り込み行先を告げた。
「北区ユニバーサルシティ駅まで」
その行先を聞いて、まゆは胸を躍らせた。日下部がまゆを大阪に連れて来たのはこのためだったのだということが明らかになったのだから。
2月の初め、まゆは日下部が企画したバレンタインイベントに参加した。いつもそうなのだけれど、日下部は自分の企画に参加したユーザーにお礼のギフト小説を贈っている。今回は3月14日のホワイトデーにギフトを送るのだと言う。
そんな日下部に対して、まゆは誕生日にUSP、つまりユニバーサル・スタジオ・パークという映画の世界を再現したテーマパークへ連れて行って欲しいとリクエストしていた。日下部はそれをちゃんと覚えていて、大阪出張だと言ってまゆに会いに来てくれた。電話があった時点でまゆはすべて解かっていた。日下部ならきっとそうしてくれるだろうなと。
タクシーが目的地に近付いてきた。
「そこのホテルの前に停めてください」
そこはテーマパークのサポートホテルだった。日下部はフロントで予約名を告げ、ルームキーを受け取って来た。
「さあ、部屋に行こうか」
最上階でエレベーターを降りると、すぐにその部屋はあった。鍵を開けて中に入る。プレミアムパレスと呼ばれるその部屋は夢のように豪華な部屋だった。
「ウソ! 私、ここに泊まれるの?」
「割と広いでしょう。これならゆっくりできそうだね」
「ゆっくりどころか、逆に気を遣っちゃう…。ところで、日下部さんの部屋は?」
「僕の部屋は一つ下の01号室。まだチェックイン出来ないから取り敢えず、仕事を片付けて来るよ。夕食はここのレストランを予約してあるから、それまでには戻って来るよ」
「仕事? 出張って本当だったんだ」
「まあね」
日下部はそう言い、まゆにウインクすると、部屋を後にした。日下部の部屋はスタンダードタイプでチェックインは通常の15時。まゆのプレミアムパレスは1時間早い14時にチェックインできるのだ。
日下部が出掛けてから、まゆは改めて部屋の中を見て回った。靴を脱いでくつろげる室内は、エントランス部分にテーブルと椅子が配置されていて、パークが一望できる。さらに1段上がった部分には、大きなソファと55インチテレビが設置されたリビングスペースがある。天井には魚をモチーフにしたオブジェが揺らめき、間接照明の光が反射して煌びやかな空間を演出している。さらにもう1段上がった部分にはゆったりサイズのダブルベッドが2台。天蓋風のドレープと間接照明の光で深海の宮殿をイメージしたベッドエリアになっている。バスルームにも32インチテレビ配置されていて、ジェットバスやオーバーヘッドシャワー、打たせ湯や肩湯など、疲れた体を癒すのには十分な設備が施されている。また、スチーマーナノケアなど、女性に嬉しいアメニティも充実していた。
まゆはエントランスの椅子に腰かけ窓下に見えるパークを眺めた。
「明日はここで日下部さんとデートなのね…」
パークの景色を眺めながら、自然と頬が緩んだ。
「さて、まだ少し時間があるわね」
まゆはその場で服を脱いで、バスルームへ向かった。
パーク内でも人気のある魔法使いの映画の世界を忠実に再現したエリアに日下部は来ていた。
「何とか間に合いました」
ショップの店員が日下部に告げた。
「よかった。彼女も喜んでくれると思います。ありがとうございました」
事前に頼んでおいたものを受け取ると、日下部は店員に礼を言ってショップを出た。そして、パークを後にすると、ホテルの自室にチェックインした。
シャワーを浴びて着替えたまゆはホテル内のショップを見て回っていた。パークのサポートホテルと言うだけあって、パークのオフィシャルショップには様々なグッズが販売されていた。せっかくここに来たのだから、まゆには是非購入したいと思っているグッズがあった。日下部とお揃いでそれを身につけて、明日、パークへ行けたら楽しいだろうなと思い、店員に尋ねてみた。
「魔法使いのローブはありますか?」
店員はにこやかに対応してくれたのだけれど、まゆの目当てのものは販売していなかった。
