魔法医師
ケイと別れたミリィたちの前にあらわれた人物とは。
泣き叫ぶケイと引き離され、ミリィはワフー、ヘロヘロとともに地下の牢屋へと連行されてしまった。
牢屋に放り込まれたミリィは、冷たい扉を何度もたたき、ケイに会わせてと叫んだ。
「ケイ! ケイ!」
ミリィの声は石の壁にむなしく吸い込まれるだけだった。
叫ぶことに疲れ、ミリィはちからなく床にぺたんと尻を落とした。
「ああ、うるさかった。狭いんだから、あまり喚かないでもらいたいな」
ヘロヘロは平然とそんなことをつぶやく。
その冷淡さに、ミリィは怒りにふるえた。
「なんてこと言うの! 教皇はケイの血をぬくつもりなのよ」
ワフーは顔を上げた。
「まさかそんなこと、教皇さまがあの娘の血をぬくなど……」
「考えられないというの? それじゃ教皇があの場で言ったこと、ほかに考えられる?」
ミリィの言葉にワフーは黙り込んだ。
「ねえ、ヘロヘロ。教皇はケイの血を抜いてどうするつもりなの?」
ヘロヘロは肩をすくめた。
「わからん、エルフの血が何の役に立つのかさっぱりだよ」
「血の交換をするつもりなのじゃ……」
ワフーはつぶやいた。
えっ、とミリィとヘロヘロはワフーを見つめた。
ワフーは青ざめた顔をあげ、言葉を重ねた。
「血の交換じゃ! 教皇さまの血と、エルフの娘の血を入れ替えるつもりなんじゃ」
ミリィはワフーに近寄り、その胸倉をつかんだ。
「どういうことよっ! なぜ、そんなことあなたが知っているの?」
いやいやをするように、ワフーは首をふった。
「教皇さまは年寄りじゃ。百才ちかくの年をとり、その生命は身体から脱け出ようとしておる。そんなおり、教皇さま付きの魔法医師のひとりがある方法を編み出した。その魔法医師は生命のみなもとが血液にあると考え、若い僧侶の血を抜き取り、それを教皇さまに移し変えた。するとなんたること! 教皇さまの生命が蘇ったのじゃ! 一時ではあるが、教皇さまは若返り、元気になられた……しかしその方法も一時しのぎにすぎなかった。一月もたたぬうち、ふたたび教皇さまは老衰の徴候を見せたのじゃ。そのたびに魔法医師たちは若い志願者から血を抜き取り、教皇さまの老いた身体に注ぎいれておる」
ヘロヘロは興味津々といった様子で尋ねた。
「志願者はどうなったのだ? そしてそんな秘密を、なぜお前が知っているのだ」
ワフーは顔を手でおおい、肩をふるわせた。
「志願者は血を抜き取られたあと、死んだ。教皇への忠誠をはたすため、かれらはただのひとりも死を恐れなかった。魔法医師は、かれらの死を犠牲に教皇さまの命を永らえるという仕事を続けた。その魔法医師のひとりは、わしの兄じゃ。兄はこの仕事をつづけることに良心の呵責を感じ、わしにすべてを話して自殺してしもうた……」
ヘロヘロは眉を上げた。
「ほほお、面白い。そんなことが可能だとは思っても見なかった」
そう言うと顎をなでている。そんなヘロヘロを見てミリィはかっとなった。
「なにが面白いのよ! ケイがその魔法医師とやらに血を抜き取られるかもしれないのよ。こうしてはいられないわ……なんとかここから脱出しないと」
「ふむ、ここから脱出するというのは、おれも賛成だな。こんな薄暗いところにいつまでも閉じ込められたら、こっちがおかしくなる。しかしどうやって? なにか、ミリィには考えがあるのか」
まともに問いかけられ、ミリィは黙った。そんな考えあるはずはない。いらいらとミリィは牢屋のなかを歩き回った。焦燥感だけがこみあげる。
どうしよう、こうしている間にも、ケイは……。
そのとき、牢屋のドアをことことと叩く音に全員はっとなった。
「そこにワフーはいるか? おい、ワフー答えてくれ……」
かすかなためらいがちのかすれ声に、ワフーはぐいと顔を上げた。
「その声はホーバンか?」
かたん、と牢屋のドアの覗き窓が開いた。そこから、ワフーと同年齢くらいの老人の目がのぞいた。
「やはりワフーだったのだな? そうだ、わしだ。ホーバンだよ! 顔を見せてくれ」
