治癒のちから
投獄された三人は裁判にかけられ、ヘロヘロは意外な一面を見せることに。
「出ろ! お前たちの裁判がはじまる」
いきなり扉が開き、数名の男が冷たい声音でミリィたちに宣告した。全身こい灰色のローブをまとい、手には分厚い書物を掲げている。男たちの背後には、衛士が油断なく武器を構えている。灰色の男たちの姿を見たワフーは恐怖の表情を浮かべた。がくがくと震えながら、寝床から立ち上がる。
牢屋から出たミリィたちを衛士たちが隙も無くとりまいた。
「ワフーさん、この人たちは何?」
話しかけたミリィにワフーは青い顔をむけた。
「法務官どのじゃ! わしらの罪をお裁きになられるのだ……」
「そうだ、さっさと歩かないか!」
法務官は顎をあげ、ミリィたちをうながした。
ヘロヘロには特に厳重に衛士たちがとりまき、武器を向けている。じろりとヘロヘロが睨むと、はっとばかりに緊張がはしる。ぴりぴりとした空気がみなぎっていた。
まわりをひしひしと固められ、ミリィたちは牢獄の通路を歩き、階段をあがった。
連れて行かれたのはあの大広間だった。
長い机に、枢機卿ほか法務官がずらりと居並び、ミリィたちは衛士たちにうながされ広間の中心に立たされた。
ワフーは恐怖のため、顔色は紙のように真っ白になっている。がくがくとその膝がこまかく震えていた。
なにがそんなに怖ろしいのだろうとミリィは思った。なんだか裁判と言う茶番を見せられているような気になってくるから不思議だ。
全員がそろうと、法務官のひとりがすっくと立ち上がり、羊皮紙の巻物を広げ、朗々とした声で読み上げた。
「まずはワフーの罪を裁く! ワフーは民を導く聖職者の務めを忘れ、あろうことか”神秘の書”について疑いの罪を犯した。これは第一級の不敬罪にあたる。当裁判所では、かれに死刑を求刑するものである!」
死刑の声に、ワフーはがくりと膝をおった。
それを見てほかの法務官が声をあげた。
「死刑はどうだろう? 罪一等を減じてはどうか」
その言葉にワフーは顔をあげた。表情に希望がもどっている。
最初に読み上げた法務官はうなずいた。
「それはわたしも考えていました。しかし不敬罪は重罪です。まずは死刑の求刑が適当と考えました。罪一等を減じるのはやぶさかではございませんが、まずは正式な罪名を確定すべきでしょう」
ここで枢機卿が口を挟んだ。
「ワフーのことはもうよい! 聖職者といっても、末端にすぎん。罪一等を減じ、奴隷の身分にすればいいではないか。それよりそこの三人のことだ!」
はっ、と法務官たちは枢機卿に頭を下げた。ワフー老人はほっとため息をついた。
枢機卿は槌をとりだし、とんと音を立てたたいた。
「判決はくだった! その者を連れ出し、奴隷の焼印をつけろ!」
老人の両腕を衛士がつかまえ、引っ立てていく。
焼印?
ミリィはその言葉を聞きとがめた。
焼印って、何?
ずるずると引っ張られたワフー老人は広間の外へ連れ出される。その姿が窓越しに見えた。老人は建物の広場に座らされた。広場には陶器の壷に火が燃え盛っていて、鉄の棒がつっこまれていた。衛士はその棒を取り出した。先は真っ赤に焼けている。
ワフーの両肩をほかの衛士が力任せに押さえつけている。
鉄棒をもった衛士が、その先をワフーの額に押しつけるのをミリィとケイは見た。
じゅうう……。
厭な音とともにワフーの額から煙があがる。
ぎゃあああ!
老人は悲鳴をあげ、身体が痙攣した。
がく、とかれは気絶し仰向けにころがった。その額に十字の印が焼き付けられていた。
ミリィは胸が悪くなった。
吐きそう……!