「人気商品なので、パーク内のショップでもおそらく品切れで入手するのは難しいかも知れません」
「そうですか…」
気を落としてショップを出たところに日下部から連絡が入った。
『まゆさん、今どちらですか?』
『あ、ホテルの中を見て回っているところで、1階のショップに行っていました』
『何か買われたんですか?』
『いえ、お目当てのもが無かったので』
『お目当てのもの?』
『いえ、なんでもないです。日下部さんはもうお仕事終わったんですか?』
ローブの件を日下部に話せば余計な気を遣わせてしまうと思い、まゆはそれを言うのを思い留まった。
『今、部屋に入ったところです。そろそろ、食事の時間なのでボクもこれから1階におります。もう少しそこで待っていて下さい』
日下部は間もなくやって来た。何やら両手に荷物を抱えている。パークのロゴが入った大きな紙袋だ。
「お待たせ。何か欲しいものでもあるんですか?」
やはり、そうだ。まゆはそう思った。まゆがショップに来ていたと聞いて日下部はすかさず聞いてきた。
「いえ、見ていただけです」
「欲しいものがあるなら…」
「大丈夫です。さあ、行きましょう。お腹すいちゃいました」
まゆは日下部の言葉を遮って歩き出した。
レストランは2階。日下部が名前を告げると案内係が席へ案内してくれた。
「日下部さま、シェフズセレクションでよろしかったですね」
日下部が頷く。
「では、ごゆっくり」
そう言って案内係は深く頭を下げてその場を後にした。
「シェフズセレクション?」
「そう、シェフのお任せコースみたいなものかな」
出された料理は日下部が言った通り、シェフが厳選した旬の食材を使った、二人だけのオリジナルコースだった。 どの料理も美味しくてワインも進む。最後にはまゆのためにバースデーケーキが用意されていた。
「うわぁ、素敵! でも、食べきれないなぁ…」
「じゃあ、あとで部屋に届けてもらおう」
そう言って日下部は案内係を呼んだ。
「かしこまりました。後程お部屋の方へお持ちします。プレミアムパレスの方でよろしいですか?」
「はい、そうして下さい」
案内係が下がると、日下部は持ってきた荷物の一つを手に取り、まゆに差し出した。
「誕生日のプレゼントだというわけではないんだけど、どうかなと思って」
「中を見てもいいですか?」
「どうぞ」
まゆはそっと紙袋の中を覗いて見た。そして、驚いた表情で日下部を見た。
「これ、どうしたんですか? さっき、ショップで品切れだって…。あっ!」
まゆは「しまった!」と思った。
「まゆさんのお目当てはやはりこれでしたか…」
日下部が安堵の表情を浮かべてにっこり笑った。
「こういうのに顔が利く知り合いが居てね」
そして、日下部ももう一つの紙袋から同じものを取り出した。それはまゆのものと色違いのローブだった。
まゆのものは主人公の魔法使いが所属するクラスのもので赤を基調にしたもの。日下部のものは違うクラスのもので黄色を基調にしたものだった。まゆが手にした主人公と同じ赤のローブは特に入所困難だと言われているものだった。紙袋の中にはローブだけではなくてマフラーやネクタイ、魔法使いの杖まで入っていた。
「すごーい! うれしい…。日下部さんありがとうございます」
喜ぶまゆの姿を見て日下部も満足そうに微笑んだ。
「そろそろ部屋に戻ろうか」
「はい」
レストランを後にしてエレベーターに乗ると日下部は“13”と“14”のボタンを押した。
「あの…。ちょっとお部屋に寄って下さい。後でケーキも届くことですし、一緒に食べましょう」
「いいんですか?」
「はい」
13階に泊まって開いたエレベーターのドアをまゆはさっと閉じた。
部屋に着くと、日下部は1段上がったリビングのソファに腰かけた。ソファの背中越しに置かれているベッドは敢えて意識しないようにした。
「もう少し飲めますか?」
まゆが日下部に尋ねると日下部が頷いたので、まゆは冷蔵庫からワインを取り出し、ワイングラスを二つ持ってきた。そこへ、ちょうど先ほどのケーキが運ばれてきた。二人はワイングラスを軽く合わせると改めて乾杯した。それから、パークのPRビデオを見ながら明日どこを回ろうかなどと話をしているうちに、そろそろ日付が変わろうとしていた。