よろよろとワフーは立ち上がり、ドアの覗き窓に顔を近づけた。
覗き窓からワフーの顔を確認したホーバンと名乗った老人はすこししりぞく。ついでがちゃがちゃという音がして、いきなりドアが開いた。
「ホーバン!」
叫びかけるワフーに向かい、しっ、とホーバンは指を一本唇にあてた。
「声が高い! だれかに聞かれたらどうする?」
かれはワフーとおなじような粗末なローブをまとっていた。がっしりとした四角い顎をした、背の高い老人だった。太い眉とローブからのぞいた腕はごつごつと筋肉質で、どことなく聖職者というよりは兵士という印象が強い。ミリィのもの問いたげな表情に、ワフーは説明した。
「かれはわしとおなじ僧院で学んだ学友なんじゃ。もうひとりおったのじゃが……とにかく、よく訪ねてくれた。もう、一生会えんと思っておったわい」
ホーバンはにやりと笑った。
「おかしな三人組と、年老いた僧侶が聖堂に連れて行かれたというニュースを聞いてな、もしやと思ったのさ。わしはこっそり物影から覗いてみると、なんと昔懐かしいワフーがおるじゃないか。それでわしは牢番にたらふく酒を飲ませ、寝込んでいるすきに鍵を失敬したというわけだよ。それよりいったい、なにがあったんだ? その額の刻印は奴隷のものだな」
ワフーは額をおさえた。額の火傷は癒えたが、傷跡は醜く残っている。
「神聖冒涜の罪に問われたのさ。例の神秘の書に疑義を申し立てたとされてな」
「神秘の書……」
ホーバンは眉をしかめた。
「あんなまがいもの書物のためわれわれ苦労させられる。あんなもの、書くんでなかった」
その言葉をミリィは聞きとがめた。どういうことだろう。しかしそれを聞くことは控えた。それよりもっと知りたいことがあるからだ。
一歩牢屋に入り込んだホーバンは、ヘロヘロを見てちょっとぎくりとなったようだったが、顔には出さずささやいた。
「いまなら牢番も眠っている。抜け出すならこの時しかないぞ。どうする? 逃げ出すならわしが手伝うが」
おろおろとワフーはホーバンの顔を見て、そしてミリィたちをふり返った。ヘロヘロは肩をすくめた。
「考えることはないだろう? ここに一生いるつもりか?」
「しかし……しかし……」
ホーバンはいらいらし始めた。
「なにをしているんだ! 時間がないんだ。奴隷の生活がいいならそれもいいだろう。だが、おれはお前がそんな境遇になるのは我慢ならん。そこのふたりはワフーのよしみで一緒に来てもよしとしよう。しかしワフーしだいということには変わらない」
ワフーはふたたびミリィとヘロヘロをふり返った。ミリィは祈るようにワフーを見つめた。
その視線をみとめ、ワフーはうなずいた。
「わかった、お前さんに世話になるよ」
「よし、それならすぐにここを出るんだ!」
ホーバンはきびきびとした声で命じた。なんとなく、他人に命令することに慣れているような口ぶりだった。
ミリィは手を挙げた。
「どこへ行くのよ? あたし、親友のケイを助けるまでどこにも行かない!」
じろりとホーバンはワフーを見つめた。
「どういうことだ?」
「じつは……」
ワフーはケイのことを語った。それを聞くホーバンの顔が赤く染まった。その表情に怒りが刻まれている。
「まだそんなことをしておるのか! よし、その娘はなんとしても助けなければ! もう、教皇の愚かしいあがきで、若い命が絶たれるのは沢山だ!」
ホーバンは手招きして一同を外へ出した。
あたりを見回し、かれはドアを閉めると元通り鍵をかけた。
「こっちだ!」
そろそろと足音をしのばせ、歩き出す。
通路を歩くと、いびきが聞こえてくる。
曲がった先に、ひとりの牢番が壁にもたれ、酒瓶を胸元にかかえ眠り込んでいた。
ホーバンは手に持った鍵束を牢番の腰にもどした。
「これでよし。さあ、次だ! 魔法医師がその娘の血を抜き取るつもりなら、教皇の私室へ行かなければ。しかし教皇の私室とはどこにある? わしは最下級の僧侶にすぎん。聖堂の中は不案内じゃぞ」