ふん、と枢機卿は鼻を鳴らした。
じろり、とミリィを見る。
「そこの娘、名前はなんといったかな?」
枢機卿の背後に控えていた従者がひそひそとささやいた。
「枢機卿様、そこの娘、名前はミリィと申すようです。出身地はまだ聞いておりませんが、言葉の様子から見てコラル帝国出身者に間違いありません」
枢機卿の眉が持ち上がる。
「コラル帝国! するとこやつらは帝国のスパイと言うことになるぞ」
「断定はまだ早いと思われますが、もしやということも……」
うむ、と枢機卿はうなずいた。法務官のひとりが身を乗り出しささやいた。
「枢機卿殿。問題はあまりに重大でございますぞ。もしもこやつらが帝国のスパイとなると、背後関係を吐かせる必要がございましょう。この城には適当な拷問のための設備がありませぬ。やはり首都に送って、正式な尋問官に任せるべきでございましょう」
ミリィとケイは目を見合わせた。ケイは青い顔になって口を開いた。
「拷問されるの、あたしたち?」
わからない、とミリィは首をふった。
「まさかと思うけど」
窓の外を見る。ワフー老人はぐったりとなって、その両腕を衛士たちがひっぱりずるずると引きずっていく。引きずられるとき、老人はかすかにうめいていた。
ミリィはきっと枢機卿をにらんだ。
「ちょっと!」
彼女の声は広間に意外なほどひびいた。
枢機卿はぎくりとなって、つぎにその顔が真赤になった。
ミリィは一歩、前へ進み出た。
「あたしたちをどうするつもりなの? 返答しだいではただじゃおかないわよ!」
むむむ……! と、枢機卿は怒りの表情になった。
「無礼者! 許しがないのに勝手に発言するとは」
「なにが無礼よ! いきなり逮捕して牢屋に入れられたのよ。冗談じゃないわ。すぐ、あたしたちを自由にしなさい。それにワフーさんにあんなひどいことをして……焼印を押すなんて可愛そうだとは思わないの?」
ぽんぽんとミリィの舌鋒は切り込んでいく。ばん、と法務官のひとりが机を叩き、立ち上がった。
「うるさいっ! 黙らんか! この娘の口をふさげ!」
法務官の命令で、衛士たちがわっとばかりにミリィに殺到した。手足をおさえつけられ、喚こうとした口もとを衛士たちの手がふさぐ。ケイはそれを見て、衛士にむしゃぶりついた。
「あんたたち……離しなさいよっ!」
衛士はものも言わずにケイの手をねじりあげた。
痛みに、ケイはきゃあっと悲鳴をあげた。しかし大人しくしているケイではなかった。捻りあげられた肩を支点に足を振り上げると、踵が衛士の顔を襲う。わっ、とばかりに衛士は思わずその手を離す。そのケイを抑えようとほかの衛士が襲いかかる。
ミリィもまたしゃにむに暴れ、押さえ込まれた手から逃れようとしている。
広間は大騒ぎになっていた。
たちつくす法務官、怒りの表情を浮かべている枢機卿。
そのなかで、ヘロヘロひとり黙ってそれを見ていた。その視線は冷ややかといってよく、むしろわれ関せずというたたずまいであった。
大立ち回りを演じたミリィとケイであったが、多勢に無勢完全に押さえ込まれ、ふたりとも床にうつぶせにさせられていた。ふたりとも、すっかりぐったりとなっている。
ミリィはヘロヘロを見上げ声をかけた。
「あんた、ヘロヘロ……なにか言ったらどうなの?」
ぐずり、とヘロヘロは薄く笑った。
「おれになにを言って欲しいのだ? おれはなにもできないよ。お前たちがどうなろうと、おれには関係ない」
まあ、とミリィは口を開けた。
枢機卿は怒鳴った。
「この者どもを、首都サイデーンに連れて行け! そこで尋問することにする!」
三人は衛士たちによって外の広場に連れ出された。
そこには後部が檻になっている馬車が停まっている。ミリィたちはその檻にあらあらしく押し込まれた。がちゃり、と檻の扉が閉まり、鍵がかけられた。
ミリィとケイは檻の鉄棒に手をかけ、あたりを眺めた。
広場にはミリィたちの押し込められた檻つきの馬車のほかに、枢機卿や法務官たちが乗り込む豪華な馬車が停まっている。兵士たちが声を掛け合い、馬車の用意をしている。枢機卿たちが衛士たちに守られ、つぎつぎと馬車に乗り込んだ。出発の準備をしているようだ。
ぴしり、と場所の外で鞭が鳴らされる音がして馬のいななく声が聞こえ、ごっとんと音を立て馬車は動き出した。