「じゃあ、今日はこれくらいで」
そう言って日下部が席を立とうとすると、まゆが日下部の腕を掴んだ。
「もう少しだけ…」
「大丈夫? 明日は早いよ」
「もう少しだけ一緒に居て下さい」
かなりワインを飲んだので、まゆもそこそこには酔っていた。けれど、日下部を引きとめたのには理由があった。日付が変わる瞬間を日下部と一緒に迎えたいと思っていたのだ。そして、時計の針が垂直にぴたりと重なった。
「あっ! まゆさん、誕生日おめでとう」
「ありがとうございます。明日、楽しみです」
日付が変わって、2月26日。まゆの誕生日を迎えた。けれど、まゆはもう限界だった。日下部を見送ると、パウダールームでメイクを落とし、そのままベッドに倒れ込んだ。
日下部は1階のロビーに降り、喫煙室へ向かった。ワイシャツのポケットから煙草を取り出し、火をつけると、大きく息を吸い込んでから煙を吐き出した。
「まゆさんに喜んでもらえてよかった…」
口には出さなかったが心の中でそう呟いた。
翌朝、まゆは6:00に目が覚めた。実はほとんど寝ていなかった。部屋が広すぎて落ち着かなかった。それでも、瞼をこすりながらベッドから抜け出ると、パウダールームで鏡を見た。
「いやだ! 寝癖…」
その場で服を脱ぎ捨て、バスルームへ入った。ゆっくりと入浴し、気分がすっきりしたところで髪型を整え、ナチャラルに近い薄めのメイクを施した。
「どうだろう…。可愛いかな…」
そうやって鏡と睨めっこをしていると、リビングの方で電話が鳴った。
『おはよう。もう起きていましたか?』
日下部からだった。7:00に朝食へ行くために迎えに来るとのことだった。まゆはすぐに支度をして日下部が来るのを待った。時間ちょうどに日下部はやって来た。
朝食は昨夜と同じレストランでのバイキングだった。90種類のメニューは和食あり、洋食ありで選ぶのに迷うほどだった。まゆも日下部も和食中心のメニューを選んで席に着いた。
「8:30にここを出よう。待ち合わせはロビーでいいですか?」
「わかりました」
「それから、ローブを着て来て下さいね」
「えっ? ここから着て行くんですか?」
「そりゃそうですよ。向こうで着替えるのは面倒だし、余計な荷物を持ち込むことになるからね」
「でも、ホテルのチェックアウトは?」
「気にしなくてもいいですよ。二泊で取ってあるから。だから、今日は目いっぱいパークを楽しみましょう。それで、どうしても今日のうちに帰りたいのならボクが送ってあげますから」
「そうなんですか? でも、明日は普通に仕事なんですけど」
「朝早くに送ってあげますよ」
「日下部さん、お仕事は?」
「大阪出張は明日までだから」
それから二人はゆっくり朝食を楽しんで部屋に戻った。
日下部に言われた通りローブに着替えて部屋を出ると、エレベーターを待っている間に他の宿泊客にじろじろ見られ、恥ずかしくなった。けれど、エレベーターに乗ると、途中の階から同じようにローブを着た家族やカップルが同乗してきた。まゆはそれを見て安心した。
「見て! グリフィンドールよ。それも新作。いいなあ。私も欲しいなあ」
「品切れで買えないんだから仕方ないだろう」
そんな声が聞こえてきた。まゆのローブがいかに貴重なものなのかがうかがい知れる。少し得意げになったところでエレベーターはロビーのある1階へ到着した。まゆが辺りを見渡すと、ソファに座って新聞を読んでいる日下部が居た。日下部もローブを身に付けていた。まゆに気が付くと日下部は立ち上がった。
「良く似合っているよ」
日下部にそう言われてまゆは笑顔を浮かべた。
「日下部さんこそ、本当に魔法使いみたいです」
「じゃあ、これで飛んで行くかい?」
そう言ってソファの下から箒を取り出した。それは魔法使いの主人公が空中クリケットと言われる魔法の競技で愛用している箒だった。
「ニンバス2000じゃないですか!」
「もう一つあるよ」
そう言って箒をもう1本取り出した。
「うわあ! ファイアボルトまで」
