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伯爵

三人の目の前に現れた館の正体は?不思議な伯爵の登場でミリィたちの冒険はどうなる?

 館は荒れ果てていた。

 かつては美しい庭園が目を楽しませていたであろう庭は一面に枯れ草が重なり、枯れ木が死人の指のような枝をひろげている。池は涸れ、かさかさの砂埃が幾重にも重なっていた。

 見上げるような塀をたどり、正門前で三人は立ち止まった。正門の鉄門は倒れ、両脇の石の柱には奇妙な紋章と怪物の彫像が刻まれている。怪物はかっと口を開き、おおきく見開いた目で見知らぬ侵入者を睨みつけている。

「入るべき……よね?」

 ミリィはケイに尋ねた。

 ケイはうなずいた。

「そうね、”案内棒”が示した方角をたどった結果ですもん。いまは棒を信じるしかないわ」

 三人はゆっくりと館の敷地に入っていった。

 ミリィはちらりとヘロヘロを見た。

 無表情だが、ヘロヘロはぴりぴりと緊張しているようだった。ぴんとたった耳の先端がぴくぴく動いている。

 ミリィはささやきかけた。

「どうしたの?」

「ここにはなにかいる……おれには感じるんだ……!」

 ヘロヘロは呻くように答えた。

 ミリィはちょっと驚いた。いままでヘロヘロがこんな反応を見せることはなかった。そしてこわごわと彼女は館を見た。

 館はすべて石組みで出来ていて、長年の放置で崩壊が始まっていた。蔦がからまり、根を張って石組みを壊し、それから枯れたのだろう。一面に茶色い蔦がからまっていた。

 両脇に翼をひろげたような形に館は建てられており、正面の馬車道はカーブを描いて両腕をのばしたようなふたつの階段につながっている。その階段のさきには半円形のバルコニーが続いていた。

 玄関のドアは開け放たれ、観音開きのドアは片方の蝶番が折れたのか、ななめに倒れている。

 三人は館の中に入っていく。どうやらここは客を迎え入れる広間だったようだ。

 たっぷりとした採光を取り入れた設計で、窓からの光で中は充分明るい。

 窓にかけられたぼろぼろのカーテンが、かすかな風にふわりとなびく。空気にはかすかなかび臭い匂いがまじっていた。

 広間の壁という壁には無数の絵が飾られている。絵の主題はたいてい風景画か室内で、どうやらこの館の生活を描いたもののようだ。ほとんどの絵には数人の男女が登場し、楽しげに歓談したり、なにかの遊戯にふけっていたりする。絵の背景に描かれた風景は、みなかつての館の在りし日らしい。庭の緑は生き生きとして、池の水面には水草が生え、庭の緑を映していた。

 ミリィは天井を見上げた。

 細かな模様が精緻な浮き彫りでほどこされ、一面に蜘蛛の巣が張ってはいたが、かつての豪華さはいまも健在だった。

 広間には放置されたさまざまな調度が、ほこりをかぶっている。まるである日、ふいに館の住人がここを大慌てで立ち去り、そのままにしたようで、その後誰も訪れていないかのようだった。

 ケイは広間の壁にかけられた肖像画に気づいた。そっとミリィの肩にふれ、そちらを指さす。

 ミリィもケイの見つけた肖像画を見た。

 いったいいつの時代に描かれたものだろう。

 ひとりの青年の全身像が描かれている。

 年令二十代後半くらいか、ほっそりとした細身の身体に、ぴったりとした騎士のコスチュームをまとっている。真っ赤な上着に、青いズボン。膝まである革靴。ズボンの両脇には黒と黄色で縁取りを縫い付けられている。腰には細身の剣をたらし、肩からはマントがひるがえっていた。

 青年の顔はやや憂いをおび、その目はどこか遠くを眺めているようだった。真っ黒い髪の毛に、灰色の瞳。画家はこの肖像画にどこか不安な雰囲気をこめることに成功していた。

 その青年の顔を見つめるミリィは、奇妙な感覚に襲われていた。

 なんだか肖像画の人物に見つめられているような……。

 いまにもその肖像画から、青年が歩み寄ってきそうな……。

 !

 絵の中の青年のマントがかすかに動いた──ような気がする。

 ぶるっ、とミリィは首をふった。

 馬鹿な、どうかしている。

 隣りのケイはぽかん、と口をあけている。

「どうしたの?」

「見た? マントが動いたわ!」

 ミリィは仰天した。

 それではいまのは気のせいではなかったのか?

