逃走
ひさしぶりの投稿です! しばらくおやすみしていましたけど、また再開するつもりです。
聖堂内部の騒ぎは、外にも影響をあたえていた。
いかめしい顔をした衛兵が多数聖堂前に集結し、あわただしい人の出入りは、サイデーンの町の人間にもあからさまで、いったい何事かと噂しあった。
衛兵の隊長は焦っていた。
教皇じきじきの曲者を捕らえよという命令を受けたのにかかわらず、肝心の相手が地に潜ったか、天に駆け上ったか、さっぱり行方が判らないのである。
「どうだ、見かけたか?」
「いいえ、どこにもいません!」
部下の報告を受け、隊長はくそっ! と、拳をかためた。
赤い髪の少女、そして黒い肌のおなじとしごろの少女、異様な外見の男、それにふたりの修道士。これだけ目立つ一行なのに、まるで手がかりが消えてしまっている。
教皇の治療をおこなう魔法医師は、治療室で事切れていた。壁に真新しい血の跡があり、魔法医師の額は無残に割れている。おそらく曲者たちが殺害したに違いない。やつらの真の狙いはあきらかにハルマン教皇の暗殺である。となると、犯人はゴラン神聖皇国の仮想敵である、コラル帝国の人間という結論になる。
現在ゴラン皇国は戦備の拡大を行っている。きたるべきコラル帝国との戦いに備えてのことだ。あと数ヶ月もすれば皇国の軍備は帝国の戦力をうわまわるとの報告も受けている。
しかしこういうことがあったなら、戦機を逃すわけにはいかず、帝国への宣戦布告も早まる可能性がある。
現在皇国は、スリン共和国のバタン大統領との秘密攻守同盟を結んでいる。
情報によればスリン共和国の軍隊と、帝国の軍隊が遭遇戦を行い、共和国は手ひどい敗北をしたという。分析によると、帝国はその戦いで新兵器を投入したらしい。
隊長は決意を固めた。
こうなったら、帝国への宣戦布告の時期を早めなくてはならぬ。
「お前たちは引き続き帝国の暗殺者たちの捜索を続行せよ。わしは教皇様に至急面会する必要がある!」
はっ、と部下たちはきびきびとした敬礼をして走り出した。
かれらの捜索計画を話し合う声を背中に、隊長は聖堂内部へ急ぎ足で進んでいった。
「宣戦布告、とな?」
謁見の間で、教皇に化けている吸血鬼は顔をあげた。
かれを本物の教皇と信じている衛兵隊長はかつん、と踵を打ち合わせ背筋を伸ばした。
「はっ! 曲者はあきらかに帝国のスパイと考えられます。教皇様を暗殺に送り込んだ帝国の意図はわがほうの軍備の増強を察知し、その前にわが国の動揺を狙ったものと思われます。帝国にはあらたな新兵器の噂もあります。敵の軍備がととのうのを待って宣戦布告すれば、我が軍の不利になるでしょう。よろしく、ご考察たてまつりたく伏して願います」
ふむ……、と教皇はうなずいた。ふっと横を向く。
表情には邪悪な笑みが浮かんでいるのだが、衛兵隊長にはわからない。
教皇は顔をもどした。
「よろしい……許可する! 衛兵隊、そして神聖騎士団、すべての兵士を招集せよ! 予備役も含めて、総力戦を覚悟せよ!」
隊長は感激していた。
「有難うございます! わが兵士らは最後の一兵まで帝国を打倒するまで戦うでありましょう!」
くるりと回れ右をして、引き下がろうとする隊長に教皇は声をかけた。
「待て! この戦いはわが皇国の重要な戦いとなる。異例ではあるが、最前線にこの教皇がじきじきに親政するであろうと部下たちには伝えよ!」
「教皇様が……そ、それは……」
「いかんか? ん?」
「い、いえ……! 教皇様みずからお出ましになれば、部下たちは感激するでありましょう。わが国の必勝、間違いなしであります!」