「でも、今日は邪魔だから置いて行こうね」
月末の日曜日だというだけあってパークの入り口には既にかなりの人が開園を待って列を作っていた。そして、開園と同時に目当てのアトラクションへ走り出す。
「さて、最初はもちろん魔法の国だね」
「そうですけど、急いで整理券を取りにいかないと…」
まゆがそう言うと、日下部は魔法の杖を振って呪文を唱える。そして、ローブの下から何かを取り出した。
「うそ! それ、本物ですか?」
それは魔法使いの国へ入れる整理券だった。しかも、開園と同時に入場できるものだった。
「もちろんだよ。なかなかすごい魔法だろう?」
呆気にとられているまゆの手を取って、日下部はゆっくりと魔法の国へ向かった。最初に主人公たちが通う魔法学校になっているお城の見学ツアーに行き、それからいくつかのアトラクションを回ったところでお昼になった。
「さて、そろそろお昼にしようか」
昼食はエリアの中にある箒のレストランへ行った。かなり混み合っていたけれど、そこでも日下部は魔法を使った。案内係に何かを見せると、VIP席へ案内され、ローストビーフやフィッシュアンドチップスなどの料理が次々と運ばれてきた。そして、名物のバタービールも口にした。これを飲むときの定番よろしく口元にたっぷりの泡をつけて。
食事の後は魔法使いの住む村を歩きながら魔法の国の雰囲気を楽しんだ。
「他のエリアも見に行く?」
「はい、行きたいです」
そして、やって来たのは蜘蛛の遺伝子を取り込んだことによって特殊能力を手に入れたヒーローのアトラクション。4K3Dの迫力ある映像にまるで実際にそこへ放り込まれたような感覚を味わった。
それから、恐竜のテーマパークでのパニックを描いた映画のアトラクションではボートに乗って急流を落下するスリルも味わった。
さらに、人食いサメのアトラクションなども体験した。そして、閉演時間が迫って来た。
「さすがに、1日ではどんな魔法を使っても回りきれないね。どう? 楽しめた?」
「はい、おかげさまで。普通に来ていたら出来ないことがたくさん出来て忘れられない誕生日になりました」
「それはよかった。でも、誕生日はまだ終わっていないからね」
「はい」
まゆは満面の笑みを日下部に返した。
「じゃあ、ホテルに戻ろうか。今夜はディナーバイキングだけど」
「はい。それも楽しみです」
「では、お風呂に入ってゆっくりしてから20:30にレストランで待ち合わせしようか?」
「了解です!」
おちゃめに敬礼して見せるまゆを日下部はそっと抱き寄せ、頭をポンポンした。
先にレストランに来た日下部は席を確保してまゆを待った。まゆはすぐにやって来た。日下部はまゆに手を振って合図した。
「じゃあ、早速、料理を取りに行こう」
昨日から肉料理が多かったこともあり、この日の2人は海鮮を中心にチョイスした。ちょうど冬野菜と中国料理のフェアが開催されていたので、ズワイガニのボイルやふぐのタタキ中華ソース、フカヒレと白菜のゼリー寄せなど。そして最後に日下部が持ってきた料理を見てまゆは苦笑した。
「結局、それ、食べるんですね」
「うん、肉は大好物だから」
日下部はそう言うと、牛ロースのステーキにナイフを入れた。まゆはそれを眺めながらデザートの杏仁豆腐や2種のチョコレートファウンテン、自家製バームクーヘンなどに舌鼓を打った。
「もう、おなか一杯! 幸せ~」
満足気に両手をお腹において微笑むまゆを見て日下部も幸せな気分になった。
「ところで、どうする? 今夜、送って行った方がいいですか?」
「せっかくなので、もう一泊していきます」
食事を終えて、二人でエレベーターに乗った。日下部は“13”と“14”のボタンを押した。エレベーターが13階に到着すると、「じゃあ、あとはごゆっくり」そう言って日下部がエレベーターを降りた。すると、ドアが閉まる前にまゆもエレベーターを飛び下りた。
「まゆさん?」
「へへへ、日下部さんのお部屋はどんな部屋なのかな…って」
「普通のツインルームですよ」
「ちょっとだけ見せてもらっていいですか?」
「かまわないけど、襲っちゃうかもしれないよ」