ごろごろと車輪が路面をかみ、キャラバンが出発を開始した。
ううむ……、と背後でうめく声がして、ミリィはふりかえった。
見ると、あのワフー老人が檻の奥に横になっているところだった。
ミリィは揺れる檻のなかを這うように近づいた。
老人の額に痛々しく火傷の跡がある。肌がやけ爛れ、腫れ上がっていた。
「お爺さん、ワフーさん……大丈夫?」
ミリィの声にワフーは薄く目を開けた。
「あんたか……ここはどこだ?」
「馬車の中。なんでも首都へあたしたちを連れて行くんだって」
なんじゃと、とワフーは起き上がった。
ずきん、と額が痛むのかうめきつつ手で押さえた。
「なんとか命は助かったようじゃな……やれやれ、この年で奴隷に落ちぶれるとは、なさけないことじゃわい」
じろり、とミリィの顔を見つめる。
「あんた、さっきわしらが首都へ連れて行かれると言ったな? サイデーンに行くのか」
「そのようね。サイデーンというのが、首都の名前なの?」
「そうじゃ。ハルマン教皇の住まう聖なる都じゃよ。ということは、わしもそこへ行くことになるのか」
「ハルマン教皇? だれなのそれ」
ワフーは呆れたような顔になった。
「お前さん、そんなことも知らんのか! なるほど、たしかにあんたはよそ者じゃ。よろしい、教えよう。ハルマン教皇は、わがゴラン神聖皇国の象徴じゃ。わしをふくめ、すべての聖職者を統括する重要な役目を負っておられる。教皇殿は神秘のちからをもち、永遠の命を持つといわれておるのじゃ」
ハルマン教皇のことを語るワフー老人は、なにか怖ろしいものを語っているようで、声はひくくなり表情には畏敬の色がうかんでいた。
その話しにヘロヘロがなぜか興味を持った。
「神秘のちから? それはなんだ」
ワフーはヘロヘロの顔を見た。
「教皇殿は神のちからを得たのじゃという噂じゃ。指先から電光を発し、その目はすべてを見通す。なんのささえもなく空中に浮き、逆らうものは即座の死をたまわう」
ミリィとケイは顔を見合わせた。どこかで聞いたような話ではないか?
ヘロヘロの目は見開かれた。
「ほほお、それは面白いな。まるでおれが魔王でいたころのちからのようではないか」
「魔王? なんじゃ、それは?」
ヘロヘロは肩をすくめた。
「なんでもない。忘れてくれ」
そう言うとくるりと背を向け、馬車の外に目を向けた。
馬車は街道を走っているのか、道の両側にひろびろと草原がひろがり、丘陵のむこうに遠く山脈が見えている。夕暮れが近く、空はおどろくほど真っ赤にそまり、オレンジ色の雲には金色の残照が映えていた。
ミリィたちを乗せた馬車は三日三晩走りとおした。途中、食事とトイレのほかはミリィたちは馬車の檻に閉じ込められたままで、馬車の揺れに彼女たちは疲労困憊していた。
旅の疲れからか、あるいは額に刻印された焼印の傷がもとであるのか、ワフー老人はひどい熱で寝込んでいた。
体中びっしりと汗をかき、ときどきうわごとを口走った。
「ああ……神秘の書は間違いじゃ! あれはわしらがでっちあげた……まさかあんなことになるとは……ウラヌス……ホーバン……約束……燃える、からだが燃える!」
老人の手をにぎったケイは首をふった。
「すごい熱……死んでしまうかもしれないわ」
ミリィは立ち上がり、進行方向にある馬車の覗き穴に顔を近づけた。
覗き穴からは馬車の御者台が見えている。御者台のむこうには、枢機卿と法務官が乗り込んだ馬車の列がながながと前方にのびている。御者は無表情に馬を御していた。
「ねえ、ちょっと!」
ミリィは声をかけた。
御者はその声にちょっと顔をねじむけた。
丸顔で、顎鬚をのばした四十代なかばの男である。
「なんだ」
「ワフーさんが病気なの。お医者を呼んで頂戴」
くすり、と御者は笑った。
「死ぬなら勝手に死ねばいい。死んでくれれば、いい厄介払いとなるんじゃないのか? 第一、あいつは不敬罪で告発されたんだぞ。死刑にならなかっただけで儲けものだよ。いいから放っておけ」
そういい捨てると、前を見た。それきり、ミリィが何度声をかけても頑なに黙ったままでいる。そのうちうるさくなったのか、かれは馬車の覗き穴を外から閉め切り、鍵をかけてしまった。ミリィが爪をかけようとどうしようと、もう覗き穴を開くことは出来なくなった。