 と、青年が一歩、足を前に踏み出した。

 凝然と固まっている三人の目の前で、肖像画の青年はゆっくりと絵の中から広間の床に進み出て、立ち止まった。

 顎をあげ、あたりを見回す。

 その視線が三人の顔にとまる。

 青年の顔がほころんだ。

 白い歯がきらめき、笑顔になる。

「これはこれは、お客様とは珍しい」

 青年の声は柔らかで、どこか古風な響きを持っていた。ミリィはふとエルフの館の、ラングの口調を思い起こしていた。

 ゆったりと近づいた青年は、おおきく腕をふって挨拶をした。

 はっ、とケイは夢から醒めたように一歩踏み出し、腰をかがめ頭を下げた。

「お騒がせして申し訳ございません。わたしどもは旅人で、この館が目にとまりつい入り込んでしまった者です。ご迷惑でしたら、いますぐにも退去いたします」

 ふっ、と青年は笑った。

「ふむ、エルフのお嬢さまですな。漆黒の肌をしたエルフとは珍しい。しかし、その肌の黒さがあなたの美しさを強調しているようだ。こちらこそ、是非この館でひと時を過ごしていただきたい。なにしろ、この館を訪れるお客さまはほとんどいないような状態ですからな」

 ちらりとケイの顔を見たミリィは驚いた。彼女は青年の賛辞にぼうっとなっているようだった。

 ヘロヘロというと、牙を剥きぐるるる……と喉の奥で唸っていた。

「どうしたのよ? ヘロヘロ」

「気をつけろ。あいつは──危険だ!」

「危険?」

「当たり前じゃないか。絵の中から出てきたんだぞ。お前たち、それが奇妙だとは思わんのか?」

 ケイは目をぱちぱちと瞬かせ、ようやく言葉を口にすることが出来た。

「あ……あの、あたしエルフのケイと申します」

 ミリィも続いた。

「あたしはミリィです」

 おお……、と青年はじぶんの額に手をやった。

「これは失礼した。自己紹介がまだでしたな。わたしはウルグ・フォン・グラフ・オーデヴォン伯爵。ウルグ、とだけお呼びください。もし敬称をつけたいのなら、伯爵で結構」

 周りを見回し、ウルグ伯爵は眉をしかめた。

「少々、屋敷が荒れておるようですな。お客さまを迎え入れるのに、これではちと不都合です。すこしお待ちを」

 そう言うと、ぱちりと指を鳴らす。

 と、あっという間に家具を覆っていた埃が消え去り、天井の蜘蛛の巣や、ぼろぼろのカーテンが元通りになる。床はまるで鏡のようにぴかぴかに磨き上げられ、窓のガラスは透明さを取り戻した。

「庭も……」

 伯爵が指さすと、荒れ果てていた庭園の緑が取り戻され、池には透明な水が満々とたたえられていた。

 うなずくと伯爵はマントルピースを指さした。冷え切ったマントルピースに、ぼっと赤みが差しオレンジ色の炎がゆらめいた。たちまち室内は快適な暖かさを取り戻す。

「さて、お疲れでしょう。いま召し使いがまいりますから、お座りを……」

 その言葉が終わらないうちにドアが開き、召し使いのお仕着せを着た数人の男女が入ってきた。召し使いは忙しく立ち働き、広間のソファやテーブルの埃をはたき、お茶の用意を始めた。

 召し使いたちに案内され、ミリィたちはソファに座った。目の前のテーブルに、茶器がセットされ、馥郁としたお茶の香りが漂った。

 付け合せの菓子が差し出され、ミリィはそのうちのひとつをとって一口かじる。

 ケイもまた口に入れた。

 おどろきにミリィと目を合わせる。

 なんという旨さ!

 ふたりはおもわず皿に出された菓子を貪るように食べていた。

 ミリィはヘロヘロを見た。

 ヘロヘロは不機嫌そうに腕を組み、出された菓子には目も呉れない。

「どうしたの? あんたも食べたら?」

 いいや、とヘロヘロはかぶりをふった。眉をしかめ、険しい顔つきである。

「おれは食わん。ここは怪しい。それに、あの伯爵も怪しいとは思わんか? 絵の中から出て来たのだぞ」

 そりゃまあ……とミリィは肩をすくめた。

 しかし目の前に出されたご馳走を無視するには腹が減りすぎていた。

 くすり──と、伯爵は笑った。

 マントルピースにもたれ、面白そうにヘロヘロを見ている。

「そこの紳士はかなり変わった御仁ですな。まあお客はなるべくなら変わった方が望ましい。いずれその方とも分かり合える日がくるでしょう。それではわたしは別に用があるので失礼します。あとは召し使いがよろしくやってくれるでしょう」

