学校
パックの日常のスケッチです。村の伝説が語られます。
「へーえ、いがいとやるもんだなあ!」
食卓にならべられたご馳走を前にパックは素直に感心して見せた。
つんと顔をあげ、それでもパックの賛辞にうれしそうにミリィはかいがいしく食事の用意をしていた。
ホルンの食卓にはミリィが用意した夕食がうまそうな湯気をたてている。深いスープ皿には野菜とベーコンのとろりとしたスープ。まんなかの皿には種無しパン。ざく切りのサラダ。ぴりっと香料をきかせた酢漬けの胡瓜など。
「叔母さんはまだ帰らないのか」
ホルンが顔をあげパックにたずねた。
パックはすでにパンをちぎり口に運んでいる。
「うん、おれだけ先に帰っていなさいって言われたんだ。でもほとんど片付いていたから、もうすぐ帰ってくるんじゃないかな」
パックの言葉が終わる前にドアが開く音がして、みんながそちらに視線をやるとメイサが姿をあらわしたところだった。彼女の頬は健康そうにピンクにかがやいていた。
「やっとなんとか人が住めるようになりましたよ。博士ったら、あたしが片付けようとするとそれは大事な装置だとか、資料だからと手を触れるのをいやがってねえ……。あれじゃあんなことがなくてもだれか片付けないとごみためみたいなもんですよ!」
やれやれとため息をついてメイサは食卓に腰をおろした。このところ、四人は家族のようにホルンの家で夕食をとるならわしになっていた。夕食が終わるとメイサとミリィは隣りの自分の家に帰っていく。
給仕の仕事をミリィから引き継ぎ、メイサは手早くホルンの皿にスープを盛ったり、パックにパンを手渡したりしてあれこれを話を続けた。
天気のこと、そろそろ近づいてきた祭りのこと、秋の収穫、はては壁紙をかえたほうがいいかどうか。とにかくメイサの話しはあちこちとぶ。
ふと、メイサは思い出したというようにぽん、とじぶんの額をたたいた。
「そういえばパックちゃん、もうすぐ十三才の誕生日ね」
「うん、そういえば……」
ふいにじぶんに話をふられ、パックはあわてて食べ物を飲み込んで答えた。
メイサは満面の笑みをうかべた。
「ということはミリィも誕生日ってことよね!」
ミリィとパックはぽかんとした表情で顔を見合わせた。いったい叔母さんはなにを言おうとしているのか?
メイサはおごそかな顔で宣言した。
「お山に登る日が近づいているんじゃない?」
ああ、とホルンはうなずき、口を開いた。
「そうか、そういえば……」
ここロロ村では村の子供が十三才の誕生日をむかえると裏山に登るならわしである。
山にはふるい城の廃墟があり、そこには一本の聖剣が石の台座につきささっている。十三才になった子供は、その聖剣に手をふれ、村へもどる。それがならわしであり、儀式であった。
村の伝説によれば、昔……数百年前、もしかして千年前……裏山に魔王の城があった。城は魔王の魔力を強め、世界は滅亡の淵にあったという。
その魔王を倒しにひとりの勇者があらわれ、激闘の末魔王を封印したという。聖剣はそのときのものである……。
その後勇者はロロ村のあったところに住み着き、やがて子孫がふえ、いまの村になったということだ。
つまりロロ村の住民は勇者の子孫と言うわけである。
魔王を封印した勇者に感謝し、そして子孫である自覚をあらたにするため村の子供は十三才の誕生日をむかえると聖剣にふれる慣習なのだ。
パックは窓の向こうの裏山を仰ぎ見た。
山は夜空に溶け込み、シルエットはほとんど見えないが、たしかにその場所にそびえていることはわかっている。
毎日なんの気もなしに見ていたが、その山に登るということはついぞ思いついたことはなかった。
おそらくロロ村の人間だれひとりとしてこのような特別な儀式がなければ登ろうとは思ったことはないのではないだろうか。
聖剣とはどんなものなんだろう……。
パックはまだ見ぬ勇者の剣に想いをはせていた。
かん、かん、かんっ!