隊長の目はうるんでいた。さっと回れ右をして、謁見の間をあとにする。
誰もいなくなるのを確認して、教皇の唇の両端がくいっ、と持ち上がり、悪魔の笑みを浮かべた。
「くくくく……戦争か……! 結構、結構! 戦いで多くの血が流される。その血はわしの飢えを満たしてくれるだろう……。ここしばらくは、腹を減らさないでいられるというものだ」
かれはいつまでも笑い続けていた。
もはや、あの小娘どものことなどどうでもよくなっていた。
しん、と静まりかえった通路を、ミリィたちは進んでいた。通路は暗く、狭く、そして床にはぬるぬるする苔がびっしりと生えているため、足を速めるわけにはいかない。うっかり急ぎ足になれば、苔に足を取られひっくり返りそうになる。しかし通路には人影がなく、またその気配もなかった。長年、使用されていない通路らしい。
「噂では聞いたことがあった。聖堂の地下には秘密の通路があるということだったが、本当のことだったのだな」
ホーバンはひそひそとささやいた。
その必要はないはずなのだが、つい小声になってしまう。
先頭にはミリィとケイがふたり歩いている。ミリィの目の前には”案内棒”が浮きながら道を指し示し、ケイは魔法の明かりを灯し、行く手を照らしている。
”案内棒”はミリィを導き、この通路を探り当てていた。兵士たちの追跡を逃れるとき、”案内棒”は壁を示すだけでいっこうにほかの方向を示そうとはしなかった。それを見てホーバンが”案内棒”の矢印の先を探ると、かすかな突起を見つけていた。その突起を押すと、壁がぐるりと回転し、この通路を見つけたというわけである。
あぶないところだった。
ミリィたちがこの隠し通路に入って、壁を元通りにしたその瞬間、兵士たちがもとの通路を駆け抜けていたのである。もうすこし遅ければ、発見されているところだった。
「この道はどこへ通じているの?」
ミリィの質問にホーバンは首をかしげた。
「さあ……噂だけしか知らんから、どこへ通じるかは……」
「頼りないわねえ」
ケイの言葉に、ホーバンは苦笑した。
彼女はすっかり元気を取り戻していた。まったくエルフの娘というのはタフである。
「水の音が聞こえるな」
ヘロヘロがつぶやいた。
え、とミリィは立ち止まった。
みな足を止め、耳を澄ませる。
「本当だわ……水の音よ!」
ケイがささやく。
ミリィにも聞こえていた。
前方から、かすかな水音が聞こえてくる。
ふたたび歩き出す。
もう、はっきりと聞こえてくる。
ぴちゃぴちゃ……
ぴちゃぴちゃ……
水音が通路の中で反響し、ケイの灯火で壁に波紋が踊っていた。
「見ろ、船だ……!」
ワフーが指さした。
通路の先には地下の桟橋が広がり、暗い水面に一艘の船が浮かんでいる。桟橋に船はもやいを結び付けられている。船はちいさく、五人が乗り込めばいっぱいである。
「櫂もあるな。多分、非常のときこの船を使って脱出するために用意してあるのだろう」
「それがあたしたちに役立ったってわけね!」
ケイがうきうきと叫んだ。
ヘロヘロはうなずいた。
「まったくだ、これで逃げ道ができたというわけだ」
ミリィたちは船に乗り込んだ。
ホーバンは顔を上げた。
ワフーだけ、桟橋で突っ立ったまま、乗り込む気配をしめさない。
「どうしたワフー。乗らないのか?」
「うむ、わしはここに残るよ」
ホーバンは眉を上げた。
「どうしてだ? ここで逃げんと……」
ワフーは首をふった。
「わしは逃げるわけにはいかん! ハルマン教皇様があのような化け物に乗っ取られていることを知って、どうして逃げることができようか……。わしはあの化け物の正体をあばき、欺かれているわが国の人間を救いたいのじゃ!」
