洞窟
兵士たちの追跡を逃れたパックと盗賊たちは、安全な岩山に逃げ込み、一息ついた。首領のドーデンによれば、ここは皇国政府にも知られていない場所だそうだ。岩山そのものをくりぬき、洞窟をひろげ生活できるようになっていて、そこにはドーデンのような盗賊とその家族が移り住んでいる。
洞窟の住処は意外と広く、通路が四通八通していて、パックは女子供の姿を認めていた。まさしくそこはひとつの町であった。洞窟の内部には煮炊きする生活の匂いがこもり、通路に面していくつもの住居用の洞窟がひろげられていた。それらの煙が外に漏れないよう、煮炊きの場所は洞窟のもっとも奥まった場所にあり、煙抜きの穴は何本にも枝分かれさせ薄められている。
案内されパックがマリアを従えて中へ入ると、彼女の姿に人々はやや怯えの表情をうかべた。
しかし好奇心をむきだしにしたのは子供たちだった。
小さな子供を中心に、わっとばかりにマリアの周囲に群がる。なかにはマリアの身体によじのぼろうとする子供もいた。
まったく抵抗をしないマリアに、親たちはやや安心したようだった。
洞窟の中で最大の空間は、盗賊たちの会議室のような役目を果たしているらしかった。そこにドーデンは兵士たちから奪った荷物を運び込んでいた。
荷物の中身は食料であった。各地から税として取り立てられた作物だということである。ドーデンたちがこれらの獲物に執着したのも、ここに住む家族を飢えさせないためなのだ。
「助かったぜ! お前は命の恩人だ」
上機嫌でドーデンはパックの肩をどすんと叩いた。パックはうかない顔だった。
「どうした? なに考えている」
ドーデンの問いに、パックは首をふった。
思わず戦いに参加し、さらにはかれらの逃亡を助けてしまった。ミリィを探さなければならないというのに、これではパック自身が犯罪者として追われることになる。
「そういや、まだお前の目的ってのを聞いていなかったな。なんではるばる南の帝国からやってきたかってことだが……」
パックはかれらに説明をはじめた。
そもそものきっかけとなったヘロヘロの出現から、ニコラ博士の”魔素”の発見。そしてミリィが行方不明になってからボーラン市のエイダの示唆によるミリィの捜索。
盗賊たちはパックの波乱万丈の冒険にじっと聞き入っていた。実際、それはかれらの想像をおおきくかけ離れた冒険といってよかった。
「そうか……そんなことがおきているのか」
ため息と共にドーデンはつぶやいた。
脇にいたジャギーがそういえば、というように口を開いた。
「噂だが聖都サイデーンで、不思議な一行が教皇さまのお命を狙ったということだぞ。ひとりは人間の女の子で、もうひとりは全身真っ黒な女。そしてもうひとりは肌がまっ黄色な奇妙な男だったそうだ」
「聖都? どこです、それは」
パックは勢い込んで尋ねた。ドーデンが答えた。
「教皇さまがいらっしゃる聖堂がある都のことだよ。ここから北西の方向にある」
パックは全員の前に地図をひろげた。
アンガスの町で買い求めたものである。北の大陸が描かれているが、その大部分は空白になっている。海岸線を帝国の調査船で探測した地図だが、肝心の内陸地帯は調査団が入ってなく、ほんの僅かの部分しか測量できなかったのだ。
「これは……」
ドーデンはつぶやいた。目を丸くしている。
「地図だよ」
不審げにパックは答えた。地図……と、ドーデンたちはおうむがえした。
「こんなものがあるとはなあ!」
うなる。
「あのう、あんたら地図を見たことないのかい?」
「地図くらいあるよ。しかし、こんなに精密なものは見たことない」
正直に感想をのべる。
「おれたちがいまいるのは、ここらへんだ」
ひとりが腕を伸ばし、指さした。
パックは地図を見てあきれた。ずいぶん移動したと思っていたが、地図で見るとほんのわずか、内陸に入り込んだだけである。
北の大陸はおおきいのだ。
「サイデーンの町はこのあたり……」
説明をうけると、聖都であるというサイデーンの町は、大陸のほぼ真ん中にあたる。そこまでの道のりを考え、パックはため息をついた。さらには聖都に行くには、山脈をいくつか越えなければならない。
思えばはるばるここまで来たものだ。
「それで、お前さん。その……ミリィという女の子を探す旅に出るつもりなのか」
ドーデンの問いかけに、パックは強くうなずいた。
それがどんなに遠い道のりであろうとも、絶対やり遂げてみせる!
パックはマリアをふり返った。
「マリア、ミリィたちがどのへんにいるか、わかるか?」
ええ、とマリアはうなずき、膝まづくとその真鍮の指先を地図に触れさせた。
指さしたのはサイデーンのあるところからほんのわずか、東よりの場所である。どうやらミリィらは移動したようだ。しかし東に移動したということは、パックに近づいていることでもある。その事実に、パックは希望を持った。
彼女たちが移動する反対側から近づくには、山脈を越えなければならない。パックは山脈を越える道はないかと一同に尋ねた。
「”ためらい山脈”を越えるんだとう!」
ドーデンたちはいっせいにやめろ、とパックをとめた。
「とても人間が越えられるような山脈じゃあ、ねえ! サイデーンを目指すなら、南か、北を大回りするしかねえよ」
ジャギーがそう言って分別臭く、首をふった。かれの言葉に、その場にいた全員がそうだ、そうだと相槌を打つ。
「そんなに険しいのかい」
パックの言葉にドーデンはうなずいた。
「険しいのなんのって、この山に”ためらい山脈”と名づけられているだけでも判るだろう? あそこじゃ一年中、吹雪いていて、道もないしな。サイデーンの都があそこにあるのも、あの山脈が自然の防壁になっているからだ。だけど、北と南の入り口には関所があって、兵士が見張っているからそこをどう抜けるかが問題だがな」
話を聞くうち、旅の前途に暗雲がたれこめてくるようである。パックは唇を噛みしめた。しかし行かねばならぬ……!