朝もやの空気をふるわせ、木のふれあう乾いた音がひびいている。
「それっ! まだ突きが甘いぞ! そんなへっぴり腰では、小手が隙だらけだ。そらそら、脇があいている!」
ホルンの楽しげな声が聞こえている。そのあいまにパックのせわしない喘ぎ声。やあ! というかけ声をかけ、パックは手にした木刀をふりあげた。
「そらっ!」
ホルンの声とともにあっ、というパックの声。
からん、と音がしてパックの木刀が地面に転がった。ホルンがたくみにパックの木刀をはねあげ、宙に飛ばしたのだ。
パックが手にしていたのは木刀である。木刀とはいえ、身体に当たれば怪我だけではすまない。当たり所が悪ければ、重傷もありうる。
対するホルンの手にしているのは無造作に折り取ったらしき小枝いっぽんである。その小枝いっぽんで、ホルンはパックのふるう木刀をらくらくとあしらっていた。
パックの顔に悔しげな表情が浮かんだ。
ホルンはそんなパックをニヤニヤ笑いを浮かべ見つめている。からかうような調子で声をかける。
「どうした、もう降参か?」
「まだだっ! もう一丁!」
「よし、その意気だ」
パックは地面に転がった木刀に飛びつくと、ぱっと身をひるがえしいきなりホルンにむけ突きをいれた。
思いがけない動きにホルンは一瞬たじろいだ。パックの突きを受け流そうとしたホルンの手元が狂った。
ぼき、と音がしてホルンの小枝が真ん中から折れた。
おっ、とホルンは唇をとがらせる。
わずかに身を反らせただけだが、パックはそれに勢いをえてさらに突きをいれてきた。
ホルンの口もとにかすかに笑みが浮かぶ。
のこった小枝をさっとふりおろし、パックの木刀の刀身の背に当てた。
う! とパックの動きが止まった。
ホルンの手にした小枝は真ん中から折れ、ほとんど武器として役にたつはずはないのだが、木刀の背にぴたりと当てただけでパックはそれ以上持ち上げられない。見る見るかれの顔に玉の汗がうかぶ。
畜生……とパックは刀身をさっと下げた。
がつっ、と木刀の先端が地面を噛む。
さらにパックは身動きがとれなくなっていた。
右に動かそうが、左に動かそうがまるで地面に根がはえたように動かせない。
ホルンは涼しげな表情で小枝いっぽんで木刀をおさえているだけだ。
「畜生っ!」
ひと声叫ぶとパックは木刀から手をはなした。
そのままへたりこむと、荒い息を吐き肩を落としうつむいた。
「いまの突きはよかったぞ」
ホルンの言葉にパックは顔を上げ「え?」というような表情になった。
父親はうなずいた。
「あの呼吸をわすれないことだ」
うん、とパックはうなずいた。ホルンがほめることはめったにない。じんわりとパックの胸に達成感がわいてきた。
十才になったころパックはホルンに木刀を渡された。ホルンが手ずから削りだした手製のものだ。
その日から剣の修行が始まった。
朝、まだ暗いうちからおきだしホルンは庭で小枝いっぽんを手に持ち待っている。
パックはそのホルンに木刀で打ちかかる。
はじめ、の合図もなくパックが打ちかかったその時が修行のはじまりだった。
とにかく、どのようなかたちでもいいから木刀をホルンの身体に触れさせればいいのだ。
もっとも一度たりともホルンはパックに打ちかからせたことはないが。
おわりはパックがやめたいと思ったら終了だった。ともかくやるもやらないも、パックしだいであった。
最初のうちパックはやりたくはなかった。
どんなに打ちかかってもホルンはらくらくと打ち込みをかわし、パックはとほうにくれた。
そのうち飽きが来る。
十日間、パックは練習をやめたことがあった。
それでもホルンはあいかわらず庭先にたち、小枝を手に持っていた。
とうとうパックはふたたび木刀を手に持ち、父親に打ちかかった。
それ以降、パックは休んだことはない。
雨の日も、雪の日も、風の強い日もパックはホルンに打ちかかる。
ホルンはたくみにパックの攻撃を受け止め、あるいは受け流した。
そして三年。
ぼんやりとであるが、パックはあとすこしでホルンの身体に木刀を触れさせることができそうな感触を得ていた。
それがパックの成長なのだが、自覚はなかった。
「飯にするか?」
ホルンに声をかけられ、パックはうなずき立ち上がった。
家に入る前、庭先を流れている小川で顔をあらい口をすすぐ。さっぱりとした気分になると家に入っていく。
朝食は前日の夕食の残りですませた。
食べ終わると、ホルンとパックは窓にちかより裏山を見上げた。
もうすぐあの山へ登ることになるのだ。