「それならまかせて」
ミリィは物入れから”案内棒”を取り出した。
「ケイの居場所に案内しなさい」
ひょい、と放り投げると案内棒は空中に浮かび、ふらふらとさ迷った。やがて矢印のさきが一方を指し、空中へ留まった。ミリィが歩き出すと、案内棒は先導するように空中に浮かんだまま滑っていく。ミリィはにっこりと笑った。
「この”案内棒”についていけばいいのよ」
ホーバンとワフーはあっけにとられたようだったが、何も言わずミリィの後に続いた。
空中を漂う”案内棒”は通路が分かれているところでひょい、と一方に動き、ミリィが追いつくとすい、と滑ってつぎの分岐路へと案内する。歩きながらミリィはワフーに話しかけた。
「いったい魔法医師とはなんなの?」
ミリィの問いかけにワフーはささやき返した。
「この国には古い書物が残されているのじゃ。あまりに古いので、書かれている文字も判読できないくらいだが、それでも読み取れるところはところどころある。それには古い時代の魔法の呪文や、効果について書かれているのじゃ。魔法医師はそのうち生命の秘法について学んだ学者で、教皇さまのお命を永らえさせるため研究を続けておる。血の交換の秘法も、そのうちのひとつなんじゃ」
ホーバンはつぶやいた。
「おぞましい秘法だ……教皇ひとりのために、若い命が犠牲にされている。こんなことはやめさせなくてはならん」
「この国はどこかおかしいわ! どうしてそんなに、みんな教皇とやらを恐れるのか、あたしにはわからないわ」
ワフーとホーバンは顔を見合わせた。なにか言いたそうだったが、だまりこみ無言で通路を進む。ミリィは自分が悪いこと言ったのかと気まずくなった。
案内棒にみちびかれ、一同は聖堂の通路をどんどん進んでいった。途中、だれにも出会わなかった。案内棒は、ひと気のない通路を選んでいるのかもしれなかった。歩くミリィは、聖堂の広さにあらためて驚いていた。
石造りの通路の壁にはところどころ松明が置かれ、あたりをほの明るく照らしている。松明に使われているのは獣脂らしく、脂が燃える匂いがミリィの鼻をうった。
いったいいまが昼間なのか、夜なのか、聖堂をさ迷ううちさっぱりわからなくなる。なにしろ窓というのがひとつもなく、松明の明かりだけがたよりである。分かれ道にくると”案内棒”はちょっと空中でとまり、すぐにあたらしい方向を指し示してくれる。
ミリィの鼻が生臭い匂いをとらえていた。
「なに、この匂い?」
ミリィはその匂いに眉をしかめた。いがらっぽく、ねばりつくようなその匂いは、奇妙に不快感をともなっていた。
「血の匂いだ……」
ヘロヘロがつぶやく。その言葉にミリィはぎょっとなった。
気がつくと足もとがぬるぬるとしている。視線を落としたミリィは総毛だった。
にちゃにちゃとした黒っぽい粘液が石の床にひろがっている。ヘロヘロを見ると、かれはうなずいた。
「そうだ、これは血だ。まだ乾いてはいないな。流されて半日くらいだろう」
「ケイ!」
叫んだミリィにヘロヘロは首をふった。
「いいや、まだそんな時間がたってはいない。ほかの人間の血だろう」
あたりを見わたしたミリィの背中にぞわぞわとした寒気がはしる。
床といわず、壁といわずあらゆるところに飛び散った血がくろぐろとこびりつき、層をなしている。乾いた血の跡は、てらてらとした光沢を見せ、そうとうに大量の血が流されていることをしめしていた。
ふとミリィは耳をすませた。
聞こえる。
かすかなすすり泣きの声。
ほそく、高い声。どうやら泣いているのは女のようだ。
かすかだが、石造りの壁に反響してはっきりと聞こえてくる。
ケイの名前を叫ぼうとするミリィの口を、ホーバンが背後から手をまわして塞いだ。
「馬鹿! 大声をだすつもりか?」
ミリィの耳もとにささやいた。切迫したその声の調子に、ミリィは口をふさがれたまま必死にうなずいてみせた。判った、という合図だ。ふっと肩の力をぬき、ホーバンはミリィの口から手をはなした。
