エルフの”オーラ”
館から離れるにつれ、ヘロヘロの様子が変わっていく。
漂うような歩き方は徐々にしっかりとし、とろんとした目つきは鋭くなった。
やがてぶるっと頭をふると、立ち止まった。
「ここはどこだ?」
「エルフの森よ」
ケイが答え、ヘロヘロは目を細め彼女を見た。
「お前はエルフの娘だな。なぜ、ミリィとこんなところにいる?」
「わたしがミリィと一緒に旅立つ使命を受けたからよ。それに、わたしは”お前”呼ばわりされたくはないわ。わたしにはケイという名前があるの」
ヘロヘロは歯をむき出して笑った。ずらりと鋭い牙のような歯が剣呑なひかりをはなつ。
「生意気な奴! おれのことを知っているのか?」
「知っているわ。ヘロヘロちゃん。あんた、魔王なんですってね」
「なにおう……!」
ヘロヘロは顔を真っ赤にさせ怒りの表情を見せた。片手を奇妙な形にかまえ、ケイに向かって身構える。
むっ、とヘロヘロが気合をいれると、その手の平からばりばりと音をたて、電光が放たれた。
ミリィは棒立ちになった。
しかしヘロヘロの電光はあらぬ方向へそれてしまった。ケイの身体にはかすりもせず、まわりの巨木にあたり閃光を発して消えてしまう。
ケイはにやりと笑った。
「どうしたの? あたしを狙ったのじゃないの?」
ヘロヘロは怒りに震え黙っていた。
ケイはゆっくりと話しかけた。
「あなたがなぜ失敗したのか、教えてあげる。あたしにはあなたの”オーラ”が見えるのよ。その”オーラ”が、あんたには相手を攻撃することはできないということを示しているから、平気だったの」
ケイの話を聞いて、ヘロヘロは目を丸くした。
「”オーラ”……?」
「そうよ、魔法を使う者同士、見ることの出来る”オーラ”よ。あんただって、見えるはずじゃない?」
ヘロヘロはつぶやいた。
「そうだ……忘れていた」
ミリィのもの問いたげな表情に、ケイは説明した。
「魔法が使えるようになると、他人の”オーラ”が見えるようになるの。それは人のまわりで輝くひかりみたいなのだけど、魔法が使えない人間には見ることができないの。その”オーラ”の色や形、強さで、その人の魔力の強さがわかるのよ」
そしてヘロヘロを見る。
「ヘロヘロ、あんたの”オーラ”はあたしたち、エルフの”オーラ”と同じ色、形をしていたわ。エルフの魔法は防御、治癒に長けているけど、他人を攻撃することは出来ない性質のものなの」
「おれの”オーラ”がエルフと同じ……?」
ヘロヘロは愕然となったようだった。
「千年、剣に封じ込められた間、あんたの”オーラ”はエルフと同じものに変わったのよ。もともとあんたはエルフの姿でこの世に現れたんだから、そのせいかもね」
そうか……と、ヘロヘロはがっくりと肩を落とした。魔法がうまく使えないのもそのせいなのか。
が、かれはぐっと頭をあげた。
しかし空を飛ぶことはできる!
ヘロヘロはミリィとケイを見た。
なぜこのふたりと一緒に歩いていなければならない?
おれは自由ではないのか?
かれの足が地を離れ、ふわりと宙に浮く。
ミリィは声をあげた。
「どこへ行くの?」
「おれの勝手だ! あばよ!」
ヘロヘロの身体は森の木々の間を抜けていく。ぐんぐんと上昇し、ふたりの姿が小さくなった。
ミリィは唇を噛んだ。
このままかれを行かせてはならない!
彼女の手は腰に巻いた鞭をさぐっていた。
無意識にほどくと、ひゅうと音を立て鞭をふる。
しゅるしゅると鞭はのび、上昇していくヘロヘロの足首にからまった。
「わっ!」
ヘロヘロの身体が空中で停止し、ミリィの鞭に捕まった!
「は……離せ!」
わめくが、かれの足首にからまったミリィの鞭はぎりぎりと締め付けてくる。ぐっと全身にちからをこめ、空をめざすのだがまるで動けない。
「くくくくっ!」
ヘロヘロの顔が悔しさに真赤になった。
ミリィは鞭を握る手にちからをこめ、ぐっと引いた。
ヘロヘロの身体がミリィに引かれ、下がっていく!
