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水の問題

 しゅっ、しゅっと蒸気をふきあげ、ムカデは斜面を登っていく。マリアの指し示した方向に従って進んでいくと、山越えのルートになるのだ。しかしまっすぐ山越えをするわけにはいかず、パックはムカデが登りやすいルートを探してゆっくりと進ませていた。

 高度が高くなっていくのを感じる。

 あたりの様子に、パックは故郷のロロ村の景色を思い出していた。ロロ村も山の中にあり、斜面にへばりつくようにして家々が立ち並んでいた。しかし、いまはひろびろとした草原が広がっているだけである。

 日差しが高くなり、気温が上がっていく。

 ほっとして、パックはそれまで着込んでいたコートを脱ぎ、丸めて座席の下へねじこんだ。

 どこかで雲雀が鳴いている。

 青空にぽかりと白い雲が浮かび、ゆっくりと流れていった。ムカデは快調に進んでいる。

 

 喉が渇いた。

 水筒をふると、ほとんど水が残っていない。栓を外し、さかさにするが数滴がたれて、あとは空になった。

 パックはムカデの計器を調べた。蒸気機関を動かすには水が必要だが、ムカデのタンクにもあまり残っていない。ここらですこし補給する必要がありそうだ。

「川がないかなあ……」

「地図を調べてはいかがでしょう」

 マリアの提案に、それもそうだとパックはムカデをとめ、物入れから地図を探して座席の上でひろげる。

 ドーデンの言った「ためらい山脈」が地図の真ん中をしめている。パックたちはそのふもとあたりに位置していた。

 川の位置を探すが、近くには無いようだ。あるいは細い流れくらいはあるのかもしれないが、この地図ではちいさすぎて載っていない可能性もある。

 しかし村の印を見つけた。

 村があるということは、水も近くにあるはずである。人間は水がないと生活できないからだ。

 すこし迷ったが、パックはその方向へ向かうことにした。ムカデが人目につくのは困るが、ムカデのタンクに水がないとこれからの旅を続けられない。

 パックはコンパスを調べ方位を見ると、村の方向へムカデを進めさせた。

 

 すこし進むと、草原に踏み分け道が出来ている。いよいよ人家が近い。人目を避けるため、パックはこんもりと盛り上がって見える森へムカデを乗り入れた。このあたりの森は、針葉樹がおもで、下生えの密生した照葉樹林とは違い、ムカデが楽に移動できる。

 森の中へ進んでいくと、思ったとおり水の気配がする。耳をすませると、かすかな水流の音が聞こえてくる。

 ちょろちょろとした細流にそって移動していくと、やがて湖に出た。

 ほっとパックは思わずため息をついた。

 じつに美しい湖だ。

 湖面には波ひとつなく、鏡のような水面には森と空がさかさになって映し出されている。水面を覗き込むと、水晶のように澄み切った水がかすかにゆれている。おそらく水底から水が湧き上がっているのだ。

 ムカデから降り、パックは水面にひざまづいた。両手を水の中に差し入れる。思わず声をあげそうなほど冷たい。両手ですくい、口に近づけた。

 

「飲まないほうが良いよ。死にたくなければ」

 口をつけようとした瞬間、声がしてパックはぎくりと凝固した。

 顔を上げると声をかけてきた人物が草むらに立ってパックの顔を見下ろしている。

 ちいさな女の子だ。年令は十才くらいか。日焼けした肌に、粗末なワンピースを身につけている。灰色にちかい茶色の瞳をして、真面目くさった顔つきでじっとパックを見つめている。片手に木の枝を持って、その先をパックに向けて指し示している。

 そろそろと身動きしてパックは立ち上がった。急に身体を動かそうとすれば、どこかへ逃げ出してしまうのではないか、と思ったのだ。

「なぜ飲まないほうがいいんだい?」

 しずかに尋ねる。

「毒が入っているんだ。水の中に、魚はいなかったろ?」

 言われてみればそうである。水の中を覗き込んでも、魚一匹見当たらない。

 毒か……。

 パックはため息をついた。

「ぼくはパック。きみは?」

 ファング……と少女は答えた。しばしふたりは見詰め合った。

「この近くに住んでいるのか?」

 うん、と彼女はうなずいた。

「毒が入っているって、どういうこと?」

 ファングは座り込んだ。パックはその側に近寄り、並んで座り込んだ。マリアはムカデに乗ったまま、じっと待ち続けている。

「水が湧き上がっているだろ? あの湧き水から毒が流れ込んでいる。山から……」

 と彼女は顔を上げた。うっそうと茂っている木々の間から見えるのは”ためらい山脈”である。そびえたつ山脈の山頂には白く輝く冠雪が認められる。

「あそこから、かい?」

 ファングはうなずく。

「山の地下水がここに湧いている。その湧き水に毒が入っているんだ」

 ぽつりと答えた。

「どうして? そんなことに」

 少女はパックを見上げた。その視線に一瞬、憎しみの色が浮かんだ。ムカデと、それに乗るマリアを見つめる。

「あんた”男爵”のところから来たの?」

「だれだい、そりゃ」

 ふん、とファングは立ち上がった。

「きっと男爵が毒を流しているに決まっているんだ! あいつのせいで、このあたりの水は飲めなくなった」

 叫んで走り出そうとする彼女の腕をパックは掴んだ。

「ちょっと待ってくれ! ぼくにはなにがなにやらさっぱり……男爵とはだれだ。それに、なぜぼくがその男爵の関係者だと思うんだ」

 ファングはパックの腕をふりはらった。

「死にたくなかったら、このあたりの水は飲まないこった!」

 言い残すと、彼女は走り去った。たちまちその姿は木の間に消えてしまう。

 すべてはあっという間の出来事だった。パックは、いまの少女が現実にいたのかさえ、疑わしくなっていた。

 

「どう思う? マリア。本当に毒が入っていると思うか」

 とり残され、パックはマリアに尋ねた。マリアはちょっと小首をかしげた。

「わたしには判りません。水はわたしには動力源になるだけですから」

 そうか、とパックは気付いた。そういえばムカデのタンクが残り少なくなっている。飲む水は別にしても、動力を動かすための水を補給するには使えるだろう。

 パックはマリアに命じて、ムカデから水補給ホースを水面にたらした。ポンプを動かし、タンクに水を補給する。いっぱいになると、蒸気を沸かしてムカデを動かし始めた。

 ぐるりとムカデの鼻先をまわして、さっきの少女が消えた方向へと向かう。

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