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魔王の系譜

ヘロヘロの素性があきらかになる。いったいヘロヘロとは何者なのか?

 客室で一晩ぐっすり眠ると、すっかり疲れはとれていた。

 足音にドアを見つめると、ノックの音がする。どうぞ、と答えるとケイがドアの隙間から顔をのぞかせた。

「お早う! どうやらよく眠れたみたいね」

 ミリィはうなずいた。

「顔、洗いなさいよ」

 うながされ、ミリィは風呂場に付属している洗面所で顔を洗った。そして客間でケイが用意してくれた朝食をとる。今朝のメニューはたっぷりとバターを塗ったパンに、とろりとしたメープル・シロップをかけたものだった。つけあわせにぱりっとした野菜がつき、食後にはヨーグルトをかけたフルーツがついた。

「これからどうするの?」

 ミリィが問いかけると、ケイはぐいっと頭をゆすって広間のほうを見た。

「みんな広間に集まっているわ。あの、ヘロヘロという魔物の素性をさぐるんだって」

 広間にはエルフの一族が全員集まり、厳粛な表情でミリィを待っていた。

 ラングがにこやかな表情でミリィを出迎えた。

「お早う、ミリィよ。よく眠れたかな?」

「はい、とても」

 ミリィが答えると、ラングはうなずいた。

「昨夜よく考えたのだが、あのヘロヘロと言う者を改心させるには、まずあの者を良く知らなくてはならない。あやつはいったいどこからやってきたのか? そしてどうして魔王などになったのか? そういったことは謎だった。だが、あやつがほとんど無力の今、それを知るよい機会だと思う」

 こちらへ……と、ラングはミリィを招いた。

 一歩前へ出たミリィは、ふと上を見上げあっと驚いた。

 なんとヘロヘロが空中に浮かんでいる。

 だらりと手足をたらし、その目はうつろで意識があるのかないのか、ミリィが見つめていてもその表情は変わらない。

「いま、あやつはうつつの状態にある。われらの魔法で、あやつのこころを開かせ、もっとも古い記憶を掘り起こそうと思う。つまり、あやつの心の中に潜り込むということだな。ミリィよ、お前があやつを改心させると言うなら、あやつのすべてを知る必要がある」

 ミリィは震えながらうなずいた。

 ラングはやさしくミリィの肩を抱いた。

「いいかしっかりするのだぞ! お前が経験することは人間にはなしえないことだ。だが自分をしっかり掴んでいる限り、心配はない。自分が自分であるという意識を保っているのだ。できるかな?」

 はい……と、ミリィはうなずいた。

 よろしい、とラングは顎をひいた。

「それでは始める──いまより、このヘロヘロと名乗る存在の意識に潜り込む……」

 そう言うや否や、ラングは目を閉じなにかを一心に祈り始めた。

 背後のケイもまたラングにならい、目を閉じた。

 広間のエルフたちも目を閉じ、祈りをささげた。

 ラングの、ミリィの肩を掴むその手にちからがこめられる。

 宙に浮かんだヘロヘロの顔が恐怖に歪んだ。

「やめろ……おれから出て行け……おれのこころから出て行け……!」

 弱々しくうめく。

 ミリィもまた目を閉じていた。

 頭の芯がじーん、と痺れるようで身体もまた他人のようだ。

 閉じた目の奥に、ぼんやりとした映像が浮かんできた。

 それは古い記憶だった。

 

 地面にへばりつくみじめな生き物。

 それがヘロヘロの持つもっとも古い記憶である。

 かたちもなく、ただどろどろとしたかたまり。

 だが生きている。

 目も鼻もなく、耳もない。

 あるのはただひとつの目的。

 飢え。

 飢えだけがその生き物のすべてだった。

 食べ物を求め、生き物はそのどろどろとした身体を伸ばし、ゆっくりと移動した。そしてすこしでも消化できるものに行き当たると、全身の細胞を使ってがつがつと消化する。

 もしそこに生物学者がいれば、その生き物の正体を「これは粘菌と呼ばれる生き物である」と、分類したに違いない。粘菌は不思議な生き物だ。植物とも動物ともつかず、群体で生き、胞子を飛ばし繁殖する。

 ただその生き物は胞子を作らず、ずるずると身体を動かして餌を探すだけだった。もしかしたら突然変異体なのかもしれなかった。

 そんな日々をすごすその生き物にある変化が生じた。

 それは枝に張られた蜘蛛の巣に一匹の蝿が捕まった瞬間だった。

 ねばねばした蜘蛛の巣の粘液に蝿が捕まり、羽根を必死に震わせた瞬間、蝿のはなつ原初的な恐怖の信号が生き物の深部にあるなにかを揺り動かしたのである。

 やがてほどなく蝿の震えを感知した蜘蛛がするすると糸をたどって近づき、その生命を絶ったとき生き物はある絶頂を感じた。

 蝿がそのわずかな生命力を放出させたその瞬間、生き物はそれまで感じたことのない満足感を感じたのである。

 生き物は本能的に悟っていた。

 これだ! これこそじぶんが求めていたものだ!

 まとまった思考としてはないものの、生き物はなんとかおなじ体験をするため試行錯誤を繰り返した。

 そして最初のおおきな一歩を踏み出したのである。

 生き物は自分の細胞を自由に組み合わせることが出来た。

 身体の表面に透明な細胞を集めると、それがレンズになった。

 はじめての光を感じ、生き物はあわててそれをひっこめた。

 そろそろともう一度レンズをつくり、焦点を結んだ。

 !

