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プリンセスの憂鬱

帝国の姫君の登場です!

 サンドラ・ドゥ・アンクル・コラル・カチャイという長ったらしい正式名称を持つひとりの少女が、窓辺で退屈そうに外を眺めていた。

 彼女は十四才。

 親しい友人は彼女をサンディと呼ぶ。

 ほっそりとした身体つきの、輝くような金髪の持ち主で、その瞳ははっとするほど美しいブルーである。

 尖った顎と、ちいさな鼻。いつもびっくりしているような大きな瞳。その瞳はつねになにか面白いことを探し、生き生きと動いている。白い肌は一点の染みもなく、磁器のような滑らかさを保っている。

 防寒のため裏地に細かな羊毛を植え付けた顔をすっぽりと覆う帽子をかぶり、ながい袖をだらりとさげたワンピースを身につけている。その胸にはコラル帝国の紋章が金糸、銀糸で縫い付けられていた。

 ふっ、と憂鬱そうな顔で彼女は部屋を見渡した。

 小柄な彼女にとって、この部屋は大きすぎる。いや、だれにとっても巨大すぎるだろう。

 まるでテニス・コートほどもある巨大な天蓋つきのベッド。巨人が使用するのかと思われるほどの箪笥。百人がいっぺんに座れるほどのソファに、図書館ひとつがまるごと引越してきたような本棚。なにひとつとして彼女に合わせたサイズの家具はなかった。

 なにしろ彼女こそ、コラル帝国の継承順位十六位である姫君なのだから。

 十六位という継承順位は、そう高いものではない。彼女のうえには五人も男子の皇太子がいるし、帝国の継承には男子が優先されるから、彼女が女帝となって帝国に君臨する可能性はそう高くはない。

 しかし十六位という順位は無視していいほど低い順位ではなかった。なにしろ彼女のしたには、百人以上の継承資格候補者がひしめいているのである。

 来年は十五才になる。

 十五才!

 ああ、永遠に十五才の誕生日がこなければいいのに……。

 サンディはため息をついた。

 なぜなら帝国の姫君は十五才の誕生日がきたら、かならず結婚しなければならないという慣習なのだ。

 たぶん、帝国の友好都市のひとつを統治する貴族か、王宮に伺候する大臣の子息、あるいは有力な軍人のもとへ嫁入りさせられるはずだ。それが帝国の統治にとって必要なことなのである。

 サンディの目が怒りに燃え上がった。

 そんなの厭だ!

 彼女の瞳がふたたび部屋の外にさまよった。

 ここから逃げ出すことを、ずっと物心ついてから考えてきた。

 しかしどうやって?

 

 サンディが生まれたのは王宮の塔のひとつ、母はサンディを産んですぐ死に、それ以来何人もの乳母に育てられて成長した。

 生まれてからこのかた、彼女は王宮以外の場所を知らない。六才になると王宮顧問の家庭教師が彼女の教育を任され、皇族としての教養、道徳、礼儀を身につけさせられてきた。

 王宮の図書館には外の世界のことを書いた書物があって、サンディはわずかな自由時間にそれらの本を読み漁り、空想をふくらませてきた。

 やがて十才をすぎたころサンディは個室を与えられた。いま、彼女がいるこの部屋である。

 王宮の東の端にあり、塔の中ほどにある円形のこの部屋は、朝日と夕日があたる位置にあって、東の窓辺に昇った朝日が、西側の窓辺にしずむのを眺められた。

 塔があるのは王宮のかなり高層階にあたり、窓辺にすわって見おろすとボーラン市を一望できた。

 そこから見る市の全域で、朝夕平民たちの屋根から立ち上る煙に、夜になるとともる灯火をサンディは憧れの目で見つめるのだった。

 季節ごとにボーラン市にはサーカス団がやってくる。

 陽気な音楽が鳴り響き、それらが風に乗って聞こえてくると、サンディはどうしようもなく王宮を飛び出したくなる。

 が、王宮を固める護衛兵は、王宮を外から守るだけでなく、サンディが勝手に外に飛び出すことも防いでいる。なんども外へ逃げ出そうとしたサンディは、それらの衛兵たちがけっして自分を気ままにしてくれないことを骨身にしみて確信した。それ以来、空想の中で彼女は王宮の外を歩くことを夢見てきた。