「お前になにができるっていうんだ? 相手は魔物だぞ」
わかっている……と、ワフーは肩をおとした。
ぐっと顔を上げ、拳をかためる。
「しかしこれはわしの義務じゃ! わかってくれ……」
「そうか、それならおれも残ろう」
ホーバンの言葉にワフーはさらに首をはげしくふった。
「いかん! お前は、彼女たちを守ってコラル帝国へ連れ戻してやってくれ……。これはお前だけしかできん仕事じゃ。第一、どうやって彼女たちがこの国を通過できるか、お前の助けなしでは無理じゃよ。わしらを助けてくれた彼女たちをこんどは我らが助ける番じゃ。だからお前はミリィたちと一緒にここを脱出するのじゃ」
ホーバンはため息をついた。
「わかった……そうまで言われては、断るわけにはいかんな。お前がどうあの魔物の化けの皮をはがせるか、見当もつかないが、お前にまかせよう」
「判ってくれたか」
ワフーは晴れ晴れとした笑みを浮かべた。
うん、とうなずきホーバンは船のもやいを解いた。
ざばり、と櫂が水面をかき、船が桟橋を離れる。
桟橋でワフーは手を振りながら離れていく。
「気をつけるんだぞ──」
ホーバンの声に、ワフーは何度もうなずき手を振り続けていた。
船が視界から消えて、ようやくワフーはもとの道を辿り始めた。
目指すは聖堂である。
なんとしてもあの吸血鬼の正体をあばく決心だった。
ざばり、ざばりと櫂が水面をかく。
櫂を持つのはホーバンとヘロヘロだ。こんなちから仕事、とヘロヘロはぶつぶつ文句を言ったが、ミリィに睨まれて黙ってしまった。
くそ、なんでおれがこんなことを……。
ヘロヘロは不平たらたらだった。
あのエルフの館から旅に出て、いいことはなにもなかった。
幻をあやつる公爵の館ではあやうく絵画に閉じ込められるところだったし、このサイデーンの町でも同様だった。あの”案内棒”に導かれてからというもの、あやうい場面ばかりに遭遇していた。
はっ、とヘロヘロは顔をあげた。
もしかしたら”案内棒”はわざとおれたちに危険な場所を示しているのかもしれない。
だとすればいったいなぜ?
「もっとちからをこめて漕ぐんだ」
となりに座るホーバンが叱った。
あわててヘロヘロは櫂を握る手にちからをこめる。
さらにヘロヘロは考えをめぐらせる。
そういえばあの「吸血鬼」。あいつは魔法が消えうせた世界で”魂”だけの存在になって生き延びたと言っていたな。そして魔法が蘇って、その魔法のちからを利用して教皇に乗り移ったと……。
「そうか、そういうことか!」
ヘロヘロは大声をあげていた。
前方にすわるケイがびくっと背筋を伸ばし、ふりむいた。
「な、なによいきなり驚かさないでよ」
「いったい、なにがそういうことなの?」
ミリィの声にヘロヘロは肩をすくめた。
「おれの魔法のちからがなぜ失われてしまったか、考えていたんだ」
「それでわかったの?」
「そうだ。あの吸血鬼の言葉ではっきりと判ったんだ」
「どういうこと?」
「あいつは”魂”だけの存在になって生き延びた、と言っていたな」
「ええ」
「”魂”とはなんだ? やつの記憶、魔法、特性、すべてが肉体から離れた状態だ。おなじことがおれにもおきたに違いない」
「?」
「封魔の剣が折れ、おれが千年ぶりに外に出ることができたとき、魔法のちからがおれの身体から離れてしまったのかもしれない。魂から魔法のちからだけが分離してしまったんだ」
ミリィは目を瞠っていた。
「じゃ、いまは……」
「もしかしたらどこかの人間におれの魔法のちからが乗り移っているのかもしれないな。おれの魔王としての”魂”とともに……」
全員、ヘロヘロの言葉に凝然となっていた。