森の守り手
ケイの見たものは?そしてヘロヘロが明かすエルフの秘密とは?
荒れ地が目の届く限り広がっている。
エルフの森の境目には、緑の草地がすぱりと断ち切られるように終わり、そこからは荒野が広がっていた。
地面はひび割れ、ところどころ枯れ木がしらっ茶けた無残な姿をさらしていた。
ひゅう……と一陣の風がほこりを舞い上げた。
「どういうことかしら? 生き物ひとつ見当たらないなんて」
ケイは荒野を見渡し、ぶるっと震えて自分の胸を抱きしめた。
ミリィは背後のエルフの森を振り返った。
森は深い緑に静まり返り、黒々とした沈黙でうずくまっている。そこにはたっぷりとした水気と、生命の神秘が詰まっている。
しかしミリィの目の前に広がる荒野には、一滴の水、たったひとつの生き物の活動の気配すら感じなかった。
ケイの目が怒りに燃え上がった。
「きっと人間たちの仕業だわ! かれらは無制限に森の木を切り倒し、こんな荒れ地をつくったんだわ! なんてことでしょう」
「でも、どうしてエルフの森はそのままなの?」
「魔法がかけてあるからよ。あなた、エルフの森に入ったとき、なにか感じなかった?」
「そう言えば、なんだか怖いような気がしたわ。ここにはいるべきじゃないって、強く感じた……」
ケイはうなずいた。
「そうよ。みだりに人間が入り込まないよう、エルフの森には魔法がかけられているの。どんな日照りの年でもエルフの森にはたっぷりとした雨が降り注ぐし、人間にとってはどこか怖ろしく、近寄りがたい領域として避けるようにね。みなさい、エルフの森の境界を。まるでナイフで切り取ったみたいに正確に別れているでしょう? これが魔法がかかっている証拠だわ」
ふとケイは膝をおり、荒れ地の地面からぱさぱさに乾燥した土を掬い取った。
そして手を開き、掬い取った土を風に流す。
ぱらぱらと土ぼこりが煙のような細かな塵となって風に流されていく。
「千年前、あたしたちエルフは人間に森を守るよう契約を交わしたわ。それが忘れられてしまったのね……もう、人間はあたしたちエルフの教えを守っていないのね」
くすくすと笑い声が聞こえてくる。
ふたりは背後を振り返った。
ヘロヘロが笑っている。
ふたりの注目をあび、ヘロヘロはおどけたような仕草で肩をすくめた。
「なにを馬鹿なことを! この荒れ地はエルフが作ったものだ!」
「なんですって?」
怒りに燃え、ケイは一歩前へ進み出た。
「出鱈目にもほどがあるわ! あたしたちエルフは昔っから森の番人、自然の守り手として……」
「そこが間違いだと言うのだ」
ヘロヘロの目は半眼に閉じられ、ひややかな口調になった。
「なんという自惚れだ! おれでさえそんな自慢はせんぞ! 教えてやろう。エルフの森には魔法がかけられていると言ったな? いったいどんな種類の魔法だ?」
「それは森を守るため……」
「そうだ。森の生き物を守るための魔法だ。だが不自然だとは思わないのか。森の生き物を守るということは、その生命力の源をほかから大量に、そして長期間奪うということなのだ」
ケイは絶句した。
「いいかな? エルフの娘さん。よく考えてみるが良い。わしはその昔、魔王として世界に君臨していたころある城をつくった。いま、ロロ村があるあたりにそびえていた城は、魔法による結界で守られ、難攻不落の砦だった。わしはその城を維持するため、大量の魔力を消費した。そして何が起きたか? 城の周りにはこのような荒野が広がったのだ。魔力の結界の外側ではありとあらゆる生命が絶たれ、毒地が点在するようになった。ここはわしがかつて作った魔王の城のあたりの光景とそっくりだ」
「そんな……」
ケイはぐらりとよろめいた。