 生き物は初めて自分の目で世界を認識した。

 それは森の片隅であったが、生き物にとっては最初の眺望であった。どっしりとした巨木が天をささえんばかりに枝葉を茂らせ、葉の間からは日の光が幾本もの光の筋となって降り注いでいる。

 その光景に、生き物はしばし呆然となっていた。

 やがて生き物は学んだ。

 耳を、そして鼻を作った。

 五感を生き物は手に入れていた。

 最初に感じた他の生き物である蜘蛛の姿をそれは真似した。

 八本の脚を伸ばし、よたよたとその生き物は移動した。そしてさらなる試行錯誤を繰り返し、生き物は最初の殺しを経験したのである。

 最初に殺したのは地面をのたのたと這う蚯蚓である。

 蚯蚓が断末魔の声にならない悲鳴をあげ絶命した瞬間、生き物はようやく自分が飢えから解放されたのを感じていた。

 それから生き物は森の地面で同じようなほかの生き物の生命力をすすり長いときをすごしていた。

 姿も変わっていた。

 蜘蛛の姿は身体が大きくなりすぎ維持できなくなっていた。つぎに手に入れたのはネズミの姿であった。

 が、それは本物のネズミとは似ても似つかない奇妙なものだった。脚が六本あり、毛が一本もなくつるりとしている。それでも鋭い歯と、すばやく動く足で獲物を捕まえその生命力を貪ることはできた。

 身体が大きくなるにつれ、生き物の姿はどんどん変化していった。すばやい動きと、獲物を捕らえるのに便利なように生き物は様々なほかの生き物の姿を真似していた。

 そしてとうとう最終的な変化の時が来たのである。

 その生き物は森の中で闇の王者として君臨していた。音もなく獲物に忍び寄り、あっという間にその生命を奪い、獲物から生命が失われる一瞬、生命力をすすりこの世の春を謳歌していた。

 ある日、生き物はこれまで経験したことのない衝動を受け取っていた。

 それは死を迎えた生命とは違う、暗くて強烈ななにかだった。

 感情であった。

 恐怖と怒りがまじりあったその感情の衝撃に、生き物は全身を震わせた。

 いままでの単純な死への恐怖とは違い、それらの感情は継続的で、かつ奇妙な味を持っていた。

 興味を引かれ、生き物はその感情の出所へ向かって近づいた。

 人間だった。

 数十人の人間が、森の開けた場所でおたがいにらみ合っていた。手には原始的な棍棒のような武器を持っている。

 かれらは時折鋭い声でおたがいを罵りあい、敵意をむきだしにしていた。しかしまだ戦いの決意はつきかねるようで、にらみ合いを続けているだけである。

 しかしかれらの燃えるような殺意、敵意は生き物の感覚に痛いほど響いていた。

 生き物は昂揚感につつまれていた。

 これだ!

 この憎悪と恐怖、相手を殺したいという明確な意思!

 強烈な感情の発露に、生き物は全身でその感情をすすっていた。

 やがてふたつの人間の集団は、おたがい決意が高まったのか、やにわに激突した。

 武器と武器が噛みあい、たちまちあたりはむごたらしい戦場となった。その苦痛と恐怖、むき出しの殺意に生き物はうっとりとなっていた。地面には血だまりができ、苦痛でうめく人間がのたうちまわっている。

 やがて戦いは決着がついたのか、敗れた集団はよろよろとおたがいの肩を支えあい、逃げ出していった。勝利したほうも、追う気力もなく勝利の雄たけびをあげるのが精一杯というところだった。

 生き物は初めて見る人間に興味をおぼえ、その姿を真似することにした。集団から少し離れた場所にいたひとりに狙いをしぼり、そっと近づいた。

 狙われた人間は身動きの鈍そうな、太った男だった。生き物が近づくと、気配を感じたのか、ふいにきょろきょろしはじめた。

 生き物は頭上からいきなり飛び降り、男の身体に覆いかぶさった。男は悲鳴をあげる間もなく、一瞬で絶命していた。生き物は大急ぎで男の細胞と自分の細胞を混ぜ合わせ、その姿を盗んでいた。

 生き物はその人間の集団に溶け込んだ。森では様々な人間の集団が暮らし、わずかな食料を奪い合うためお互い憎みあい、殺し合いを繰り返していた。生き物が潜んだ人間の集団はその中でも最大のものだった。

 生き物は貪欲に人間の感情をすすり、成長していった。欲望は無限に膨れ上がった。

 生き物がより効率的に人間の感情を吸収するための努力が、世界に魔法を生み出すこととなった。魔法が世界に浸透するとともに、生き物はより人間の恐怖、憎悪、殺意などの感情を効率的に吸収できるようになっていた。

 

 奇妙なことがおきた。

 魔法は生き物の所属する人間の集団を変えていった。

 その集団は魔法に習熟し、使いこなした。

 そして魔法でみずからを変え始めた。

 より優美に、そして美しく、賢く種族としての属性を変化させていった。

 それはエルフの祖先であった。

 そのころ、生き物はヘロヘロと名乗っていた。

 ヘロヘロはエルフの祖先とともに生き、成長していった。エルフはヘロヘロの魔力でさらに変化していった。

 かつての原始的な姿は優美なものとなり、森で暮らす種族となったのである。ヘロヘロがエルフの森の記憶を持っていたのも道理である。ヘロヘロはある意味、エルフの祖先でもあったからである。

 

 そしてついにヘロヘロは自らをこう名乗った。

 魔王と……。

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