今日の山は全体に霧がかかり、うすぼんやりとしたシルエットを見せている。ごつごつとした岩がつきだし、緑はほんのすこししか生えてはいない。
村は山の斜面に広がる形で発展してきた。どの家からでも山はすぐ目に付くところにそびえ、朝の光を最初にあびる。どういう理由か、朝日をあびると山は金色に輝き、また夕日にそまると燃えるような赤にそまる。
普段は灰色の岩肌が陰鬱な色彩を見せるのだが、この朝と夕方の変化は毎日見ていても飽きることはなかった。
しかし今朝の山はまとわりつくような霧もやのなかに黒々とうずくまっていた。
パックはじっと見上げていた。
朝日が昇ると、朝もやは溶けるように消え、抜けるような青空がひろがる。
一斉に木々では蝉が懸命に鳴き声をあげ、気温はぐんぐんと上昇した。
「行ってきまあす!」
パックは肩下げのバッグをもって家を飛び出した。
学校へ行くのである。
村の子供は一週間に半分、学校に通う。バッグの中身は教科書と弁当である。ミリィの家を通りかかると彼女がドアを開き、パックとおなじようなバッグを持って出かけるところだった。
「パック、一緒に行こうよ」
「おう!」
返事をしてパックはミリィと肩をならべ歩き出した。
歩き出すとミリィはパックの顔をのぞきこむようにして話しかけてきた。
「ねえパック、お山へはいつ行くの?」
「そうだなあ、やっぱり誕生日のあとかな」
ふーん、とミリィは生返事。
ぱっと前へ飛び出すとくるりと振り向き、パックにまた話しかける。
「ねっ、あたしも一緒に行くわ! お弁当つくっておくから、連れてってよ」
ええーっ、とパックは声をあげる。
「いいじゃない、あたしだってパックと同じ誕生日なんだもの。やっぱりひとりで行くつもりなの?」
「だってお山へはひとりで行くもんだろう? ふたりで行くなんて聞いたことないぜ」
「だれが決めたの? ひとりで行くって」
言われてパックはつまった。
たしかに決められたことではない。なんとなく、ひとりで登るものだと思っていたのである。
そうか……ふたりでもいいんじゃないかな……。
パックはミリィを見てうなずいた。
「よし、一緒に登ろう!」
「決まりね!」
ミリィもうなずいた。
ふたりは肩を並べ歩き出した。
朝日がまぶしく村を照らしている。
二人の歩く道の両側には、ところどころ巨大な石の柱が建てられている。石の柱の表面には細かな浮き彫りで模様が刻まれている。浮き彫りは相当古いものらしく、長年の風雨で模様は薄くなっている。模様のモチーフは渦巻き模様で、村にはこのような石柱が何本も立っているのだ。
この石柱がなんの目的で立てられているのか、製作者はだれか、すべてわからない。ただ、昔からあるので村の誰も疑問に感じたことはないのである。
村の建物のほとんどにはこの石柱に刻まれた模様をまねた飾りがつけられていた。
学校は村のはずれの斜面に建てられている。村の子供たち三十人あまりがそこへ通う。十五才になると卒業で、それより上の学校へは都会へ出なくてはならない。だがほとんどの生徒は村に残ることを選び、上級の学校へ進むのは年にひとりか、ふたりだった。
学校への道で、パックたちはおなじような登校中の子供たちと出会い、かたまりあって歩き出した。
「パック、ギャンに気をつけるんだぜ」
学年が一年下のコールが近づくと、まわりに目をくばりながらささやいた。パックはコールを見おろした。
パックはそう背の高いほうではないが、コールはさらに小柄な男の子だ。まるい頭をくりくりに坊主刈りにして、いつも油断ない目つきをしている。鉢のひらいた頭のせいで、茸に手足がついたような印象をあたえていた。コールの得意技は情報収集で、村のあらゆる噂話に通じていた。
「ギャンがどうしたって」
パックはどちらかというと関心のなさそうな口調で尋ね返した。ギャンのことは正直、あまり考えたくもなかった。ギャンはどういうわけかパックに対し敵意を持っているらしく、いままでも何度もしつような嫌がらせをしかけてきている。
あいかわらずコールはきょときょとあたりを見回しつつささやきかえした。
「ギャンの奴、いつもの取り巻きをよびよせてなにか相談していたんだ。おれ、聞き耳をたてていたんだけど、何度もパックの名前が出ていたんだ。だから近いうち、なにかしてくるんじゃないかな」
ふうん、とパックは感心してコールをながめた。いったいいつ、コールはこんなことを聞きつけるんだろう。