「行ってみよう、音をたてるなよ!」
腰をかがめ、足音をしのばせ歩く。ミリィもまた足音をたえないようついていく。
このあたりは松明の明かりもなく、あたりは真の闇といってよかった。
足先を床におろすと、足の裏ににちゃりとした粘液がこびりついてくる。その正体を知っているミリィは、こみあげてくる吐き気と必死に戦っていた。注意しないと、つるりと滑りそうである。
さらに進むと通路は奇妙な変化を見せはじめた。いままではかっちりとした平面で構成されていたのが、うねうねとなにか生物の内臓のような不規則な形になってきたのである。さらに床や天井、壁から植物の根のようなものが行く手をふさぎ、ひどく歩きづらい。
やがて前方にほのかな明かりが見えてきた。
通路は奥で右手にまがり、むこうにやや広がった空間がある。
壁に身体をすりつけるようにしてミリィはホーバンとともにのぞきこんだ。
ぎしぎしぎし……。
なにかをこすり付けているような音が聞こえてくる。
背中をかがめ、灰色のローブを身にまとったひとりの人物が、なにか真剣に作業を続けていた。その動きから砥石でなにかを研いでいるらしい。ほそい、金属製の管を手に持ち、そのさきを砥石でとがらせている。
たびたび作業の手をとめ、その人物は金属の管の先端をためすがめす点検している。顔をあげるとき表情が明かりに照らされる。つるりと禿げ上がった頭に、髑髏に皮がはりついているといったやせ細った男だった。ぎょろりとむき出された両目はどこか執念深いひかりをたたえていた。これが魔法医師なのか。
ようやく得心が行ったのか、かれはにやりと歯を剥き出して笑った。笑うとますます髑髏に似てくる。
医師のむこうに手足を縛られたひとりの娘がぐったりとなっている。
ケイだ!
飛び出そうとするミリィを、ホーバンとワフーは抑えた。
「落ち着け!」
ホーバンはミリィの耳もとでささやいた。
ケイを見つめるミリィの目に涙があふれた。
気配を感じたのか、魔法医師はぎくりと動きをとめた。
そのまましばらくあたりを探っている。
ミリィたちもまた動きをとめ、息を殺していた。
と、ミリィたちの来た方向から数人の足音が近づいてきた。ミリィたちは通路に複雑に絡まっている根にもぐりこんだ。これなら簡単に見つかることもない。
通路の奥からは松明の揺らめきが近づいてくる。
姿を現したのは、数人の衛士の担ぐ輿に乗った教皇その人であった。教皇をみとめたワフーの身体に震えがはしる。輿に乗った教皇はぐったりとやや横座りの格好になって運ばれている。衛士が手にかかげる松明のあかりで、教皇の横顔が不気味に照らされていた。
近づく教皇に、あわてて魔法医師は膝まづき両手を組み合わせ拝礼する。教皇はちょっとうなずいた。
衛士が輿をおろし、教皇は衛士の肩にすがって立ち上がった。
ぎろりと目を剥いて縛られているケイを見つめる。
「用意はできているか?」
教皇のつぶやきが室内に響いた。医師は頭を下げた。
「できております。すぐにでも血液の交換にとりかかれましょう」
そうか、と教皇はうなずいた。手を挙げ合図をすると衛士たちは最敬礼をして部屋を出て行った。部屋には教皇と魔法医師ふたりが取り残された。医師は教皇の手を取り、ケイの隣りにある寝台に横たえさせた。天井を仰いで横たわる教皇は目を閉じた。
医師は厳粛な表情になって教皇とケイの間にさまざまな器具を置き、儀式の準備をはじめた。
さまざまな管、陶器の壷、壁には魔方陣のような奇妙な文様を描かれたタペストリー。血液の交換という作業にかかわらず、ひどく原始的な準備である。医師はタペストリーに向かい、複雑な手つきと呪文を唱え始めた。その声に反応して、あかりがまたたき、タペストリーの魔方陣が鈍くひかりはじめた。そのひかりはゆらゆらと離れていき、なにかの生き物のようにうねり、教皇におおいかぶさった。その瞬間、教皇はかすかにうめく。