 贅沢な暮らしであるが、その実際は囚人とそう変わりない。

 窓辺にすわるサンディの耳が、階段をあがってくる足音をとらえた。

 彼女はむきなおり、ドアを見つめた。

 ドアが開き、ひとりの背の高い女が姿をあらわした。

 濃い、灰色の地味な上着に足首までかくれるスカート。髪の毛は高々と結い上げ、一筋の乱れもゆるしていない。

 がっしりとした顎に、やや黄色みをおびた肌の色をした中年の女である。鼻のうえにちいさな縁なし眼鏡をかけ、レンズの向こうからじろりとサンディを見下ろした。

「レディ・サンドラ! また授業から逃げ出しましたね!」

 声はひややかで、突き刺さるようだ。

 サンディは唇をつきだした。彼女だけが「レディ・サンドラ」と堅苦しく呼びかける。サンディなどと、親しく呼びかけることは考えられなかった。もっともサンディのほうで、彼女にそんな親しげな呼びかけをしてもらいたいなどと思ったことはなかったが。

「逃げ出したんじゃないわ。あの時、丁度メルが……」

 メルというのはサンディが飼っている猫の名前である。サンディはこの猫を可愛がっていた。

 女は手に持った教鞭をさっと立てた。サンディは口をつぐんだ。

 女の名前はタビア女史。サンディの家庭教師のひとりである。彼女の担当は国語と歴史である。

 タビア女史の背後から、ひとりの女の子が姿を現した。

 サンディと同じくらいの年頃である。亜麻色の髪に、同じ色の瞳で、サンディを見るとかすかに笑みを浮かべた。唇がわずかに開き、ちいさな歯並びがのぞく。

 しかし彼女の笑みのたくわえはそれでつきたのか、すぐ無表情に戻る。ややうつむき、ちらちらとサンディを見ている。

 それを見てサンディは開けっぴろげな笑顔になった。

「エイラ! こっちへ来なさいよ!」

 エイラ、と呼ばれた少女はおどおどとした感じでタビア女史の側をすりぬけ、近づいてきた。サンディは彼女の両手をとった。

「ひさしぶりじゃない! どうしてた?」

「おやめなさい!」

 まくしたてようとするサンディを、タビア女史はぴしゃりとやりこめた。びくりと肩をすくめ、サンディとエイラはタビアを見上げた。

「まだ授業も始まってもいないのに、そんなうかれようでは困ります。さあ、授業を始めますよ」

 ぴしり、と教鞭を手の平にうちつけ、タビア女史はかつかつとヒールの音を響かせ、机のむこうに椅子を運び、座った。

「さあ、あなたがたも座りなさい」

 はあい、とふたりは返事をして椅子に座り、ちいさな黒板を取り出した。

 しばらく授業が続き、タビア女史はきっとサンディを見つめた。

「違う、違う! 何度繰り返したら判るのです。その綴りは間違い。さあ、罰を受けなさい」

 その言葉におどおどとしてエイラが立ち上がった。

 タビア女史は机を回ってエイラの前に立つと、教鞭を握った。

「手を出しなさい」

 はい……、とエイラは両手を差し出す。

 ぴしり!