するとパックの隣りを歩いていたミリィが口をよせてささやいた。
「パック、あのね……ギャンのことだけど……」
「なんだよ?」
大声をあげるパックの口をミリィは慌てておさえた。
「もう……! とにかくギャンのことだけど、ちょっと聞いて欲しいことがあるのよ」
「なにか嫌がらせしてきたのか?」
「そうじゃなくて……!」
ミリィはどう説明しようかと天を仰いだ。
そうこうするうち学校の建物が見えてくる。
二階建ての、木造の校舎である。校庭が前に広がり、背後には杉林がせまっていた。
パックたちは三つある教室の上級生の教室に入った。教室はあと下級生、初年組みのクラスに分かれている。
教室に入るとすでにギャンが席についていた。ギャンのまわりにはいつもの取り巻きが椅子に腰掛けていたり、あるいは立っていたりおもいおもいに取り囲んでいる。パックが教室にはいるといっせいに視線を動かし、じいっと睨んで来た。
「怖い……」
ミリィはパックの後ろに隠れるようにしてつぶやいた。
それほどギャンたちの今日の様子はふだんと違い、殺気立っていた。
どういうことだろう。
パックは内心首をかしげつつ、自分の席についた。パックの席はギャンからいちばん遠いところにある。
のろのろとミリィも自分の席についた。ミリィの席はパックとギャンの中間にある。
いつもなら先生がくるまで教室の中はざわついてうるさいほどなのだが、今日は張り詰めた空気に気づいていたのか、生徒たちは妙に静かだった。パックとギャンの間には電流のように敵意が交わされているようだった。
からり、と教室の引き戸が開き教師が姿をあらわした。
担任のカース先生である。
年は五十を少し越している、ふっくらと太って目にやさしげな笑い皺をきざんだ女性の教師だ。
教室に踏み込んだカースは、異様な空気に一瞬たじろいだが、それでも平静に戻り教壇にたつと口を開いた。
「みなさん、お早うございます」
お早うございます!
生徒が一斉に返事をする。
パックはギャンが返事をせず、だらりと椅子に背をもたれさせ、皮肉な笑みを浮かべているのをちらりと目の隅で確認していた。
カースはにこやかな口調で続けた。
「今日は歴史の授業です。みなさん、このロロ村が十二年前、コラル帝国の版図に組み込まれたのはご存知ですね。ではそれ以前、ロロ村はどの版図にあったのでしょうか?」
生徒に背を向けると、カースは黒板に字を書いていった。
コラル帝国
スリン共和国
「そうです、それまではこのロロ村はスリン共和国の所属でした。しかし十二年前に共和国と帝国の間に戦争が勃発し、共和国は滅びました。それ以来、ロロ村はコラル帝国の信託統治領となったのです」
「先生、質問です!」
今年、はじめて上級組みに入ってきたオランという女の子が手をあげた。金髪を三つ編みにして、赤い縁の眼鏡をかけている。ふだんは目立たないが、勉強はよくできる。
カースはうなずいた。
「はい、オランさん。なんですか?」
「コラル帝国とスリン共和国の間でおきた戦争の原因はなんですか?」
「良い質問ですね。十年前、スリン共和国は隣国のゴロスに宣戦布告しました。ゴロスはコラル帝国の保護領だったので、すぐさま帝国はゴロス領に進軍を開始、戦端が開かれたのです。
戦況は最初共和国に有利でしたが、やがて帝国軍が押し返し、わずか一ヶ月で戦争は終結しました。共和国のスリン大統領は国軍の崩壊直前、逃亡し、いまは行方が知れません。噂では、ゲリラを組織し共和国再興を画していると言われますが、あくまで噂です。
このコラル帝国はもともと百五十年くらいまえ最初の萌芽が見られ、当時の風雲に乗じてひとりの皇帝が誕生して……」
授業はコラル帝国の歴史にうつり、パックはうつらうつらしはじめた。カース先生の声は子守唄のように心地よい。
と、パックの頬になにか当たった。
なんだろうと目を開けると、机に丸めた紙が落ちている。
きょろきょろと教室を見回すと、ギャンの目とあった。
ギャンは意味ありげな視線で、丸めた紙を見ている。
パックは紙をとりあげ、ひろげた。
ギャンの字でこうある。
放課後、会いたし
ギャンを見ると、かれはじっとパックの目を見つめ返した。
やれやれ……。
パックは肩をすくめた。
わかった、という風にパックはうなずいて見せた。
ギャンはにやりと笑い、目をそらした。
そのふたりのやりとりを、ミリィが見ていたことをパックは知らなかった。
この話で語られる伝説とパックがどうかかわっていくか、それは次回以降のお楽しみです。