「だがそうなのだ。わしは城を作り荒野を生み出した。だがそれが人間のせいだとは一度も思わなかったぞ。荒れ地を生み出したのは自分のせいであることは承知しておった。だがエルフはどうだ? このような荒れ地を生み出しておきながら、それを人間のせいにするとは、なんという思い上がりだ! お前らエルフこそ、自然の破壊者なのだ!」
「嘘よ! そんなの嘘!」
ケイは絶叫していた。
ヘロヘロはかぶりをふる。
「お前たちはこう言ったではないか。この世界から魔法が消え去る前、エルフの館に魔法をかけ、人間の目から隠し、そしてふたたび目覚めるまで時を止めたと。ついでにエルフの森全体にも人間が立ち入らないよう魔法をかけたのだろう。いくら魔法が消えたとしても、このあたりの魔力をかき集めればそのくらいの魔法はかけられるからな。そして千年間かけっぱなしでいたのだろう? それがどのくらい、あたりの生き物に影響をあたえるか、考えたことはなかったのか? おそらくエルフの森の近くでは、このような荒れ地が無数にあるに違いない。それもこれもお前たちの仕業なのだ」
ケイは両手で顔を覆い、声を殺してすすり泣いた。
ミリィはそっと近づき、その肩にふれた。
びくりとケイは震えてミリィを見る。
ミリィはうなずいた。
「行きましょう。とにかく、あたしたちはお館さまの言いつけを守るしか道はないわ」
ケイの目が見開かれた。
「どうする? それとも、あなたはエルフの館に戻る? それでもいいのよ」
ううん、とケイはかぶりをふった。
「あんたの言うとおりね。あたしたちにはあたしたちの使命がある。まずはそれを果たすことよ」
涙を拭き、ケイは荒れ地を見つめた。
ふたりは歩き出した。
その後ろをヘロヘロは意地悪そうな笑みを浮かべついていく。
半日ほど歩き、あたりが暗くなって三人は休憩をとることにした。
かつては巨大な木陰をつくっていただろう巨木は、いまはすっかり枯れ木になり根もとにはおおきなうろが出来ていた。そのうろに、三人は今夜の宿をとることにしたのである。うろのなかには小さな泉がわいていて、三人の喉を潤した。
「”旅人の樹”だわ」
ケイはつぶやいた。
「なんなの”旅人の樹”って?」
「その昔、エルフがもっと沢山いて、人間の世界と親しく行き来していたころ、こういった”旅人の樹”を植えたの。葉陰で影を作り、うろには泉がわくよう魔法をかけてね。これはそのひとつだったに違いないわ。こんな枯れ木になっても、まだちいさな泉をつくるだけの魔法は残っていたのね……」
ケイは愛しげにうろの壁をなでた。壁にはかつてこの”旅人の樹”を利用しただれかのいたずら書きであろうか古代の文字でなにかが彫り込まれている。
「キルロイはここへ来た……だれかしら、このキルロイって?」
古代の文字を読めるケイはつぶやいた。
「これを食べて」
ケイは物入れから包みをとりだし、ミリィに差し出した。
「なあに、これ?」
「エルフの携帯食料よ。これひとつで、一日なにも食べなくてもいいの」
ふうん、とミリィは差し出された包みを開いてみた。
包みはおおきな葉でくるまれており、なかには固く焼き締められた焼き菓子のようなものがあった。棒のような形に固められており、ミリィはその先端をかじり取った。
「おいしい……」
もぐもぐと口を動かしていくと、ぱりぱりに乾いた食料は口の中でもっちりとした弾力を取り戻し、適度な歯ごたえを伝えてきた。味はねっとりとした甘みと、フルーツのさわやかさを併せ持ち、かすかな塩気が全体を引き締めている。
ケイもまた一本を口にし、噛みしめていた。
「おれには呉れないのか?」
不機嫌そうにヘロヘロがつぶやいた。
ケイは目を見開いた。
「あんたがエルフの食べ物を欲しがるの?」
「おれは二日、なにも食べていない」
ああ、そうかとミリィは思った。考えてみれば、ヘロヘロはロロ村で魔王として目覚めてからずっと食事をとっていないのだ。
