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エイラ

王宮を飛び出したサンディの行方を追うため、フーシェ内務大臣はある計画をたてるのだった。

 会議室でなにか考え込んでいた内務大臣は決意したように立ち上がった。

 ドアを開けると、廊下には近衛兵が待っている。

 かれらにうなずくと、大臣は宮殿の奥深くへ向かって歩き出した。近衛兵たちが大臣を守るようにすぐまわりを固め、一緒に歩き出す。めざすは皇帝陛下の執務室である。

 執務室に入ると、すぐ皇帝へ面会を申し入れる。大臣じかじかの申し入れである。すぐ通された。

 大臣の報告を受けた皇帝はぽかんと口を開けた。

「サンドラが家出? どういうことかな」

 コラル帝国皇帝グレゴリオ四世は、議会から上程された書類の向こうで眉をひそめた。

 肖像画の姿とはだいぶ差がある。

 背が高く、堂々とした体躯の肖像にくらべ、目の前の皇帝はどちらかというと、痩せてやや猫背の姿勢をした、どこにでもいるような老人にすぎない。がっしりとした顎と、鋭い目の光をたたえた肖像の面影はなく、品の良い優しげな顔つきをしている。共通しているのは、年のわりには艶の良い頬と、きちんと切りそろえた顎鬚くらいのものか。

 皇帝の机にはうず高く書類の山が積まれ、その横には帝国の玉璽が置かれていた。皇帝の一日の執務というのは、議会から上程された法案の書類に目を通し、承認の印璽を行うことのみである。皇帝には議会への拒否権はなく、たんなる承認機関として機能しているだけであった。

 ”君臨すれど統治せず”が、コラル帝国皇帝の常態である。

 フーシェ内務大臣は詳しく事件のあらましを語った。それを聞く皇帝は、なんの感情もあらわさず、ふむふむとうなずくのみであった。

「それで内密の捜査というわけか」

「さようでございます。もしこれが帝国以外の同盟国、いや同盟国に知れるのはまだよいとして、共和国の残党に知れましたら……」

 わかっとる、というような仕草を皇帝はした。

「そうだな。それは危険だ。もしプリンセスが共和主義者の手に落ちたとしたら、どのような脅迫の種につかわれるか……。いや、それでもプリンセスが無事戻ればよい。最悪の場合……」

 皇帝は暗澹とした目つきになった。大臣もそれに同意した。

「ですから、内密にしなければなりません。幸い、これを知っているのはごく数人に限られております。警察長官は秘密警察を動かし、捜査に当たっております」

 皇帝は顔を上げた。

「しかし今のままプリンセスが戻らないとすると、遅かれ早かれ不在は判ってしまう。なにか対策はあるか?」

 内務大臣は頭を下げた。

「ひとつ腹案がございます。プリンセスのお姿は、国民に知られてはいないのでございましょう?」

「ああ、十五才になるまで、皇族の子弟は表に出ることはあまりない。皇太子はべつだが、サンドラは継承順位確か……」

「十六位でございます」

「そうだったな。そのような順位では、国民の関心も薄い。それで、なにをしようというのかね」

 大臣の目がきらめいた。

「替え玉をしたてるのでございます。プリンセスがお戻りになられるまで、不在を隠すためでございます」

 皇帝の目が驚きに見開かれた。

「なんと! そんなことうまく行くと思っておるのか?」

「勝算はございます。これは事件の詳しい報告を聞いてからわたしの頭にともった考えでございますが、うまくいくと思われます。つきましては……」

 大臣は皇帝の側により、耳打ちをした。

 それを聞いている皇帝の顔がやや和らいだものになった。

「なるほど……良い考えかもしれん」

 それでは早速手配いたします、と大臣は皇帝の執務室をあとにした。

 

 ノックの音に、エイラはびくりと顔を上げた。

 彼女の返事もまたずドアが開かれ、タビア女史が姿を現した。背後に近衛隊長を従えている。

「エイラ、すぐわたしとともに宮殿へまいるのです」

 質問はあとだ、といわんばかりにタビア女史はエイラを立たせ、部屋を出て行った。訳がわからぬまま、エイラは女史の後について廊下に出る。近衛隊長の鋭い視線に、エイラは身をすくませた。