「大丈夫ですよ。私の部屋でも何もしなかったじゃないですか」
「じゃあ、ちょっとだけですよ」
まゆが日下部の部屋に入ると、そこは本当に普通のツインルームだった。
「満足しましたか? 明日は早いですし…」
「ダメダメ! まだ21:40ですよ。お子様じゃないんだからまだ眠れませんよ」
「寝ないにしても、色々やる事はあるんじゃないですか?」
「あー! 日下部さん、私と一緒に居るのが嫌なの? もしかして、もう一つのベッドに誰か来るとか?」
「わかりました。じゃあ、ラウンジのバーでもう少しだけ付き合って頂けますか?」
バーはハーバービューでパークサイドのまゆの部屋とは違った雰囲気が漂っていた。そして、恐竜映画をモチーフに、いたるところに恐竜やそれに関するオブジェが配置されている。オリジナルカクテルも豊富で、この時間にはほとんどの客がカップルだった。
まゆはフェア開催中のゴディバ・ラテを、日下部はギネスをオーダーした。
「ここも素敵ですね」
「カップルばかりだね。それなのに、まゆさんのお相手がボクで申し訳ないなあ」
「何を言っているんですか! 私の方がおねだりしたんですよ。こんなこと、日下部さんにしか出来ませんから」
窓から見える港の夜景を眺めながら、まゆは日下部に体を預けた。
「本当に楽しかった…。ずっとこのままで居られたらどんなにいいか…」
「ボクもまゆさんと一緒に居られて楽しかったよ」
まゆは苺のカクテル、ベリースプリッツァーを、日下部は2杯目のウイスキーを飲んでいた。
「本当に魔法が使えたらいいのに」
「どうして?」
「いつでも日下部さんに会いに行けるもの」
「まゆさん、だいぶ酔ったみたいですね。そろそろ部屋に戻りましょうか」
「はい…。あの…。部屋が広すぎて落ち着かないの。私が寝付くまでそばに居てもらえませんか?」
日下部は少し考えてから微笑んだ。
部屋に戻ってベッドに入ったまゆは日下部の気配を感じながら目を閉じた。日下部がそばで見守っていてくれる。そう思うとなぜだかとても安心できた。実際には昨夜、ほとんど寝ていなかったことと今日一日パークを歩き回った疲れもあったかも知れない。目を閉じるとあっという間に深い眠りに落ちた。
まゆが静かな寝息をたてはじめると、日下部はベッドサイドに立ちまゆの寝顔を眺めた。
「まゆさん、本当に可愛いなあ…」
そして、そっとまゆの頬にキスをすると「おやすみ」とささやいて部屋を出た。
まゆは目ざまし時計のアラーム音で目を覚ました。
「日下部さん!」
辺りを見渡して我に返った。もしかしたら、日下部が隣のベッドで寝ているのではないかと期待した。けれど、そんなことがあるはずもない。
「そっか…。やっぱり、部屋に戻ったんだ…。
すっかり熟睡していた。まゆは急いで着替えると、焦って荷物をまとめた。部屋を出る際にパウダールームで鏡を見たら髪の寝癖がひどいことに気が付いた。
「もうー! いやだ」
けれど、時間がなかったのでそのままロビーへ降りて行った。ロビーでは既に日下部が待っていた。
「レンタカーを借りたから」
そう言って日下部はまゆを車に案内した。道中、車内の助手席でまゆは懸命に髪を整えようとしたけれど、無駄な抵抗だった。
「寝癖が気になるの? それ、可愛いのに」
日下部は車でまゆを自宅まで送ると、トランクから荷物を取り出した。
「誕生日の記念にこれをどうぞ」
それは昨日、パークへ出かける前に日下部が取りだした魔法使いの箒だった。
「いいんですか?」
「もちろん。何かあったらこれで飛んで来ればいいよ」
「でも、これで飛ぶと髪が…」
「それがまゆさんのチャームポイントだと思うよ。じゃあ、気を付けて」
そう言って日下部は車に乗り込んだ。
「日下部さんこそ。お仕事、頑張って下さいね。そして、気を付けてお帰り下さい」
まゆは手を振って日下部を見送った。
「さて、良くんを迎えに行かなきゃ」
まゆは荷物を部屋に運ぶと、鏡に映った自分に言った。
「このままでいっか」
そして、寝癖の付いた髪のまま、良くんを迎えに行った。
まゆさん、誕生日おめでとうございます。