衝動
はっ、と法務官はふり向いた。
目の前に、パックが操縦するムカデが迫ってくる。法務官の気がそれ、ジャギーは動けるようになって慌ててその場から逃げ出した。
法務官は棒立ちになったが、すぐに立ち直り、右手をムカデにかざした。
パックの手足が勝手に動き出す。法務官の力が、かれを捉えたのだ。
なんだ、これは?
パックは必死になって操縦装置を動かそうとするが、どうにもならない。アクセルを目一杯踏み込んだまま、ムカデは突進した。
あぶない! このままでは法務官を轢いてしまうぞ……。
その時パックは悟った。
法務官はパックを狙っているのではない。ムカデに向けて力を放射しているのだ。だがムカデは生き物ではない。ただの機械だ。それがかれには判らないのだ。
やめろ! このままじゃぶつかってしまうぞ!
どしゃばしゃと盛大な音を立て、ムカデは驀進した。
右手をかざし、念を送っている法務官の顔にはじめて焦りの表情が浮かんだ。
目を丸くし、おのれの力がおよばない相手が存在することを悟ったようだ。
あわてて逃げ出そうと、くるりと背を向ける。
はっ、とパックを縛り付けていた法務官の念力が解けた。あわててムカデの進路を変え、速度を落とす。
やっちまえ! と、ジャギーが叫んでいた。
「殺せ! そいつは村の吸血鬼だ!」
彼の顔には法務官に対する憎しみがあふれていた。
法務官は手近の岩場にたどりつき、するするとよじのぼる。とてもそんな身軽なことが出来るような身体つきではないが、まるでなにかの爬虫類のように手足を岩の面に貼り付け、驚くべき素早さで駆けのぼった。
岩場の頂上に立つと、パックをにらみつけた。
あかあかとした焚き火の照り返しにより、かれの顔はなにか人間以外の生き物のような変貌を遂げていた。
両目が黄色く光り、唇からしゅーっ、という音を立てる。
「小僧……お前の顔、覚えておこう……その機械のムカデもな!」
さっと身をひるがえすと、かれは岩場の向こうへ姿を消した。
パックはあっけにとられていた。
いったい、あの法務官というのは何者だ?
ばあん! という銃声と、火薬の臭いにパックはわれにかえった。
わあっ、という喚声と共に、ドーデンの一味と兵士たちが入り混じり戦っている。
戦いはドーデン側の不利であった。なによりかれらには銃というのがない。一方的におしまくられ、かれらは岩場の片隅に追いつめられていた。
ジャギーが叫んでいた。
「パック! 村長を助けてくれ……」
村長?
そうか、ドーデンのことだ。かれは以前、村長をしていたと言っていた……。
パックはムカデのアクセルを踏んだ。兵士たちの集団に突っ込む。
背後をふりかえった兵士たちは一様にぎょっとした表情になる。突っ込んでくるムカデに、目が点になった。
がんがんとムカデの外板に兵士たちの甲冑があたって音を立てた。兵士たちを跳ね飛ばし、ムカデは立ちすくんでいるドーデンの前にやってくると、兵士たちの銃口からかばうように横にとまった。
「はやく! 今のうちに!」
ありがてえ! と、ドーデンは返事をする。
「お前ら、逃げるぞ!」
おう! と部下たちが応じ、全員が荷車にとりついた。あの騒ぎの中で、獲物を積み込んでいたらしい。がらがらと騒音を立て、荷車が動き出す。ドーデンたちの執着に、パックはあきれた。命があぶないこの瀬戸際に、獲物をあきらめない態度はある意味、立派といっていい。
兵士たちが一斉に銃を発射しだした。しかし銃弾はかつかつという乾いた音を立て、ムカデの外板にあたってむなしく弾かれる。
パックはドーデンたちを守るようにしてムカデを走らせた。荷車の背後にムカデを置き、岩場を離れる。
顔を真っ赤にさせ、部下たちは荷車の梶棒にとりついて走り続ける。絶対、あきらめないつもりだ。
このままでは疲れて停まってしまうのはあきらかである。
一行が切り立った崖の隙間に入ったとき、パックの頭にひらめいたものがあった。
ぐい! と操縦桿のハンドルを引く。
ぐっとムカデの頭が持ち上がった。
がつ! がつ! と音を立て、ムカデの六対の足先が岩の面につきたてられた。
ほぼ垂直の岩面を、ムカデはよじ登っていく。これがムカデの能力なのだ。
兵士たちはあっけにとられ、棒立ちになった。
パックはムカデの蒸気機関の出力をいっぱいにあげた。
がばり! と、ムカデの口のところにある楔形の牙を開く。そして目の前の岩を掴み、六対の足をふんばった。
しゅしゅしゅしゅ……と、白い蒸気がムカデの全身からわきあがった。
ぐぐぐぐ……。
押していく。
やがて
岩はゆらりと傾きはじめる。
ぐらり、と岩は岩場から離れていった。ごん、どすんと音を立て、岩の塊は岩場をころげ落ちていった。
わあ! と兵士たちはいっせいに飛びのいた。
ごろん、ごろんと音を立て、岩の塊が崖の隙間を埋めてしまった。
道はとざされた。