「そんなに欲しいならあげる」
ケイはひとつを差し出した。
ヘロヘロはつつみを開き、エルフの食料を口に入れる。
もぐもぐと咀嚼し、ひとつうなずいた。
「うむ、悪くはない」
ぺろりと食べつくすと、手に残ったかけらを舐めた。
ケイの顔を見て不審そうな表情になる。
「どうした? 妙な顔をしている」
はっ、とケイは瞬きをした。
「いえ……あの、あんたがエルフの食べ物を平気で食べられるとは思っていなかったんだもので……」
「おれをなんだと思っている? もとはエルフの仲間だったのだぞ」
ケイは肩をすくめた。
「もう今夜は遅いわ。明日のため、そろそろ寝ましょう」
ミリィの提案にケイとヘロヘロはごろりとその場に横になった。館を出る前に三人にはエルフのマントが贈られていた。紙のように薄いが、身体をそれで覆うと寒さを遮断してまるで羽毛の布団にくるまれているように暖かい。
すぐにヘロヘロはいびきをかき寝入ってしまう。
その横で、ミリィは夜空を見上げていた。
見上げた星空の星座は見慣れたものだったが、地平線ちかくの星座はほとんどが隠れて見えない。かなり北に来ている証拠だった。
彼女はまたパックの顔を思い返していた。
ふいに腹を立てていた。
なんでパックはあの時、さっさと帰ってしまったのだろう。まるで自分とヘロヘロに怒っていたみたいだった。もうすこし一緒にいてくれたら、ギャンにあんなことさせる羽目にはならなかったはずなのに……。
だがいつまでも腹を立ててはいられなかった。
見上げる星空がミリィの涙で曇っていた。
夜明けと共に、三人は身動きをして起き上がった。
荒れ地でも夜明けの空は美しい。
かん、と叩けば響きそうな青空が広がり、太陽が顔を出すとあたりには金色のひかりが満ちた。
ケイは水筒に泉の水をつめ、方角を確かめた。
「南はこっちよ」
指を上げしめす。
ふたたび旅は開始された。
じりじりと太陽は宙天高くのぼり、影は短くなっていく。
それなのに気温はほとんど上がらない。冷たい風が、三人を押し戻すように吹きすさぶ。
土ぼこりが盛大に舞い上がり、目をまもるようにミリィは手をかざしながら歩いた。
乾燥した空気が唇をかさかさに乾かした。
ミリィはケイの水筒をうらめしげに眺めた。
ケイはがんとして水を飲むことを禁じていた。なるべく水は節約しなくてはならないというのだ。
ふと思いついてミリィはエルフのマントで顔を覆った。
これは大正解だった。
エルフのマントは薄く、目を覆っても視界は完全に確保される。しかも襲い掛かる埃から目を守ることができた。
それを見て、ケイとヘロヘロも同じように顔をぐるぐるに覆った。
なんであたしはこんな辛い旅をしているんだろうとミリィは思った。
あのヘロヘロを善良にするためだ!
だが肝心のヘロヘロがあんな調子で、そんなことができるのだろうか?
単調な荒れ地の様子に変化があったのは三日後のことだった。
足元の大地が盛り上がり、三人はあえぎながら丘をのぼっていく。平坦な場所はかぞえるほどで、いくつもの丘をのぼり、そして下がっていく。徐々に高度はあがって、空気が薄くなるのを感じていた。
気温はさらに下がり、地面は岩がちになっていく。でこぼこの地面は歩きづらく、ミリィは何度も足をとられ転んだ。
エルフのケイはこんな状態でも軽やかな足取りに変化はなく、またヘロヘロも鈍重そうな身体つきをしているくせに一度も転ぶことはなかった。
結局、一番優雅さから遠いのは人間のミリィひとり、ということだ。
先頭を歩くケイが叫んだ。
「館があるわ!」
え、とミリィは顔を上げた。
今回はちょっと皮肉なストーリーになっています。エルフのイメージが壊れた、なんて言うひといますかね?