 教鞭の先端がエイラの手の平を打った。

 サンディは目を閉じた。

 間違えたのはエイラではない。サンディである。しかし罰を受けるのはエイラ。そういうことになっているのだ。

 エイラはサンディのご学友である。

 学友はサンディの変わりに罰を受ける。サンディはプリンセスであるから、その身に鞭を揮うわけにはいかない。それでエイラのような学友が代わりに罰をうける。王族の子弟はみなこのような教育をうけていた。

 サンディが間違えるたび、ぴしっ、ぴしっと鞭の音が部屋に響く。その音を聞くうち、サンディの目に涙がたまる。

 ふっ、とタビア女史は顔を上げた。

 サンディの目にたまる涙を見て、首をふった。

「あなたがちゃんと勉強をしないから、エイラが罰を受けるのですよ。判っているのでしょうね」

 はい……、と消え入りそうな声でサンディは返事をした。

 タビア女史は立ち上がった。エイラも立ち上がる。

「今日の授業はこれまでにしましょう。明日は五十四ページからはじめます。いいですね、ちゃんと予習をしておくのですよ。レディ・サンドラ」

 くるりと背を向け、タビア女史は部屋を出て行った。エイラもその後に続く。部屋を出る直前、エイラはちょっと手を挙げ、サンディを見た。

 サンディも手を挙げる。

 ばたん、と音を立てタビア女史はドアを閉めた。かつかつ……という足音が遠ざかる。

 一人残されたサンディは、拳を握り締めた。

 いつか……ここから逃げ出そう!

 

 実を言うと、サンディはいつでも王宮から逃げ出すための準備を進めていた。

 王宮は山の斜面に建てられ、最初の建物が建てられてから数世紀が過ぎ去っている。その間、帝国の拡大にあわせるように新たな望楼や、塔が増築され、皇族の家族が増えるにつれ部屋も建て増しされてきた。もっとも古い部分は中心部にあって、その周りにあらたな施設が取り囲むように建て増しされたのである。

 ゆえに王宮内部には思いがけないところに廊下や、階段があり、その内部はちょっとした迷宮になっている。

 生まれてからずっと王宮に暮らしてきたサンディは、王宮を守る衛兵よりずっと詳しくその内部に通じていた。

 ある日のこと、サンディは地下に通じる秘密の通路を発見したのである。

 おそらく帝国の成立以前の、コラル王国のころ、まだ周囲の同盟都市との関係が不安定だった時点で、非常事態に備えるための脱出路なのだろう。その通路をたどったサンディは、そのさきが王宮の外に繋がっていることに気づいた。

 何度も通路を行き来して、その先がボーラン市内に通じていることを確かめたサンディは、ひそかに脱出の準備を進めていた。

 変装のための服や靴、数日分の食料や金にかえるための宝石(サンディは王族の常として現金などは持ち歩いたことはなかった)などを部屋に隠し、いつの日か王宮を抜け出す日を待っていたのである。

 こうしていつでも王宮を抜け出せる態勢を造ってはいたが、いざとなると気がくじけた。

 それはそうだろう。生まれてからずっと王宮で暮らし、生活してきたのだから。外の世界についてはなにも知らないし、体験したこともない。せいぜい窓辺から、ボーラン市の市街を眺めるくらいである。

 いつでも抜け出せる……。

 そうなると、それはいつ、という問題だ。それが今日なのか、それとも明日なのか、ひたすらサンディは自分の中でこの時、というのを待っていた。

 授業が終わり、いつものように窓辺に座ったサンディは、ボーラン市からきらきらとした光がまたたくのを目にして、なんだろうと思った。

 ちょっと考え、部屋から望遠鏡を取り出す。

 サンディはお姫様であるから、たいていの望みは叶えられた。外に出る以外は。そこで望遠鏡が欲しい、と教師の一人にねだったのである。

 翌日届けられた望遠鏡に、サンディは夢中になった。それでボーラン市のあちこちを覗き、市民の生活を目の当たりにするのが、彼女のちかごろの楽しみでもあった。

 望遠鏡を覗くサンディの目が驚きに見開かれた。

 金色の輝きをまとった少女が見える。

 最初、ブロンズ像かなにかと思ったが、人と同じように動き回っているのを見て考えを変えた。

 なにかしら? なかに人が入っているのかしら? もし、中に人が入っているのなら、そうとう痩せた人間にちがいない。その金色の少女は、目にする限りふつうの女の子のように見える。その中に人が入るなら、骨と皮のようにやせていなければならないだろう。