パックはマリアの顔を見上げた。
「でも、行かなきゃ……。ミリィを探すのは、おれの役目なんだ」
マリアは無言であるが、その目は「お供します」と言っているようであった。
翌日、パックは旅の用意を整えた。出発を前に、子供たちはマリアと別れなくてはならなくなって名残惜しそうだった。
ムカデの後ろにドーデンたちは荷車をつけてくれた。荷車にはいっぱいに薪が積まれている。ムカデの燃料にするためである。薪の山を見て、はたしてこれでどれほど距離をかせげるが、パックは不安だった。しかし石炭は北の大陸一帯では使用されておらず、燃料といえば薪しかない。
荷車にはほかに食料が詰め込まれた。長い旅に備え、固く焼きしめたビスケット、燻製の肉、乾燥させた果物などである。パックはその礼に、サンディからもらった装飾品を差し出したが、ドーデンたちはそれを断った。
「そんなもの貰ったところで、交換するところはないしな。それよりあんたが持っていたほうがいい。なにかのときに役立つだろう」「しかしそれじゃ貰いっぱなしだし……」
「気にすんな! 第一、あの戦いでおれたちに味方してくれたんじゃねえか!」
ドーデンはにやっと笑った。
「それより旅の無事を祈っているぜ!」
ありがとう、とパックは答えた。なんだか、胸がいっぱいになってしまう。
さようなら……と、子供たちがマリアに向けて手をふった。ためらいがちにマリアも手をふり返す。
パックが操縦桿を倒すと、ムカデはしゅっ、しゅっと蒸汽を吐き出しながら動き出した。
がらごろと音を立て、荷車がムカデに引かれていく。洞窟の奥深くから、ムカデは岩山の外へと出て行った。
早朝である。
立ち並ぶ岩山の間から、朝日が弱々しい光をふりまいていた。
緯度が高いせいか、日差しは長く影を引いていた。パックは岩山の洞窟をふり向いた。
洞窟の穴からは、盗賊たちの一家が勢ぞろいして顔を出している。みな手をちぎれそうにふっていた。パックもおおきく右手をあげふり返していた。
「マリア、ミリィのいるところを教えてくれ!」
パックの言葉にマリアはうなずき、腕を上げ指さした。
「この方向です」
うん、とパックは返事をしてムカデをそちらへと向けた。
旅のはじまりである。
ムカデに乗るパックを、岩山の影からひとりの人間が熱心に見詰めていた。
赤い僧服、ぎらぎらとした獣のような眼差し。
あの法務官であった。
ムカデが”ためらい山脈”のほうへ進んでいくのを確認して、法務官はするすると手足を這わせ、岩山を降りていった。ちらり、と岩山の洞窟を見る。外に顔を出していた盗賊たちは、いまは中に引っ込んで傍目には無人の荒野に見える。にやりと法務官は残酷な笑みを浮かべた。
あたりをうかがい、誰も見ていないことを確信すると、かれは地面に膝まづいた。
ふところから大事そうになにかの包みを取り出す。包みをほどくと、中からは一個の水晶玉が出てきた。包みを台座にして、法務官は水晶玉を地面に置いた。
その前で一心に祈り始める。
知らない人間がその姿を見れば、僧職者が熱心な神への祈りを捧げているのかと思うだろう。
ほどなく水晶球が輝き始めた。内部から赤い、血の色に似た光がはなちはじめる。
法務官の目が見開かれた。
「教皇さま……ハルマンさま……あなたのしもべでございます……緊急に報告しなければならないことがございまして……」
──報告せよ……
と、水晶玉からひとつの思念が法務官の脳裏に伝達された。その思念を受け取り、法務官は電流にうたれたように身を震わせた。
「奇妙な機械のムカデに乗った少年を見つけました。どうやら帝国からまいったようで……アンガスの町から報せがあった人物と同一人物らしく思えます。その証拠に、真鍮の身体を持った少女を伴っておりました」
──その目的は?
と、思念が問いかけをなした。法務官は残念そうに首をふった。
「判りませぬ……なにが目的か、帝国のスパイかと思いましたが、諜報員としてはあまりに未熟で、おのれを隠すということもいたしませぬ。第一あのような機械に乗っていては、目だって仕方ないではないでしょうか?」
──その少年の動向を逐一報告せよ……重要なことが隠されている可能性がある……。
はっ、と法務官は頭を下げた。顔を上げ、さらに報告を続ける。
「ところで各地に出没する盗賊ですが、いかがいたしましょうや? かれらの住処を見つけたところでございます」
──それはお前の領分ではない。いずれ折を見て盗賊どもは処分されるであろう。
水晶玉から流れ出す”教皇”からの思念に法務官は震え上がった。「処分」という言葉の裏にこもる殺戮への期待が、まるでにおってくるようでもあった。
それは邪悪であった。邪悪さにもいろいろ種類があるが、その邪悪さは純粋といっていいものだった。法務官はうっとりした表情を浮かべた。かれは恐怖の中に法悦を感じていたのである。
──報告を続けよ……。
思念はさった。水晶玉はもとの透明な姿を取り戻した。法務官はあわてて水晶玉を布に包みなおし、ふところにおさめた。
立ち上がり、駆け出す。その足取りは人間というより、ほかの生き物のようで、ひそとも足音をたてない。
岩山をとんとんとリズミカルに飛び回り、ムササビのように飛翔する。真っ赤な僧服がばたばたとはためき、翼をひろげた怪鳥のようであった。