 ちょっと敬礼のような仕草をすると、伯爵は広間を出て行った。

 あっけにとられ、ミリィとケイは伯爵の後ろ姿を見送った。なにか、慌てている様子である。

 三人の給仕をしている召し使いの一人が顔をそっとミリィに近づけ、ささやいた。

「お客さま、できるだけ早くこの屋敷からお逃げなさい。時がすぎるごとに、逃げ出すことは難しくなります」

 え? と、ミリィは顔を上げた。

 ささやいた召し使いは、年のころ五十代と思われる中年の男である。日に焼けた皺ぶかい顔つきをしていた。その目はひた、とミリィを見つめ必死の表情を浮かべていた。

 それはどういうことですか、と反問しようとしたミリィだったが、召し使いは顔をそらし立ち去ってしまった。

 ミリィは伯爵が出てきた絵を眺めた。

 窓から西日が差し込み、真っ赤な陽射しが絵にまともにさしこんでいる。絵の中にはむろん、だれもいない。

 

 夕日が丘の向こうに沈み、夜になるとディナーとなった。

 伯爵は三人を別の部屋へ案内し、またもやあの召し使いたちがどこからか出現し、夕食を用意する。

 出された夕食にミリィとケイは喚声をあげた。

「エルフはわたしの記憶が確かなら、菜食主義のはずですな。あなたにも食べられるよう、工夫しました。お気に召しましたら嬉しいのですが」

 伯爵の言葉に、ケイは感激している様子だった。

 その言葉どおり、出された料理はすべて野菜か、根菜類を調理したもので、肉料理はひとつもなかった。

 むろんミリィとしてもロロ村で肉料理を口にすることはそうなかったが、それでも季節の変わり目の祭りの前日には家畜をつぶしてその肉を口にすることがある。ちょっとは期待していたのも事実だ。

 ミリィの隣りで、ヘロヘロはエルフの携帯食料を食べていた。

「どうしてそれしか食べないの?」

 そう尋ねるとヘロヘロはもぐもぐと口を動かしながら首を振った。

「おれはこれでいい。お前ら、その料理がいいなら勝手に食べたら良いだろう」

 夕食はおもに伯爵がミリィに質問をすることで過ぎた。

「わたしはあの絵の中でこの世の災厄が過ぎ去るのを待っておりました。そうです! 魔法の枯渇です。ご推察の通り、わたしもまた魔法のちからを生きる糧としているのです。ようやく災厄が過ぎ去り、こうしてお客さまを迎えることができ、嬉しい限りです。わたしが絵の中で過ごしていた間、世の中は変わったでしょうな?」

 ほほう、蒸気機関というものが出来たのですか? それに電気。なるほど──伯爵は千年間の世の中の変化に好奇心を抱いているようだった。

 夕食の間、伯爵は談話の名手として座をもりあげた。

 伯爵の冗談の大半は時代遅れで、ミリィは半分くらいしか理解できなかったが、それでも楽しいときをすごした。一方、ケイは伯爵のジョークがひどく受けたようで、けらけらと大口を開けて笑っている。

 やがて夕食が終わり、おのおのにワインが振舞われた。ミリィのグラスには半分ほどそそがれ、水を足して薄められたものが供せられた。ケイはぐいぐいとお替りをして、目がとろんとなり、伯爵を見る視線はひどく色っぽいものになった。ミリィは用心深く、出されたワインをすすっていた。ヘロヘロはあいかわらず一滴も口にしない。

 

 召し使いたちは三人を客間に案内した。

 客間は三部屋にわかれ、三人はひとりづつ部屋をあてがわれた。部屋もまた広間と同じく豪華な内装で、ここでミリィは天蓋つきのベッドというものを初めて見た。

 あの話しかけてきた召し使いにミリィは何度か声をかけようとしたのだが、かれは知らんぷりをきめこんでいた。

 ミリィは腹を立てた。

 そう、そんならいいわよ!

 ベッド・メークを終わった寝台にミリィは仰向けに倒れこんだ。

 その途端、眠気が襲い掛かってくる。

 瞼がくっつく直前、ミリィはなにが気がかりなんだろうと思った。

 ともかく疑問だらけなのは間違いない。

 あの伯爵はどうやって絵の中にみずからを封じ込めたのか。そしてあの召し使いたち。あれらもやはり絵の中に封じ込められてすごして来たのだろうか?

 しかしその疑問は長くは続かなかった。それほど疲れきっていたのだ。

 ミリィはぐっすりとひさしぶりのベッドでの快い眠りに浸っていた。

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