 サンディの好奇心は強く刺激された。

 待っていたきっかけ──。

 彼女は、今日こそその日だと確信した。

 ベッドの下に潜り込むと、小箱を引き出す。中には、王宮を脱出する日のための、用意の品が詰め込まれている。

 ワンピースを脱ぎ捨て、下着だけになる。

 黒いタイツを履き、膝までおおう柔らかな革靴に足を滑り込ませる。

 その上から茶色のキルトをまき、濃い緑色の上着に、青いチョッキを身につけた。髪の毛は臙脂色のリボンで結び、狩猟用の帽子をかぶる。そして裏地が赤、表が黒地のマントをはおる。

 腰にはふとい飾りつきのベルトを巻き、それには小物入れを取り付ける。身を守る短剣は、ベルトと革靴に鞘をとりつけ、二本用意する。

 帽子には飾り羽をあしらい、手首には小粋なブレスレットをはめると、とても王宮のプリンセスとは思えない、どこかのお転婆な女の子に変身した。

 その自身の姿を姿見で確認して、サンディはちょっと得意げに笑みを浮かべた。

 そっとドアから通路を見て、誰もいないことを確認すると、そろそろと足音を忍ばせ階下へと移動する。

 数階分階段を下り、彼女はある部屋へ向かっていた。

 

 とんとんというひそやかなノックの音に、エイラはそれまで読んでいた本から顔をあげた。

 ふたたびノックの音。

 エイラは立ち上がり、ドアの覗き穴の蓋をあげた。

 ブルーの瞳と目が合い、エイラの目は驚きにおおきくなった。

 ドアが開かれると、サンディが飛び込んでくる。

「サンディさま……」

 エイラがつぶやくと、サンディはしっ、しっと指を唇にあてる。

「大きな声をださないで!」

 エイラはサンディの姿を素早く見てとった。

 すこし哀しげな表情になる。

「王宮の外にいらっしゃるのですね……」

 その言葉に、サンディはちょっとばつの悪そうな顔つきをした。

「まあね、今日決心したの。あたし、なんとしても王宮の外へ出るってね」

「そうですか。ご無事をお祈りしています」

「ね、エイラ。あんたも一緒に来ない?」

「わたくしが?」

 エイラはびっくりした。

「そうよ。あたしが王宮を逃げ出したら、あんた叱られるに違いないわ。今日だってあたしのせいで、鞭の罰を受けたんだもの。ね、一緒に行こうよ!」

 その言葉に、エイラはゆっくりと首をふった。

「行けません……どうぞおひとりで行って下さいませ。あたしは残ります」

「どうしてよ? あんた罰を受けるかもしれないのよ」

「それでもいいのです。どうかサンディさま、おひとりで。そのほうがあたしなど足手まといになりますから」

 そう言うとエイラはにっこりと笑った。

 サンディの肩がこころもち下がった。

「判ったわ。それじゃ、あたしだけで王宮を出ることにする。なにか聞かれたら、あんたはなにも見なかったし、聞かなかったことにするのよ!」

 はい、とうなずくエイラに、サンディは彼女の肩をぎゅっと抱きしめた。

「あんたを残すのは辛いわ……。いつか戻ったら、外のこといっぱい話してあげるからね!」

 ちゅっと頬に素早くキスをすると、サンディは風のようにエイラの部屋から出て行った。

 それを見送るエイラの顔に、ある決意が浮かんでいた。

 彼女は部屋を出ると、急ぎ足になって階段を上り、サンディの部屋へと移動した。ドアは思ったとおり開いている。

 サンディがそれまで身につけていた服が脱ぎ散らかされている。それを拾って、エイラは自分の服と交換した。帽子をかぶると髪の毛が完全に隠され、背中からならサンディと見分けはつかない。

 そしてエイラはサンディのベッドに潜り込むと、布団を頭からかぶった。

 こうしてサンディができるだけ遠くにいけるよう、じぶんが身代わりになるつもりなのである。

彼女がどうパックと関わる冒険をするのか、お楽しみに!

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