ふたたびケイがすすり泣いた。その声に、魔法医師はひょいとそちらを向き、また歯をむき出した笑いを見せた。ひょこひょこと歩くと器具を手にし、ケイに近づき話しかける。
「そんなに泣くでない。な、お前はこれから教皇さまにその血をささげるという名誉な役目につくのだぞ」
ケイはいやいやをする。医師はにったりと笑いながらケイの顎を指でつまんだ。
「それにしても見事な肌の色をしておる。黒檀のように真っ黒で、艶があって……」
顔をすりつける魔法医師に、ミリィはもう我慢ができなくなった。
ホーバンの手をふりほどくと、彼女は猛然と走って室内に飛び込んだ。
「やめなさいよっ!」
ミリィの叫びに医師はあわててふりかえった。
「ミリィ!」
ケイが叫んだ。
迫るミリィを見て、かれの顎ががくりと下がった。怒りをみなぎらせ、ミリィは医師に掴みかかった。その手が首筋にかかり、医師はぐえっと悲鳴をあげた。ミリィの腕にちからがはいると、かれの目が飛び出んばかりに見開かれる。怒りにまかせ、ミリィはぐいぐいと医師の首をしめあげ、ふりまわした。
「や、やめてくれ! し、死んでしまう……!」
悲鳴をあげる魔法医師をミリィは突き飛ばすようにして手を離した。医師はげほげほと咳き込み、その目にうっすらと涙がにじんだ。
ホーバンとワフーが乗り込んできて、医師はぼうぜんと顔を上げていた。ヘロヘロは悠然と部屋へ踏み込んだ。ケイのいましめを、ワフーは解いてやった。彼女は膝をおり、座り込みそれまで縛られた手首に血行を戻すためさすった。そんなケイにミリィは声をかけた。
「ケイ、気分はどう?」
「有難う……疲れているけど、大丈夫」
「そう、よかった!」
ミリィの顔がやわらんだ。そしてぐっとばかりに魔法医師をにらみつけた。その手に握られている金属の管に目を留める。
ミリィは医師の手から金属の管を取り上げた。
「これは何? 何のためなの!」
魔法医師はおろおろと狼狽をかくせない。
「教皇さまにこの娘の血を移し変える器具じゃ! か、返せっ! お前たち、衛士に見つかれば死刑じゃぞ!」
「そんなこと、させるもんですか!」
叫んでミリィは横たわっている教皇を見た。
教皇はしずかに横たわったまま、何を考えているのかこの騒ぎにぴくりとも動かない。
その目が開かれた。ゆっくりと首を動かし、ミリィを見上げる。
唇がめくりあがり、微笑した。
その微笑に、ミリィはなぜかぞっとなった。
「こんなところまで潜り込んで、なにをしようというのだ。帝国の娘よ」
教皇の声はうつろに響き、ミリィの耳朶をうった。ミリィは必死の思いでその声に抵抗していた。教皇はじっとミリィを見つめている。その目は奇妙なひかりをたたえていた。その目に見つめられると、なんだか全身の力が抜けていくようである。
かれの上半身がもちあがる。片手を寝台につき、やや上目がちにミリィを見つめるその瞳は怪しくひかっていた。
教皇の口が開き、言葉をつむぎだす。
「お前たち……わしの命令に従うのだ……わしこそ永遠の支配者……すべてを統べる統括者……わしの命令は絶対なのだ……」
ワフーがかくんと膝をおり、座り込んだ。お許しください、お許しくださいと両手をあわせ教皇を拝んでいる。ホーバンはぐっと全身にちからをこめ、教皇の目の光に耐えていた。ケイはぽかんと口をあけ、見つめている。
そのなか、ヘロヘロだけが皮肉そうな笑みを口の端にうかべていた。
「子供だましだな。そんな催眠、おれにはきかんぞ」
ヘロヘロの声はひやりとするほど冷静で、ぼうっとなっているミリィの意識にナイフのように切り込んだ。
ミリィははっとなった。
怒りが彼女の行動を大胆にさせる。
「なにが命令にしたがえ、よ!」
叫ぶとずかずかと教皇に近づき、粗末なローブをぐっとつかむと胸倉をつかんだ。
教皇の顔に驚愕がひろがった。
うつろな表情でいたホーバンは目が覚めたような表情になるとローブのなかから一振りの短刀を取り出した。その短刀を教皇に見せつけ、つぶやく。
「こうなったら教皇を人質にするしかないな」
教皇は恐怖の表情を見せた。