ミリィはケイをふりかえった。
「どうしよう、薬もないし……このままじゃ、本当に死んでしまうかもしれない」
ケイも首をふった。
「あたしだって! ああ……”治癒”の魔法を身につけていれば……」
そこまで口にして、彼女は目をまるくした。
ヘロヘロを見つめる。視線を感じ、ヘロヘロはケイを見た。
ケイは立ち上がり、ヘロヘロに詰め寄った。
「ねえ、あんた。もしかして”治癒”の魔法を身につけているんじゃない?」
ヘロヘロは驚きの色を見せた。
「おれが? そりゃ身につけているが……」
「そのちから、ワフーさんに使って! そして救ってあげて!」
「なにい?」
ヘロヘロはあっけにとられた。
「おれがなぜ、こんな見ず知らずの爺いのためにそんなことしてやらなければならない? お断りだ」
そう言うとぷいと横を向いた。
ミリィはヘロヘロの側に駈け寄った。
「ヘロヘロ、あたしからも頼むわ。ね、ワフーさんを治してあげて」
うるさい、とヘロヘロは怒鳴った。
「御者のおやじの言ったとおりだ。生きようと死のうと、おれには係わりのないことだ。いいから勝手に死なせてやれ」
その言葉にミリィはかーっ、となった。
だん、と床を踏みしめヘロヘロの胸倉をつかむ。
「何言ってるのよ! いいから”治癒”の魔法をつかうのよ!」
ヘロヘロは目を白黒させた。ミリィの必死な様子にたじたじとなる。
ミリィはぐっとヘロヘロをにらんだ。歯を食いしばり、一言一言押し出すように言葉を出していく。
「いいわね、ワフーさんを助けなさい! これは命令よ!」
かく、とヘロヘロは顎をひいた。そのままなにかに操られるようにワフーの側へ歩いていく。すとん、と腰をおろすと両手をのばし、老人の額にかざす。
ヘロヘロは目を閉じた。
ぶつぶつと口の中でなにかつぶやいている。
その両手の手の平からぼんやりと光がともっていた。
その光はじわじわとひろがり、老人の額から全身をおおった。
老人の苦しそうな息が楽になり、その胸がおおきく波だった。
ふうー、とワフーの口から息が吐き出された。
汗が引き、表情は穏やかなものになった。
「熱がさがったわ」
ほっとため息をつき、ケイは宣言した。
ヘロヘロはじぶんの両手を見つめていた。
おれは他人を救った。
”治癒”の魔法で。
なぜだ?
なぜおれが他人の命を救うなど、らしくないことをしたのだ。
ミリィに命令されたからだ。
なぜ彼女の命令におれは従うのだ?
ゆっくりとワフーの瞳が開いていく。
覗きこんでいるミリィ、ケイ、ヘロヘロの顔を見つめていく。
「わしは? どうなったのだ?」
起き上がろうとして、めまいがしたのかふらりと倒れこもうとするのを、あわててケイがささえてやる。
「病気だったのよ。でも、もう大丈夫。”治癒”の魔法がきいたから」
「”治癒”の魔法?」
ワフーは口の中でつぶやいた。
そしておおきく目を見開いた。
「だれがわしに”治癒”の魔法をほどこしてくれたのかね?」
ミリィとケイはヘロヘロを見た。
そうか、とワフーはうなずいた。
「ありがとう。あんたは気味が悪い外見をしているが、じつは聖なるちからを持つ素晴らしい人物なのじゃな。ずっと勘違いしていて、すまんじゃった」
ヘロヘロの顔が見る見る真赤になっていく。
「おれは知らん! ふん、だれが人助けなんか……」
いらいらしたように立ち上がると、檻のほうへ行き、外を見つめた。
ごとごとと馬車は動いていく。檻からは道の風景が遠ざかっていく。旅を続ける間、馬車はふたたび人家が密集する地域にさしかかっていた。ぽつり、ぽつりと道の両側には農家や、それに付随した小屋が点在するようになり、人によって耕された畑が続くようになっていた。
ヘロヘロはずっと外を見つめ続けた。
かたん、と音がして馬車の覗き窓が開いた。
御者がその窓から覗きこんでいる。
「なんだ、爺いは助かったのか」
あんたねえ、とミリィは御者に詰め寄った。
そのミリィに御者はまた声をかけた。
「サイデーンの町が見えるぞ。見るか?」
え、とミリィは覗き窓の顔を押し付けた。
前方に、はるかに町が広がっている。
サイデーンの町だ。
ゴラン神聖皇国の首都である。