 急ぎ足のふたりに小柄なエイラはほとんど駆け足になった。なんどか質問しようとしたのだが、女史の厳しい顔つきにあきらめた。

 やがて通路はエイラの知らない区画に入り込んだ。いままで宮殿の、こんな奥深くへ入り込んだことはなく、エイラはますます怖ろしくなっていった。

 ここは謁見室へ通じる通路ではないかしら……。そう思っていると、通路にはいままで見たことのないほどの衛兵が武器をかまえ、数メートルおきに立っている。

 厳重な警戒の雰囲気に、エイラの足は遅くなっていく。

 はやくなさい、と女史は何度もしかりつけた。

 やがて通路は行き止まりになり、ドアの前にエイラは見知った顔を認めた。

 フーシェ内務大臣であった。

 エイラの顔を見た大臣は、こっちこっちというように手招きをした。

 彼女の背中を抱きかかえんばかりに大臣は部屋へ招き入れる。

 なにがなんだか判らないうち、エイラは部屋の中に入っていた。

 そう大きな部屋ではない。真正面におおきな窓を背にした机があり、その椅子にひとりの老人が座っていた。

 老人は優しげな目つきでエイラを見た。

 その顔をしげしげと見たエイラは、ふいにその顔が会議室にかけられた皇帝の肖像画と似ていることに気づいた。いや、似ているどころではない。本人である。

 エイラは気が遠くなった。

 皇帝は椅子から立ち上がり、机を回ってエイラの前へと歩み寄ってきた。

 彼女の顔を眺め、大臣を見る。

「これが、その娘かね?」

 さようでございます、と大臣は頭をさげた。

 ふむ、そうか……と皇帝はうなずいた。

 上体を折り曲げ、顔をエイラに近づける。

「エイラ、というんだな。お前」

 はい……と答える。皇帝は手を伸ばし、エイラの頭をなでた。

「エイラとは仲良くしておったのじゃろう? ん?」

「は……はい……! プリンセスはいつもわたしにお優しくしてくださいました」

 そうか、と皇帝は眉をさげた。頬に皺がきざまれ、笑顔になる。

「あれのことについては知っているだろう。しょうしょう跳ねっかえりではあるが……。あれは母親似でな。あれの母親も同じような性格をしておった。しかし頭は悪くはない。むしろ賢い、といっていい。だからわしはあれが王宮を飛び出したとしても、そう心配はしておらん」

 意外な皇帝の言葉に、エイラは目を丸くした。

「だが心配なことはある。あれが外を飛び回っておることが帝国を快く思っておらん連中に知られることだ。わかるな?」

 エイラは何度もうなずいた。

「そうだ、したがってサンドラを探すことも秘密にしておかなければならんのだ。その間、彼女の不在を誰にも知られないようにしなくてはならない」

 皇帝の話がどこへ向かっているのか、エイラにはさっぱり見当がつかなかった。

「そこでだ、お前……エイラというのじゃな。お前にサンドラの身代わりを勤めてもらいたいのじゃよ」

「わ、わたくしが……?」

 となりで内務大臣がうなずいた。

「そうだ。お前ならレディ・サンドラと同い年であるし、背格好も似ている。遠目には、じゅうぶん身代わりで通る。頼む! うんと言って欲しい」

 エイラの瞳は救いを求めるように部屋の中をさまよった。

 タビア女史の厳しい顔、内務大臣の必死な表情、皇帝の優しげな顔にうかぶやや心配げな顔に、エイラはうつむいた。

 ひと時の沈黙の後、ようやくエイラは顔をあげた。

「はい……わかりました」


 エイラが承知して、怒涛のごとく物事は進んだ。エイラは急流に漂う木の葉のように運ばれるだけだった。

 宮廷付きのメーク係が呼ばれ、エイラの髪の毛を金髪に染めさせられた。やや青白いエイラの顔色に、頬紅が施され生き生きとした肌色に変えさせられた。そしてサンディの服を着せられたエイラの姿に、タビア女史はすこし首をかしげた。

「問題は目の色でございますね。レディ・サンドラの目はブルーでございましたが、この娘の目は茶色です。どういたしましょう」

 大臣はちょっと思案したが、なにか考え付いたのか、指を立てた。

「レディ・サンドラは近視ではなかったかな?」

 大臣の言葉に女史は眉を吊り上げた。

「そんなこと! いいえ、レディ・サンドラは近視ではございませんでした。視力は並みの娘よりよいくらいでしたわ」

「だが、そういうことにすればなんとかなるんだが……」

「大臣閣下、いったいなにを仰りたいのですか?」

「こういうことだ」

 大臣はそう言うと、ポケットから一組の眼鏡を取り出した。ふとい黒ぶちの、ややクラシックなデザインである。レンズは入っていない、伊達めがねであった。

 それをエイラにかけさせる。

 大臣はにんまりと笑った。

「どうだね、眼鏡をかけると、ひとはその人の目の色が茶色か、青かなんてことはあまり気にしなくなる。眼鏡をかけた娘、という印象だけが先に来るもんだ。これなら遠目でなら、なんとかなるさ」

「その眼鏡、いつも持ち歩いているのでございますか?」

 その言葉に、大臣は悪戯っぽい表情を浮かべた。

「そうさ。わたしはちょくちょくこの手で変装をして、新聞記者をまいているんだ。ほかにも靴のなかに小石をいれたりする。そんなことで姿勢が変わり、歩き方も変わるもんだ。ま、心理的な変装というわけだ」

 まあ、と女史が口を開けた。

 さて、と大臣は背を伸ばした。

「これで宮廷内はごまかせるとして、問題はレディ・サンドラの行方だ。なあ、エイラ。きみはレディ・サンドラと一番の親友だ。なにか、彼女から聞いてはいないかね。王宮の外へ出て、なにか見たいとか、あるいは行きたい場所について……」

 エイラは思い出しつつ答える。

「そういえば、先だってボーラン市にサーカス団がやってきたとき、とても見たいと仰っていたようです。あの日は一日中、サンディ……レディ・サンドラは落ち着かなくて」

 それまで黙ってかれらのやりとりを聞いていた皇帝はうなずいた。

「そうだろうな。あれの母親もにぎやかなことには目がなかった。しかしこの時期、サーカス団などボーラン市には来ていないから、そこで探すのは無理だろうな」

 大臣は首をふった。

「いいえ、そんなことはございません。それならサーカス団を呼べば良いのでございます。サーカス団に限らず、巡回のカーニバル、遊園地、そういったものは数限りなくございます。それらを招待すれば、レディ・サンドラの気を引くに充分でしょう」

 皇帝の顔が晴れやかなものになった。

「なるほど。むやみやたらと探し回るより、ずっと確かであろう。フーシェよ、そちに命ずる。その……サーカスであったかな? とにかく、サンドラが引き寄せられるようなものならなんでもよい、すぐに手配いたせ!」

 ははあ……、と大臣が叩頭する。

 エイラはそんなんで大丈夫かしらと、心配になった。

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