ぐいぐい、とミリィは鞭を引いていく。
そのたびにヘロヘロは引き寄せられていく。
ついにヘロヘロは地面に戻されてしまった。
はあはあと荒い息をつき、ヘロヘロは地面にぺたんと尻を落とし、恨めしげな目でミリィを見上げた。
「なぜだ! なぜ、おれを勝手にさせてくれない?」
「あんたはあたしと一緒に旅することになっているの!」
ミリィは叫んだ。
「お前と一緒に? なぜだ!」
「あんたを善良にするためよ」
ヘロヘロの顎がだらりと下がった。
「おれを善良に? 冗談だろう?」
ミリィは首を横にふった。
「冗談ではないわ。あたし、エルフのお館さまと約束したの。あなたを殺さないという約束と引き換えに、あなたを善良にする道を探す旅に出るってね! だからあんたはあたしと一緒に行かなければならないのよ」
ヘロヘロは顔をふせた。
その肩が震えている。
くくくくく……。
ひいひいひい……。
ほうほうほう……。
ちいさく、切れ切れの声で悲鳴のようなものを押し殺している。
やがて肩の動きがおおきく、波立つようになった。
がははははは……!
かれは哄笑していた。
吠えるようにヘロヘロは笑っている。
おおきく口を開け、牙を剥き出しにした笑い。
腹を抱え、涙を流してヘロヘロは笑い続けた。
ばんばんと手で地面を叩き、転げ周りつつ地面をかきむしった。
「あはははは! いうに事欠いて、おれを善良にするだと? なんという馬鹿げた話しだ!」
「なに笑っているの! 人が真面目に話をしているのに、失礼じゃない?」
ミリィの叫びはヘロヘロにあらたな笑いの発作を引き起こしただけだった。
「こ……こ、これが笑わずにいられるか! おれをなんだと思っている。魔王だぞ! その魔王を、善良にするだと? お、お前は掛け値なしの大馬鹿者だ!」
わははは……といつまでもヘロヘロは笑っていた。
ミリィは一歩前に進み、ヘロヘロをきっとにらみつけた。
ヘロヘロの顔に一瞬、怯えの表情が浮かんだ。
ミリィは一語一語、押し出すように言った。
「いいこと、あんたはあたしたちと一緒に旅するの。これから勝手にあたしたちから離れて、どこかへ行ったり、魔法を使ったりしないこと。そしてあたしの命令には従うこと。いいわね?」
ヘロヘロは大人しくこっくりした。
ミリィとケイは肩を並べて森を歩いている。
その後を、とぼとぼとヘロヘロがついてくる。なんだか毒気をぬかれ、その足取りはすっかり自信をなくしていた。
ケイはヘロヘロを振り返り、ミリィに話しかけた。
「ねえ、どうしてヘロヘロにあんなこと言ったの?」
「どうしてって……ああ言わなければならないと思ったからよ。これからあの子を連れて行くのに、ふらふら空を飛んで逃げられたら困るでしょ」
「そうじゃないわよ。あたしが言いたいのは、あいつにあんたがどうして命令できるかってことなの。なんと言ってもあいつは魔王よ。他人の命令を大人しく聞くような奴じゃないわ」
ミリィは首をふった。
「わからない。でも、そうしなければならないと思ったの。それだけよ」
「あんたにあのヘロヘロを思い通りに出来るちからがあるなんて、信じられない。それにヘロヘロがあんたの命令に従うのも、もっと信じられないわ。これにはなにか、訳がありそうね」
「訳? どんな訳よ?」
「さあ……でも、あいつがあんたの命令を大人しく聞くということは好都合ね。あんたの言うとおり、ふらふら勝手に離れられたら、お館さまの約束を果たせないから」
うん、とミリィはうなずき腰に巻いた鞭に目を落とした。
「それにしてもこの鞭、すごいわね。あたし、一度も鞭なんか使ったことはないけど、あたしが思ったとおりに動いてくれた。それにあんな長さに伸びるとは思わなかった」
「エルフの魔法がかかっているからよ。もとの何倍もの長さに伸びるし、どんな重さにも切れることはないの。これから、いろいろ使い道がありそうね」
ミリィは頷いた。
確かにこの鞭、いろいろ使い道がありそうだ。”案内棒”といい、この鞭といい、エルフの贈り物には驚くほどの魔法がこめられている。ミリィはそっと背後からついてきているヘロヘロをふりかえった。
そのヘロヘロは、あいかわらず大人しくふたりに従い歩いている。
ミリィはふと思った。
いったいヘロヘロと自分の関係はなんだろう?
そのヘロヘロは考えていた。
なぜミリィの命令に従うのだろう?
おれはどうなってしまったのか……。
判らない。
かれは頭をぶるっとふり、ふたりの後について歩いていった。
と、顔をあげた彼女は叫んだ。
「森が終わるわ!」
ケイもミリィの見た方向を見て同意した。
「そうね、エルフの森はここまで──。これからは……」
ケイは絶句した。
「なに、これ?」
森の途切れた場所に立ち、ケイは驚きに目を瞠っていた。